武人にとって一番の功名は一番槍だと、小十郎さんは言っていた。
曰く、戦場にて最も命を落とす危険が多いのは開戦の瞬間であり、勝敗の行方も開戦時の勢いまま決することが多い。
だからこそ命を惜しまず、誰よりも前に出て、誰よりも速く敵を討つ『一番槍』は武人の誉、誰もが羨む最上級の功績なのだと──。
天正十年(1582年)の八月。
日出と共に霞んだ朝霧が艶々と色めきだし、矢野目の芝生は露を含みキラキラと輝く。
それらを踏み進むは、俺が率いる精兵五百人と左月爺さんが率いる鬼庭隊千人の合わせて千五百人。
二千五百余りの後続部隊が跫音と陣太鼓を鳴らし、重厚な打音が先陣を急かすように追従している。
「いつ敵が来るやもしれないこの空気、堪りませぬなぁ」
「敵とまみえようとするこの瞬間! 何度味わおうとも胸が震える!! そうは思いませぬか!? 若様ァ!」
「いいや……まったく無いわ」
伊庭野爺と丹波は開戦前の高揚に浸り、彼等の前で馬を進める俺は別の意味で鼓動が激しくなる。
「俺達が先陣かぁ……」
一番槍の功名を得るために先陣の役目を欲する武将は多いが、俺からすれば命の危険が増す役目を素直に喜べない。
今はただ、先陣を任された重圧と、生き残れるか不安な想いで身を震わせながら馬脚を進めていた。
「見えましたぞ藤五郎様、アレが『金山城』ですぞ」
「あぁ、知ってるよ」
闇が晴れて視界が広がる。
眼前に見えるは昨年に政宗様が大破炎上させた『金山城』だ。
前回の炎上後に大規模改修が施されたそうで、城の大きさも区画も丸森城と並ぶほどに大きくなっていた。
距離にして二キロ弱、このまま進めば十分程で城から矢弾が降り注ぐだろう。
「あぁ……吐きそうだ」
「あまり気負な藤五郎よ。先陣の役目はお主だけではない。儂もおるからな」
「左月爺さん……」
俺を気遣ってくれたのか、左月爺さんがわざわざ俺と併走して励ましにきてくれた。凛々しく頼もしい姿に涙が出そうになる。
「大丈夫です。去年、俺はあの金山城で絶望的な状況から生き残りましたからね。それに比べれば味方も多い分、心強いです」
「クッハッハッ! そうであった、お主はあの初陣で若様を守り抜いたのだった。年寄りが心配する必要もなさそうじゃな」
否応にも目立つ赤染柄の大槍を肩に掛けて、左月爺さんは一笑した。
「────どうやら、釣れたようじゃな」
「…………この足音、敵ですか?」
段々と大きくなる地鳴りと馬蹄音に伊達軍将兵に緊張が走った。
音の方向は右手側の冥加山方面から、徐々に此方へ近付いてきていた。
「儂は持ち場に戻る。良き手柄を立てるのじゃぞ、藤五郎」
「えぇ、武運を祈ります」
左月爺さんと別れて得物の薙刀を握りしめた。
初陣の時とは違う動悸に心を乱されないよう、静かに胸に手を置いた。
「「「右手より敵襲っっ! 相馬軍が来たぞっっ!!」」」
軍の誰かが大声で叫び、太鼓の激しさが増した。
右に目を凝らすと、朝霧の奥から騎馬隊を先頭に雁の陣形、数は目算で三千ぐらいか、相馬軍が真一文字にこちらに突撃する構えであった。
「全隊、右向けッッ!」
遠くで左月爺さんが一声した。
それまで金山城を目指していた伊達軍が反転して相馬に対する。その一連の行動に動揺も乱れもない。
金山城に攻めるフリをして冥加山の相馬軍を釣り出し、野戦にて片付ける。伊達軍の作戦初動は上出来である。
「いよいよですなぁ、若様と共に戦う日を夢に見てましたぞぉ」
「ワシもじゃッ!! この日のために身体を鍛えてたようなものですからなァ!!!」
「ほんと、今日だけは頼りにしてるからな。伊庭野爺、丹波」
朝靄を切り裂いて迫り来る相馬軍に目を凝らし、大薙刀を掲げて息を吸い込む。
冥加山から下りてきた相馬の騎馬隊は野馬追で鍛え上げられた奥州随一の騎馬軍団。彼等を序盤で崩すため、伊達軍で最も強い部隊が真正面からぶつかり、勢いを止める必要がある。
それこそが、長年前線で鍛え上げられた実元組改め『成実隊』が任された、この戦での役目なのだ。
──ブォォオオ! ブブォォオオオオン!!──
開戦を報せるホラ貝が高々と鳴り、続いて狼煙が炸裂した。俺は大薙刀を頭上に置き、相馬軍に馬頭を返す。
相馬軍は兵を一塊に並べて猛進してくる。伊達軍は横列となって相馬軍を迎え撃った。
「まだですぞ、藤五郎様。矢が止んだらですぞ!」
「分かってるよ、丹波。大丈夫」
既に敵味方の矢弾が野鳥の群れのように飛び立ち、霞んだ空を黒く染めていた。
最初は弓や鉄砲で牽制しつつ、期を見て敵に突入するのがセオリー。だからこそ、臆せず矢弾を掻い潜り、一番槍を上げるという行為が武士の誉として褒め讃えられるのだ。
「今じゃァ! 一気に行きますぞォォっ!!」
自慢の大太刀をぶん回し、伊庭野爺が気勢を上げた。
いよいよ開戦、俺は溜め込んだ息を声に乗せて号令する。
「皆、俺に続けッ! 相馬を一気に崩すぞっ!!」
「「「おぉおおおおおおっっっ!!!!」」」
五百を引き連れ、矢に怯んでいる敵の先陣を目指す。
初めて兵を率いて戦うことになるのに、軍の先頭で何も遮るものが無いのに、大勢の敵に対してテンパるどころか、むしろ逆に闘志が熱く燃えたぎっていた。
「──なんか今日、イケる気がする」
弓や鉄砲の応酬を経て、歩兵同士の槍合せが始まった。
俺は雑兵に先んじて相馬軍に当たり、成実隊は鋒矢の隊列で敵に分け入った。
~~~~~~
「やはり戦場は良いぃな、この張り詰めた空気が堪らぁん」
相馬の総大将にして相馬家十六代当主・相馬義胤は騎馬を従え、伊達の先鋒に対していた。
ちょびっとだけ生えた口髭をしきりにいじり、橙色に設えた陣羽織を整え、馬の上より伊達軍を見やる。
「今日は輝宗の奴は来てないようだぁが、少しぃは楽しめるかなぁ? 伊達共が」
義胤は相馬軍の総大将ながら常に先頭で武を振るい、自ら敵を打ち倒す軍法を好む武将である。故に長槍同士の叩き合いを離れた後方から見つめ、いつ突撃してやろうかと舌鼓を打つ。
「んん? 伊達の若武者が突出しておるぅな」
その時、叩き合いに勤しむ槍歩兵の真ん中を突き破って駆る、数騎を従えた伊達の若武者が義胤の目に入った。
今は珍しき大薙刀を自在に操り、馬術巧みに雑兵を下して奮戦する姿に唸りつつも、鼻で笑った。
「中々身分高き将のようだが、戦は初めてのようだぁな。オイ、備前はおるぅか?」
「ハッ、金澤備前、これに」
義胤が指名した金澤備前という男は、側近の中でも槍の名手として知られ『上げた手柄は四十を超え、貰いし感状数知れず』と隣国に名が知れた強者である。
いくら武勇に覚えがあっても、囲まれれば容易く討たれるが戦場の常だ。たった数騎を連れて相馬軍の真っ只中に突入したその若武者を嘲笑い、馬廻りの備前に顎で差して命ずる。
「あの若武者を討って参ぃれ。戦で味方と離れたことの愚を冥土で後悔させてこい」
「ハハッ、畏まった」
所詮は戦を知らぬ若武者、己の相手にもならぬと一瞥した義胤は再び戦場を見渡して、伊達の左方に勢いが無いことを見抜いた。
「我等は左陣に廻って伊達の横腹を突く、彼処が敵の隙ぃだ」
備前を見送ることも無く、義胤は騎馬隊徒を引き連れ左を目指す。
一方、義胤の命を受けた金澤備前は数十騎の部下と共に、前衛を突破した大薙刀の若武者に呼び掛けた。
「──そこの武者! 数騎で敵の中に入るとは愚か者よ!!」
「──あんた等は?」
「我は相馬義胤様の馬廻りが一人、金澤備前! 我と打ちあい手柄となれい!!」
「相馬義胤って敵の総大将だったよな。馬廻りってことは近くに奴がいるのか?」
ふと、相馬軍の少し奥に騎馬の群れが右手に向かう姿が見えた。恐らくあの騎馬隊が相馬の主力だと、若武者は即座に察した。
「教える義理も無い、いざ尋常に勝負ッッ!!」
「おい、もうちょっと余裕を持とうや……」
数々の武功を立てた備前の槍がうねりを上げる。しかし──
「─────えっ?」
刹那、備前の槍は空を切り、備前の半身が宙を舞った。
いつ振り落とされたか分からない若武者の大薙刀からは、備前の鮮血が滴っている。
「俺、あの騎馬隊を止めないとだからさ、アンタに構ってる暇は無いんだよな」
「き、貴様……なにも……の…………」
朱殷色が飛び散った露草にどさりと落ちる金澤備前。事切れる彼に目もくれず、大薙刀の若武者こと、伊達成実は刃先の血を振り払った。
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