「む……いつの間にか寝てしまっていたのじゃ……」
主な光源が蝋燭等の小さな光しかない戦国時代の生活は、夜が明ける前に起床して、日が沈む頃に寝るという実に健康的なライフスタイルだ。政宗も例外ではなく、鶏の朝鳴きが始まる前には目を覚ました。
「うぅ……頭が痛む……酒を飲み過ぎたのじゃ」
万力で締め付けるような頭の痛みに苛まれる。
度数の低い濁酒でも一気に、大量に呑めば二日酔いで地獄を見る。現代人だろうが戦国人だろうがその点は何も変わらない。
「…………………何も覚えておらぬ……確か、藤五郎が戻ってきたような気がするのだが……? む、そういえば藤五郎は何処に?」
部屋を見渡したが、酒臭い八畳間に自分一人しかいなかった。
「まさか、また我を置いて──ッ!?」
二日酔いをももろともせず、政宗は布団を蹴って廊下に飛び出した。するとそこには──
「フンッ! フンッ!! ──しっ、もうワンセットかな」
「と、藤五郎……? 何をやっておるのじゃ?」
「ん? あぁ、起きたのか。政宗様」
御殿の庭で上着を脱ぎ、得物の薙刀を一心不乱に振る俺は寝起きで滝汗を流してる政宗様と眼が合った。
「あんまり眠れなくてな、ちょっと日課の素振りをやってただけだ」
「すぶり……?」
お手本のようなポカン顔の政宗様に構わず、俺は引き続き薙刀の素振りを再開した。
毎日薙刀と刀を振り、軽めの筋トレをして朝日を望むのが日課である。それは米沢にいようが、大森城にいようが変わらない日常なのだ。
「素振り……そうか、素振りか! てっきりまた何処かに行ってしまったのかと思ったぞ!」
「安心しろ、俺はもう政宗様に何も言わず遠くに行かない、出来る限り離れたりもしないさ」
「そ、それはまことか!?」
「あぁ、だから無駄に心配する必要も──」
と、俺が台詞を言い終わる前に政宗様が抱きついてきた。自身の顔を俺の胸に埋めて、ギュッと力強く抱き締めてくる。
「申したからな……? 男ならば、今の約束は必ず守るのだぞ……?」
「あぁ、約束する。だから安心しろ」
政宗様の声が震えている。
顔は見えないが、今にも泣き出しそうな顔だってことは見なくても察せる。
昨晩の寝言で俺なりに色々と考えた。政宗様にとって俺は臣下の一人であり、唯一の親友なんだってことを──俺の行動で彼女を悲しませるのは本意じゃない。少しでも不安を取り除けるように、慎んだ行動を心掛けようって決意したのだ。
とはいえ、イチイチ政宗様に俺の行動を報告するのもダルいから、遠出をするときだけ伝えるとしよう……………あれ、なんかメンヘラ彼女と付き合ってる彼氏みたいな配慮だな……俺ってもしかしてソッチ方面に耐性あるんじゃないか?
「藤五郎ぉ~……とうごろぉお〜!! うぐぅ……っ!」
「わ、分かった分かったから! そんな泣くほどのことじゃないだろ」
「違うのじゃ……違うのじゃ……とうごろうぉ……うっぐ……」
「違う? 何が違うって──」
政宗様がゆっくりと顔を上げた。
感動で涙を流す少女とは到底思えない、真っ青になりながら何かを必死で堪える二日酔いな顔をしておりました。
「おい待て、その顔は……!?」
即座に感じた身の危険、だが、彼女にガッチリ固定されて身動きが取れない。
「もう……我……出る……」
「おい、待て! 今すぐ俺から離れろッッッ!!!」
「もう、抑えられ……うッ!!」
次の瞬間、政宗様が「グボボボボボッッ!!」と、濁音を撒き散らしながら俺の下半身に大放流。虹色の吐瀉物が足元を埋めた。ガッチリ抱きついておいてこの始末、悪質すぎるテロ行為だ。
「ハァ……ハァ……ぐえぇ、ま、まだ吐き足りぬ……」
「政宗様、アンタマジかよ……」
第一波を放出して放心状態の政宗様、俺の拳に自然と力が入る。
「…………なぁ政宗様……さっきの『離れたりしない』って約束、前言撤回していいか?」
「フッ、ダメに決まっておろうが……お主は我の側にずっと居るのだ、離れることもゆるさ……うぐっ……!」
「あーもう速く厠に行けよ! 厠に!!」
彼女の放流から始まる一日の始まり。
爽やかに迎えるはずだった大森城の夜明けは、主の酒と嘔吐の臭いよって台無しにされたのだった。
~~~二刻(四時間)後~~~
「たく、まだ袴が生乾きだけどやむを得ないか……さっさと行きますよ、政宗様」
「もう帰るのか? 今少しゆっくりしておれば良かろうに」
「そうじゃぞ~藤五郎、我ももう少しこの城に居たかったぞ~?」
「この城にいたらまた親父に色々と策を弄されそうだからな、長居はしたくないんだよ」
「クックック……! 俺も子に嫌われたものだな」
今日も今日とて小春日和の大森城城門。
政宗様の二日酔いも収まったっぽいので、早急に帰り支度を済ませた。
俺の目的(家督相続についての話し合い)は果たしたし、無断で城を出てきた政宗様を一刻も早く米沢に戻さなければ小十郎さんからのキツいお叱りを受けるのは目に見えているからな。
「昨日来たばかりでもうお帰りですかぁ!? 若様も元気が有り余っておりますのぉ!!」
「もう既に湯気出るくらい発汗してる伊庭野爺さんに及びませんけどね……」
「左様左様、昨日のこともあります故、この分なら世継ぎもすぐに産まれそうですな! 御家安泰でございます!!」
「丹波は少し黙っててくれ」
城主重臣が揃って俺達をお見送り、もう昨晩や今朝の出来事は周知の事実らしく、家臣達はニマニマと気持ち悪い笑みを浮かべ、親父は達観してウンウンと頷いてやがる。
コイツらと長いこといたら政宗様に悪影響を及ぼすだろう、早いとこ出立しなければならない。
「まったく、俺は常にお前『達』のことを考えているというに……まぁよい、政宗様をしっかり護衛するのだぞ。『我等』にとって大切な御仁なのだからな」
「『伊達家』にとって大切な次期当主だからな、言わずもがなだ」
「フッ、食えぬ男に育ったなものだ。一体誰に似たのやら」
親父がいなければ毎年ここの桜を見に里帰りするのになぁ。来年からもう来れなくなりそうで、それだけが残念だわ。
「行くぞ政宗様、コイツらの毒牙にやられる前に」
「どくが……? 藤五郎は今日もおかしな事を言うなぁ」
「あぁ、まて、一つ言い忘れておったわ」
「まだ何かあるのか? 親父」
親父がコホンと咳払い、俺の耳元に顔を近づけた。
「家督相続の件、譲る気は無いと言ったがアレは嘘だ。俺の担当している蘆名や佐竹の外交を少しだけお前に任せる。それで良き働きをしたならば家督を譲ってやる」
「──ッ!?」
帰り際の親父のカミングアウトに心拍数が跳ね上がった。佐竹と言えば常陸(現在の茨城県一帯)を統べる大大名。蘆名も会津一帯を統治し、伊達家に並ぶ東北の有力大名である。
後々、伊達家が天下を目指すならば倒さなくてはならない相手だ。
「本当に……俺に任せて良いのか?」
「輝宗様の命だからな、俺を速く現役から退かせたいのだろう……まぁ、精々励むが良い」
「了解…………やってやる……ッ!」
政宗様の天下取り、その最初の障害となるであろう佐竹、蘆名との外交を任されたのだ。俺の活躍次第で両家の力を削ぐことも出来るし、逆に力を増すかもしれない非常に重要な役目、俄然やる気が出てきたぞ。
「こうしちゃいられない……早く米沢に戻るぞ! 政宗様ッッ」
「な、いきなりどうしたのじゃ!? そんな手を引っ張るでない!!」
俺は馬に飛び乗り、大森城を後にした。
米沢に帰って外交について色々と学ばないとだからな、時間がいくらあっても足りないぜ。
「もうあんなに速く!! 馬術においては若様に及ばぬかもしれめせんのぉ!!」
「お若いですなぁ、藤五郎様も若様も仲睦まじいようで恨めし……いやいや、羨ましい限りですな」
「成実の元服以来、二人に会っておらんかったから心配したが、あの様子なら問題なかろう。孫の顔が楽しみだ」
「ところで殿、昨日の昨夜に届いた早馬には明朝には若様を連れ戻しに使いが来ると書いてましたが、使者と入れ違いになるのでは?」
「構わぬ、どうせ鉢合わせるだろうからな」
~~~~~~
昨日の朝に通った松川沿いを駆る二騎。
昨日のうちに桜の花びらが大分散ったらしく、桜色となった街道を疾走する快感もまた格別であった。
「そんなに急いで、どうしたと言うのじゃ?」
「俺は政宗様に天下を取らせたい。だから、その為にもっと勉強しないとなんだ」
「我の天下のため? 殊勝な心掛けじゃが、それが急ぐのとどう関係するのだ??」
「んなもん米沢に戻って、そして──ん?」
米沢方面から一騎、桜色の砂塵を巻き上げながらこちらに向かってくる姿が見えた。馬の速さからして火急の用事らしい、米沢で何か大事があったのだろうか?
「どうどう──そこの二人、少しよろしいか?」
と思った矢先、顔隠しの笠に袴姿の男が立ち塞がるように馬を止めた。
「政宗様と、藤五郎殿ですね」
「ん……? なぜ我等の名を知っておる?」
「なぜ……それはもう、米沢を騒がせている張本人でございますからな」
静かに、それでいて怒気を含んだ抑揚のない声質。懐から取り出すは一組の荒縄と黒漆塗りが特徴的な教鞭一本。
その声と教鞭、なんか見覚え聞き覚えが有りすぎるんですが……。
「ひ、ひぃい! お、お主は……っ!」
どうやら政宗様もこの人が誰か察してしまったらしい。馬上の男が笠を外すと出てきた素顔は、とても見慣れた鬼の形相であった。
「よもや、私や姉上の監視の目をくぐり抜けて姿を眩ますとは腕を上げましたね、政宗様。無論、お覚悟は宜しいですな?」
「あわわ……! と、藤五郎っ! 助け──っ!!」
言うが早いか、政宗様は目にも止まらぬ速さで小十郎さんの手によって縛り上げられた。後ろ手にキツく縛り上げられ、一瞬のうちに身動きが取れなくなった政宗様はタジタジである。
「不測の事態だったでしょうに、よくぞ政宗様をお守りしましたね、藤五郎殿」
「いや、はい……当然のことをしたまでと言いますか……」
「見たところ政宗様に怪我は無いようです。傷が一つでもあれば、藤五郎殿も政宗様と並べて仕置きするところでしたよ」
「ハハハ、ホント ブジ デ ヨカッタ」
言えねぇ……政宗様が大森城に向かう途中で落馬して気を失ってたなんて口が裂けても言えねぇ……! 言ったら最期、彼女の隣に同じ姿で晒される羽目になる……。
「な、なぁ、小十郎よ。仕置きとは我に何をするのじゃ……?」
「それは──こうですよッ!!」
「──がはッ!?」
ピンッと荒縄を張るや、反動で政宗様が馬上から落っこちた。
馬上で縄を握る小十郎様と上半身の自由を奪われた徒の政宗様。まるで奴隷とそれを使役する闇商人のような図。端から見て、これが伊達家の御曹司とその片腕になる重臣だとは誰も思わないだろう。
「では、行きましょうか」
「行く……とは、まさか……?」
「当然このまま米沢まで走って頂きますよ、それが此度の仕置きです」
「米沢までどれ程あると思っておるのじゃ! い、嫌じゃあぁ……まだ昨夜の酔いが残っておるというに……!」
「別に政宗様が止まっても構いませぬ、私が引きずるだけですからね」
「お、鬼じゃ……! 鬼の小十郎じゃああああああ!!」
「ハハハ……頑張れぇ政宗様ぁ……」
政宗様の悲鳴が春空に響き渡った。
親父は俺と政宗様をくっつけたいみたいだけど、改めて無謀な策略なんだと痛感する。
初陣を経て外交を任されるようになり、俺と政宗様は着々と成長しているけれども。
政宗様が無茶をして、
俺が彼女を止められず、
小十郎さんが仕置きする。
この関係は何時までも変わらない──そんな気がするからだ。
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