「危機を察してすぐに駆けるは果断にて即決! 若様はワシらの大将に相応しき勇将に育ちましたぞォ! 殿ッ!!」
段々と遠くなる成実の後ろ姿につい嬉し涙を流す伊庭野遠江。
伊達実元に仕えてより四十年余り、齢六十を超えた彼にとって主君唯一の嫡子である成実は次に仕える大事な主君であり、小さな頃から成長を見守ってきた孫のような存在だ。
初陣には参上できなかったこともあって、成実の戦振りに感極まっていた。
「い、伊庭野様っ! こちらにも敵が迫っております!!」
「何だとォ!?」
見れば、主軍とは枝分かれした小規模の軍勢が真っ直ぐこちらに突入せんとしていた。数は百人余りなれど、全員が伊達の精鋭で名を馳せる成実隊に劣らない体格を有していた。
「オォ! 初めて見るが、なかなかに強兵が揃っておる! これはワシも久方ぶりに本気で挑まねばならぬやもなァ!! オイ! アレを持てィ!!」
そう言うと伊庭野は自慢の長刀を預けて、大の男二人がやっとの思いで運んできた『大槌』をヒョイッと片手で持ち上げる。
「若様からこの地を任されたのじゃァ! 何としても死守するぞォ!!」
「「「応ッッッ!!!」」」
ドシリと石突を落とし、件の敵勢を仁王立ちにて対する。その立ち姿と形相に、自ずと味方も気勢を上げた。
「おうおう! なんだなんだ!?」
伊庭野の威を感じて脚を止めたのは、一軍の先頭を進んでいた相馬の客将・真壁氏幹だ。
(これはこれは結構やるな、この爺さん)
(この若造ォ! 手強い相手やも知れぬなァ!!)
戦の場数を踏むほどに、相手の力量を一目見ただけで分かるようになるという。
真壁は仁王の如く立ち塞がる伊庭野に対して興味を抱き。
伊庭野のまた、常人にはとても持てそうに無い金砕棒を悠々と担ぐ氏幹に、只ならぬ気配を感じ取った。
(この者ォ……! かなりの使い手じゃなァ……ッ!!)
身の丈を優に越える金砕棒を肩に担ぐ真壁と。
地面に根が張りそうな立ち姿で迎え撃つ伊庭野。
両軍とも十間(20メートル)程から睨み合い、後続の兵士達も剛勇で名を馳せる両名が動かない事に驚きを覚え「この戦いは死闘になる……」と覚悟を強めた。
「お主! 初めて見る顔じゃなァ! 何者じゃァ!!」
「やぁやぁ我こそは! ってか? 見た目通り古い『シキタリ』がお好きなようだな、老い耄れが」
「ガッハッハッ!! また威勢の良い小童が紛れ込んだのォ! どぉれ! この老い耄れ自ら大槌で擦り潰してやるとするかァ!!」
戦場での煽り合戦は挨拶のようなもので、双方の兵士達は上司に対する罵詈など気にも止めず、苛立ちも無く聞き流していた。が。
「誰が誰が小童だクソ爺ぃいいいィッッ!!!」
「まだ老いておらぬわクソガキがァッッ!!!」
主軍の開戦から遅れること十分弱。伊庭野と真壁、両者は互いの煽りから同時に火が付いた。瞬間、二人は大きく得物を振りかぶり、大槌と金砕棒の弾ける音が搦め手口に轟いた。
冥加山で戦が始まっていた頃。
戦場より少し離れた街道を走る駕籠があった。
収穫目前の稲畑から漂う香ばしい薫りを胃に込めて、四人の駕籠者がえっさほいさと声を合わせ、百合の蒔絵に彩られたその駕籠は畦道のような街道を淀みなく進んでいた。
「まだ着きませんか、もっと早く走りなさいッ!」
「「「へ、へいっ!」」」
駕籠の中からキリリとした怒号が飛ぶ。
声の主は伊達輝宗が奥方の義姫である。
駕籠者が出せる限界の速さで駆けるが、義姫はまだ足りないと言わんばかりに檄を入れた。
「待ってけろやぁ~義殿ぉ~! そんな急いだら人も馬も疲れちまうべぇ!!」
飛ばしに飛ばしまくる駕籠に追い付こうとする騎馬が数騎。
先頭を走る伊達輝宗は訛り強い口調で捲し立て、爆走する義姫の駕籠を止めようとするが。
「うるさいッ! 元を正せばアナタのせいなのですからね! 疲れたならば休んでいれば宜しいのです、私だけで行きますから!!」
「んなこと言ってもやぁ、義殿を独りにさ出来ねぇっべがな。それに一緒に来た喜多殿さ輿からも離れぇすぎぃだべ」
「あの女狐の事など知りませんッ! 戯言はもうたくさんです、もっと速く進みなさい!」
「へ、へい……っ!」
駕籠から麗しい顔だけ出して一喝する。
駕籠者を休ませるつもりは毛頭ないらしい。もう馬並の走力で坂道すら駆け上る。
「もっと、もっとです!」
「「「へ、へ……い……」」」
「弛んできてますよっ! 更に駆けなさいっ! 更にっっ!!」
「「「へ……も、もう駄目……で……ず……」」」
「──なっ!?」
疲労の限界を迎えてようで、駕籠者の一人がガクリと崩れ落ちるや、続けざまに他三人も脱落。運び手が居なくなった駕籠は大きな音立てて地面に衝突する
「────痛ッッうぅ~~!!」
落下の衝撃をまともに喰らったに義姫は苦悶の表情で駕籠の外に出る。ぜいぜいと息を荒らげて倒れ込む駕籠者達と、落とし方が悪かったのかポッキリ折れた持ち手が目に入る。
「駕籠はもうダメですね……仕方ありません、私一人でも──痛ッ!」
立ち上がろうとしたその時、義姫の脚に痛みが走った。
裾を捲るとか細い足が僅かに擦り傷を負い、腫れ上がっていた。
「おいっ! 大丈夫けぇ!? 義殿!!」
「はい……脚をぶつけたようですが大事ありません。早くあの子の所に向かわないと……」
「馬鹿言うでねぇ! 怪我してんのに無理に動こうとすな!! 今傷を洗ってやるから大人しくしてけろや!!!」
「は、はい……」
滅多に声を荒らげない輝宗が山鳥を騒がせる声量で吼えた。
ここまで激昂した夫を見たのは初めてということもあってか、あの奥州の鬼姫が閉口して俯いた。
「これで大丈夫だべ、傷も浅いからすぐ腫れも痛みも引くべぇな」
「あ、ありがとうございます、殿……わざわざお手を汚してまで……」
「気にすっこたねぇ。んだことより少しは落ち着けたかぁ? 義殿さ」
「は、はい……つい取り乱してしまいました」
冷静さを取り戻した嫁に「んなら良かったべ」と笑う夫。
駕籠者の一人が惨状に気が付き、慌てて二人に平伏した。
「申し訳御座いませんッ! 駕籠どころか奥方様にもお怪我を──ッ!」
「ナハハハ、気にすっこたねがって。人も駕籠も怪我したり壊れたりするもんだべ。それに、今回は義殿が無茶しすぎたっがらなぁ。んだがら、まだ倒れてる仲間さ道端さ避けて休ませてやれぇ」
「ハ、ハハァッ!!」
輝宗の寛大な処置に駕籠者は涙を浮かべ頭を地面にめり込ませる。
すると、遅れてやって来たもう一台の駕籠がこの場で止まった。
「あらあら~輝宗様、一体何があったのですか~??」
「おぉ~喜多殿さぁ。義殿の駕籠が転んじまったみてぇなんだぁ」
「それは大変ですね~。大丈夫ですか~? お義ちゃん?」
「何も問題ありません。それと「お義ちゃん」と呼ぶのは止めなさいっ!」
「んん~、なら鬼姫ちゃんの方が良かったかしら~?」
「この女狐っ!! その減らず口を縫い付けてやりますっっ!!」
「あぁ~! 待て待て喧嘩すんなぁ! 義殿は早く政宗ん所さ行きたいんだべ? んだならオラの馬さ乗せてやっから一緒に行くべさ」
「い、一緒にですか……? ま、まぁ、早く政宗の元に向かわねばなりませんから、し、仕方ないことですね!」
「ふふふ、照れちゃってカワイイわぁ、お義ちゃんたら」
「う、うるさいですっ!」
義姫を鞍上に引き上げて馬を馴らすと、輝宗が喜多に命じた。
「んだなら喜多殿さ、そこで倒れてる者達の面倒頼んだぁよ。大丈夫そうなら冥加山さ来てけろや」
「畏まってますよ~、お二人とも楽しんで来てくださいね~」
「ハッ!」と勢いを付けて伊具の街道をひた駆ける二人。
夫の体温を背中で感じながら、義姫は言った。
「輝宗様、一つだけお尋ねしたいことがあります」
「ん? なんだべ?」
「本当に戦は終わるのですよね? 政宗は米沢に帰って来るのですよね??」
「ナハハハ、問いが二つあるでねぇか」
「茶化さないでください! この戦が終われば政宗は戻ってくると仰ったではおりませんか!!」
「んだなぁ『あの男も』から書状も届いたしぃ、この戦はもうすぐ終わるべな」
軽くおちょくっただけで顔を真っ赤にする義姫につい笑みを溢した輝宗。
緩やかな登り坂を越えた先、阿武隈川の煌めきに照らされた冥加山が見えてきた。微かに聞こえる怒声と剣戟が戦の始まりを告げている。
「急がねぇばな。アイツも冥加山で待ってるべな」
息上がる愛馬に鞭入れて、輝宗一行は冥加山に急行した。
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