『われわれの間では、酒を飲んで前後不覚に陥ることは大きな恥辱であり、不名誉である。日本ではそれを誇りとして語り「殿はいかがなされた」と尋ねると「酔払ったのだ」と答える』
キリスト教を布教すべく日本にやって来た宣教師『ルイス・フロイス』は祖国に送った手紙にこう記したとされる。
東北に咲く一輪の乙女もまた、フロイスが見た『日本人の酒事情』と同じく「この量の酒を飲み干してやったぞ!」と言わんばかりの態度で最後の酒瓶を空にした。
「俺が目を離したほんの一瞬で酔っ払いやがるとは……」
「なんじゃ〜! ワレだって酒くらい呑めるのじゃ〜!! なめるでないわ〜! うがぁー!!」
「うーわ、くっそ怠そうな酔い方」
これも親父の策略の一つだろう、転がってる酒瓶が明らかに二人で呑む量じゃない。それに、前々から政宗様は酔っても面倒くさそうだと予想してたが、まさにその通りだったようです。
「お主が戻るの遅すぎて、お主の分の酒まで呑んでしまったぞ〜! ナッハッハッハッ!」
「酔うと笑い方が輝宗様に似るんだな……つーかこの量を一人で呑んだのか」
この時代は濁酒が主流だ。
現代の日本酒よりアルコール度数が低めで甘味の強い濁酒は、速いペースでつい何杯も呑めてしまう。
そのせいか、宴会ともなると政宗様のように一瞬で酔っ払う奴が続出、それはそれは魑魅魍魎とした世界になるのがこの世の常であった(少なくとも、俺が参加した酒の席は大抵そうなる)。
で、問題がこの部屋に転がってる酒瓶が二桁を越えて散乱していることだ、度数低くてもこの量を完飲したら悪酔い確定間違いなしである。
「ワレから離れないと言っとたではないかぁ〜、なぜお主はすぐワレから逃げるのじゃ〜!」
「いや別に逃げてないから、ちょっと政宗様と一緒にいるのは不都合があるってだけで……」
「それを逃げてるって言うのじゃー!! どくがんりゅ〜をぞんざいに扱うとは許せんぞぉ!」
頬を膨らませ、俺の胸をペシペシと叩き始めたかと思いきや。
「…………ヒッグ……ワレから離れぬと申したではないかぁ〜……なぜいつもおぬしはぁ……ッッ!!」
「笑い上戸で怒り上戸、今度は泣き上戸か……面倒くせぇを上限突破してんなぁ」
なんの前触れもなく、抱きついたまま泣き始めちまったよこの独眼龍……。
『酒の酔い本性違わず』なんて諺があるが、コイツの本性ってどれが本物なんだ……?
「ヒッグ…………もう許さんぞぉ! おぬしが逃げないように今日は離してなるものかぁ〜! えっへへ……」
「上戸の合わせ技は止め──ろッッッ!?」
彼女を見下ろして気付いてしまった。
袴の包囲を突破して、サラシによって押し込まれていた独眼龍の凶器が曝け出されていることにだ。
「この態勢は不味いって! 今すぐ離れろ!!」
「そうやって、すぐに離れようとするのじゃぁ。もう騙されぬぞ〜、ナハハ」
発情期を迎えた猫のように擦り寄る半裸の政宗様の威力たるや、名刀村正の如く、俺の理性を一閃する切れ味である。
コイツを恋愛対象として見れないのは事実だが、それを差し引いても政宗様はつい見蕩れるレベルで美少女だ。
そんな彼女の服が乱れて、胸チラどころかガン見え状態で俺と身体を密着させてるのだから、いつ俺の理性が崩壊してもおかしくないだろう。
「離さぬのじゃぁ〜、今宵はもう離さぬのじゃぁ〜!」
「わかった! わかったからせめて身体だけでも離れてくれっ!!」
ダメだ……酒のせいか普段より政宗様が色っぽく見えてきた。この状態で俺の理性は持って五分、このままじゃあ親父の目論見通りになっちまう……!
「しゃーない……強引にでも引き剥がしてやる!!」
「う〜ん……わかっておるぅ……わかっておるぞぉ〜……スー……スー……」
「さらに眠り上戸だとっ!? な、なんて奴だ……っ!」
もう駄目だ、おしまいだぁ……!
寝てる女の子を無理矢理突き放すなんて鬼の所業、俺には出来ねぇ! くっ、最早これまでか……っ!
「うぅ…………むにゃむにゃ…………」
「………………………………いや、普通に布団に寝かせればいいじゃん、何焦ってんだよ、俺……」
と、冷静になって考えてみれば対象が寝落ちしたんだから、後は適当に寝かせれば良いだけの簡単な話だった。そうと決まれば部屋を片付け、布団を敷くいちまえば俺のミッションは完了である。
「親父めぇ、布団がちゃんと二組入ってる……用意周到過ぎるだろうが……」
手早く片付け布団を敷き、すやすや眠る政宗様をその上に寝かせた。
親父の狡猾な策謀に負けてたまるものか、政宗様と離れた場所に敷いてやる。
「はぁ……安心したら俺も眠くなっちまったな……」
朝からの度重なるハプニングに俺の身体も限界を迎えた。
俺もまた、夕食も手付かずのまま布団に寝そべった。今日一日、頑張った俺の身体を癒やしてやるとする。
「政宗様がここに来なければもっとゆっくり出来たのに……なんで追ってくるかね」
政宗の横向きの寝顔につい不満が漏れてしまう。
そもそもの話、政宗様が俺を追って来なければこんな面倒事にならなかったと思うんだ。初めて会った時からずっと、コイツは俺の行く先々に現れては無茶しやがる。その度に俺は何度も肝を冷やし、一緒になって小十郎さんに怒られるのだ。
「なんでそこまで俺に付き纏うんだ……? なぁ、政宗様??」
答えてくれない寝顔に問いかける。
自己満足に過ぎない、ただの独り言のつもりだった。が、政宗様は俺の声に反応したのか「うぅ……うぅ……」とうめき始めた。
「……………ひ、とりに……………で…………」
「ん?」
朝にここで気絶していた時と同じように、政宗様の顔が苦悶に包まれる。今にも泣き出しそうな表情で、彼女は絞り出すように囁いた。
「いかないで…………わたしを、ひとりに……しないで……とうごろう…………うぐっ……」
「………………………………それは、反則だって」
眠りながらに涙を流し、小刻みに身体を震えさせる政宗様。
わざわざここまで追い駆けてきた理由はこれかよ……なんとも居たたまれない気持ちになる。
あんなにはしゃいで追跡を楽しんでるように見えたのに、内心、俺がどっかに消えてしまうんじゃないかって心配だったってことなのか。
こんないつもはっちゃけて、元気いっぱいに振る舞ってるけど、本当は最初に会ったときの根暗で、すぐ泣き出してたあの頃のままなのかもしれない。
にしても、そんな無駄な心配して俺をここまで追い駆けてくるなんて、この娘は本当に大胆なんだか小心なんだか分からん性格してる。
「とうごろう…………とうご……ろう……!」
「あぁ〜もう! 俺の負けだよっ!! ……たく」
何かを探すように空を切り続ける彼女の手に、俺の掌を重ねた。何度も何度も名前を呼びやがって、恥ずかしいったらありゃしない……!
「…………こ、この感触……藤五郎の手……じゃ?」
「ここで起きるのか…………」
手を握った瞬間にスッと意識を取り戻したようで、政宗様は呆然と俺を眺めてきた。
「藤五郎……」
「な、なんだよ」
「もう……離さぬからな……?」
「────ッ!?」
自身の眼帯に俺の手をたぐり寄せる政宗様。そのまま、今度は幸せそうな表情で眠りに落ちた。
「……………俺の完敗だよ、たく」
部屋唯一の光源である蝋燭がゆっくりと溶けてゆく。酒気に満ちた七畳間に彼女の安らかな吐息が静かに響いていた。
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