本能寺の変より一ヶ月が経った。
山崎の戦いにて明智光秀を討った羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)が織田家の跡取りを決める清洲会議にて、織田の次期当主に選ばれた三法師を抱いて登場している頃。
奥州の伊達家は宿敵・相馬家に奪われた伊具半郡を取り戻すべく出陣した。
伊具郡に来るのは一年前の初陣の時以来、二度目である。
「暑いなぁ……夏場の行軍はこれだから嫌いですわ……」
「我慢ですよ、藤五郎殿。いつ何時敵が襲ってくるか分かりませんからね」
夏蝉が求愛に勤しむ平原の真っ只中を重い鎧に身を包み、全身ムレムレになりながら行軍するは俺と小十郎さん、そして約五千名の伊達軍だ。
「そう固いこと言うでない小十郎~、進軍で身体を壊しては戦に響くぞ~?」
そして、我等が総大将こと政宗様は、上半身は胸にサラシを巻いただけ、下半身は湯帷子を腰に結んだだけのほぼ半裸姿で行軍中だ。戦で大将を任されたとあってかなり調子に乗ってますよ、この独眼龍。
(まさか、本当に総大将になるとはなぁ……)
輝宗様が政宗様を総大将として伊具攻略に乗り出すと告げたときは本当に驚いたものだ。
輝宗様曰く「今後自分に何かあったときの為に早いうちから大将として戦を指揮させたい」だそうである。
ただ、政宗様はその日以降浮かれに浮かれまくり、ことある毎に「我は大将だぞ? もっと崇めるのじゃあ!!」などと発言したり、態度がとても大きゅうなられました。
今もまた、小十郎さんの目の前であろうと自由気ままに振る舞い続けておりまする。
「良いんですか? いつもの小十郎さんなら教鞭でぶっ叩いてますよね?」
「そうですね……今すぐにでも矯正して差し上げたいのですが、将兵が見てる前で総大将を辱めるのは士気に関わりますから……」
手綱を握る手がプルプルと震えている。
今の小十郎さんの心中は傅役として政宗様の行動を正さねばならないという使命感と、主である政宗様の威厳を守らなくてはならないという責任感とで葛藤しているのだろう。
「なぁ、政宗様。そろそろ敵も近いんだから具足くらい着たらどうなんだ?」
「何を馬鹿な、このような暑い日に具足など自らを殺すようなものじゃ。それにお主等も具足を着けて「暑い暑い」と吠えておるではないか?」
「そうだけどさ、その格好だともし敵が襲ってきたら矢の一本でも致命傷になるぞ」
「まだ角田の城を過ぎたばかりじゃぞ? 敵などまだ来るはずもなかろう」
そう言って諫言も意に介さぬまま政宗様は馬上に寝そべった。
「それに我は疲れた、陣に着いたら起こしてくれ~。ふぁぁあ………」
馬に揺られ、無防備な姿を晒したまま一瞬で眠に入ってしまった。馬背が上下する度にタユンっタユンっと乱れ動く胸元は、女っ気皆無な戦場には目の毒過ぎる。
「大将が行軍中にだらしなく居眠りとは……! しかし、ここで叱ってしまえば伊達の名声が……ッ!」
やべぇ……小十郎さんの青筋がエグいことになってる。そろそろ政宗様に注意しとかないと俺まで被害が及ぶかも知れねぇ。
俺はこっそり政宗様の耳に囁く。
(政宗様っ! いい加減身を改めた方が良いって、マジで殺されるぞ!!)
(フッフ~ん、出陣から今の今まで羽を伸ばしておるが体罰どころか叱られもせぬからな~。小十郎の前でくつろげるのは今の内かも知れぬ、存分に楽しむだけじゃ~)
(はぁ……注意はしたからな)
流石の俺も匙を投げた。
小十郎さんに怒られないことを良いことに、いつも以上に自由奔放に振る舞ってやがる。この前の輝宗様にビビりまくってたときとは大違いだ。
「のう小十郎よ~」
「…………如何なされましたか?」
「少し休もうぞ、馬に揺られて寝るに眠れん」
「……………っ! 承知、致しましたぞ」
小十郎さんは言われた通り左手を上げて全軍停止を命じた。
そして、真から冷え入りそうな口調で呟いた。
「…………藤五郎殿」
「……はい、何でしょう??」
「これからの出来事は他言無用にお願いします。伊達の名誉に関わることでしょうからね」
「あぁ……畏まりました」
その形相で大体の察しは付いた。
どうやら、鬼の小十郎さんの堪忍袋の緒が切れたようです。
「政宗様、少しよろしいですか」
「…………んぁ? なんじゃ……?」
「陣容について相談がありますので”あの木陰”にてお話しましょう」
「な、何じゃ小十郎……? そんな恐い顔をして……なっ!? 何をする! 『離す』のじゃ小十郎!?」
「はい、ちゃんと『お話』しましょう。それはもう入念に、ね」
ザワつく将兵を余所にズルズルと政宗様を引きずりながら木陰に移動する小十郎様の後ろ姿と言ったら……悪鬼羅刹に比する恐ろしさであった。
「どうなされましたかぁ? 急に軍を止めて??」
「相馬兵でも現れたか? 藤五郎よ」
急な進軍停止により、殿を任されていた鬼庭左月爺さんと綱元さんが俺の前に馬を寄せた。
「ちょっと小十郎さんがお怒りになっちゃいましてね……事が済んだら戻ってくると思います」
「事が済んだらだと……? それはどういう──」
「イヤァアアァアアーーー! 許してくれぇ小十郎ーーーッッ!! もう(頭が)壊れてしまうからあああああ………ッッ!!!」
「………………こんな感じです」
「ハハハ……合点がいきましたぞ」
政宗様が調子に乗って酷い目に遭うのはお決まりのパターン。ザワついていた将兵も今の叫声で進軍を止めた理由を把握したようで、和やかな笑いが起こった。
「戦に赴くというに、若様も小十郎もまるで緊張感がないな」
「まぁまぁ、親父殿。それが伊達の良きところですぞ。戦前から気張っていては良き戦は出来ますまいにぃ」
「このままだと戦う前に総大将が死にそうですけどね……」
「もう許してぇえええッッ! ゆるじでぇぇぇぇ………っっ!!」
何処からともなく木霊するうら若き少女の金切り声は、蝉時雨と共鳴するかの如く、その後四半刻(三十分)余り続いた。
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「暑いなぁ……暑い暑い」
関東は常陸国、太田城は例年以上の猛暑に見舞われていた。
ジリジリと照りつける陽射しを避けるべく、男は部屋の陰に身を潜め、褌一丁のまま大の字で寝そべっている。
無数の傷跡が越えてきた激戦の数を物語り、鍛え抜かれた鋼の身体からは強者の余裕が溢れ出ていた。
「これだから夏は嫌いだ……暑すぎて叶わぬわ」
だが、今の男の顔付きは暑さに屈した猫のようにだらしなく、脱力して床に身を任せている。
男がわざわざ部屋の畳を全て取っ払って床を露わにさせたのも、ヒンヤリ冷えた床板で火照った身体を冷ます為のその場凌ぎの策である。
「蝉の奴も盛んに鳴きおって……余計暑く感じるぞぉ」
あちこちから絶え間なく聞こえるアブラゼミの騒音に気が滅入るお昼前。普段なら清涼を感じさせる白玉石が熱されて、縁側から覗く枯山水から熱波が揺らめいている。
多少風が吹けば幾らかマシだろうが今日に限って風は無く、ひたすらに上昇する室温に常陸一国を統べるこの男も苛立ちを募らせていた。
「おぉ殿や殿や、そのような姿で引き籠もっておられたか?」
「なんだ真壁か、今日だけはお主の暑苦しい髭面を見とうなかったわ」
「おうおう、言ってくれるわ」
布一枚で寝転んだままの男に、鴨居を優に超える大男が話し掛ける。この男もまた、身の丈に相応しい雄大な体躯を持ち合わせている。
「今は話し掛けてくれるな。暑さで何も頭に入ってこんからな」
「カッカッ、そうも言っておれんくなるぞ」
髭の大男が書状を取り出し、尤もらしく中身を朗読し始めた。
「──伊達が米沢より出でて、伊具に陣を構え候──」
「もうよい、内容が読めたわ」
一文を読み終える前に男は腰を起こした。
「上方が荒れておると言うにまた相馬を攻めるか……しつこいのぉ伊達は」
「カッカッ、全くだ。で、我々も相馬を助けに行くか??」
「知れたこと、田村を破り『奥州一統』を成したばかりだぞ? ここで動かねば諸将の信が揺らぐわ」
「ならばならば戻って兵を集めよう、なぁに二日もあれば──」
「…………いや、その必要はない」
「はぁ……?」
男は背丈の半分はあろうか長刀を頼りに立ち上がった。
「所詮は田舎侍共の小競り合い、俺の私兵だけで充分ぞ」
「それはそれは間違いなしっ! カッカッカッ!!」
意図を察して大男・真壁氏幹が腹を抱えて笑い転ける。関東一円に名を轟かせ『鬼真壁』と畏怖される剛者の大笑いだ。周囲の蝉たちが一斉に舞い、城から夏の音が失せた。
代わりに近くの河沼から飛来したであろうタンチョウが上空を舞い、乾いた声を響かせる。
「舞鶴の城に鶴が舞ったか、幸先善哉」
褌姿の男・佐竹義重はニヤリと笑んだ。
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