「伊達の総大将は輝宗の小倅と聞ぃたが、親父よりも戦上手じゃないかぁ?」
冥加山の東北東、山々の尾根に築かれた小斎砦の柵越しから冥加山を遠望する相馬義胤が口惜しそうに言った。
月に照らされ山陰が薄らと見えるだけの冥加山には、夜襲に備える篝火が夜空の星と交じって淡く煌めいている。
矢野目ノ原での戦から早くも一ヶ月が経ち、晩夏も過ぎて秋が深まる時期。今では戦線が完全に膠着、丸森城も金山城も伊達軍による包囲に耐え忍んでいるものの、もはや落城は時間の問題である。
「もうそろそろ、ヤツが来るってぇのに。本陣奪われて手を拱いてるって知られたら相馬百年の恥だぁな」
鉄軍配を頻りに叩いて苛立ちを募らせるのが義胤の悪癖だ。今はまだ片方の手を叩くのみだが、周囲に当たるようになれば手にも負えない。義胤の背後に控え、その癖を知る近習はいつ殿が暴れ出すのやらと気が気でなかった。
「殿っ! 門番より報告がございます!!」
「……なんだぁ、騒々しい」
チャカチャカと鎧の音を立てながら跪く伝者に悪寒が走ったのは義胤である。青ざめる主を構うこと無く、伝者はハッキリと告げた。
「さ、佐竹 常陸介様が、お、お見えになられました……!」
「なにぃ!? 義重殿自らここに来たのか!?」
「ハッ、兵を引き連れて、この場に参られました」
「…………分からん人だぁな、あん人は」
義胤は静かに天を見上げる。叢雲に見え隠れする名月を思い、目を閉じる。
「行くぞ、奴等を出迎ぇねばな」
意を決したように門前に向かう。
門に近付くにつれて、猛々しくも喧しい怒号も聞こえて始めた。
「おう、待ってましたぁぞ。義重殿」
門の先には馬上に松明を掲げた一団が所狭しと待ち構えていた。兵の数は三百といったところか、今から討ち入りでもしそうな物々しい雰囲気で夜陰を照らしている。
「久しゅうな、義胤。息災であったか?」
「変わらずだぁ、伊達もんに荒らされて困っておったところよぉ」
馬上を見上げ目を凝らした。
全身を防具で固め、素肌を一切を見せない重武装で佇む義重の姿に苦笑う。
彼は極度の暑がりで、常日頃から裸同然の生活を送っていることは義胤も知っている。
義胤の『義』の字もこの義重から友好の証にと賜った偏諱(自身の名前一文字を与え、繋がりを強めること)である。一字拝領の時も冬場にも関わらず夏服で現れ、クシャミの一つもしないで汗をダラダラと流すという異様な体質に大変驚いたものだ。
にも拘わらず、合戦になると顔すら面具で覆い、見るからに暑そうな虎毛皮の草摺が目立つ甲冑姿で戦場を暴れ回るのだから、戦終わりは汗で大変なことになっているのだろうなと苦笑せずにいられなかった。
「聞いたぞ聞いたぞ、戦初日に本陣を落とされたそうじゃないか? 伊達の若殿様はそんなに戦が強いのか?」
問われたくない台詞を一言目で発し、逆撫でするような煽り声でヒョコッと顔を出した大男に、義胤がジトッとした目つきで見返した。
「お主まで来ておったぁか。こんな厄介な男まで辺境の小競り合いに連れて来おって、義重殿も人が悪いだぁな」
「自分一人で良いと申したのだが……氏幹が「どうしても」と言うから仕方なくな。本当ならこんな暑苦しい男、顔を観たくもないわ」
「なんだなんだ、聞き捨てならねぇ言い草じゃねぇか。二人して鬼真壁の金砕棒を喰らいたいかァ?」
鬼ヶ島に住む悪鬼のような厳つい体躯に、主でもお構い無しな荒い口調の真壁氏幹。自身の背丈ほどの樫木に鋲をこれでもかと巻き付けた禍々しい金砕棒を背負う風貌はいつ見ても迫力がある。
味方ながら連れ従えた近習達が氏幹に対して身構えるのも無理はない。
「まぁよい。氏幹の言う通り、相馬勢の状況は芳しくないようだな」
「初戦で後手を踏みましたからぁな。輝宗や実元の小倅然り、若い将が思った以上の器でしてぇ、やり辛う御座いましたぁ」
「なんとなんと! 槍を使わぬ義胤殿が『槍辛い』か! カッハッハッ! 実に面白い言い回しだ、ツボに入ったわ!!」
一人腹の底から笑いこける男に呆れる男が二人。つい同時に溜息をついた。
「…………話が一向に進まぬぅな。立ち話もなんでしょうに、続きは城内で話すとゆっくりと致しましょうぞ」
「おぉおぉ!? 酒盛りか? 長旅で疲れてたんだ、気が利くじゃね~か義胤殿!」
「…………すまぬが、これより戦場となりそうな場所を下見せねばならぬでな。酒は氏幹と兵達に振る舞って欲しい」
「そうでござるぅか。佐竹の大将自ら見聞とは真面目なことぉでぇ~」
佐竹義重の癖で、戦前に自ら戦場を視察するのが習慣であった。昼の合戦が終われば夜中に陣を抜け出して、敵陣に赴くこともあったという。
「昼頃には戻る。それまで大人しくしておれよ。氏幹」
「おうさおうさ、酒でも呑んで気長に待っとるぜぇ!」
「援軍を頼んだが良いが……誠に大丈夫かぁのぉ……」
その場で甲冑を脱ぎ捨てた義重は、僅かな供回りを連れて夜陰に消えた。それを手を振りながら見送る氏幹の姿を間近に見ながら、相馬義胤は肩をすくめた。
~~~冥加山・伊達軍本陣~~~
夏を経て紅葉が色好き始めた秋半ば。
真っ青に生い茂っていた矢野目の原は黄金に実り、戦場から離れた農村からは早くも焼畑の煙が立ち昇っていた。変わらないものは、二つの城を囲む伊達軍と、緩やかな阿武隈川の流れだけである。
「暇じゃあ……」
「そうだな……」
胸のすくような濃い青が広がった秋空の下、冥加山から金山城を俯瞰するが昨日と同じく目立った変化はない。丸森城も同様だ。
「暇すぎるのじゃあ」
「あぁ……そうだな」
本陣の床几に背中を当て、仰け反るような体勢の政宗様がもう何千も口にしたであろう単語と共に溜息を吐いた。そして──
「暇だ暇だ暇だ暇だ暇だ暇だ暇だ暇だ暇だァアーーーー!! 暇すぎるのじゃーッ! 藤五郎ぉおおおッ!!」
「うるせぇっ!! お前の脳内辞書には『暇』しか単語が無いのかよっ!!」
我等が総大将はついに我慢の限界の時を迎えていた。
一ヶ月の間で少しだけ伸びた髪を乱獅子の如く振り回し、手を上下にジタバタと暴れ回る。
「またよく分からぬ言い回しをしおって、もう一ヶ月じゃぞ!? いつになったら戦が始まるのだ!!」
「知らねぇよ……輝宗様が「良いと言うまで城攻めするな」って言うんだから仕方ないだろうが」
初戦の勢いのまま城攻めが始まるかと思いきや、まるで最初から戦局を見越していたかのように、輝宗様から命令書が届いた。
その内容は次の指示があるまで戦をしてはならないという物であり、一ヶ月に渡って戦が膠着しているのも、この指示が原因であった。
「むぅ……父上も何故あのような書状を寄越したのじゃ。あのまま一息に攻めれば城など落ちたであろうに……!」
正直に言えば、この停戦命令は戦に参陣している全員が疑問に思ってることだ。今だって城を囲んでる小十郎さんや鬼庭親子からも「まだ開戦の書状は届かないのか?」って伝令が来る。
初日のあの勢いのまま両城に攻め込めばあっという間に城を落とせたはず、そうすれば今頃は戦も終わって米沢に帰っていたかもしれない。まぁ少なくとも、政宗様が「暇じゃあ」Bot化することは無かったろう。
「もう暇じゃ。暇すぎて暇になる……ならばいっそ暇をすれば暇になるのではないかぁ? そう暇わぬかぁ……? 暇五郎ぉ……??」
「やめろ、俺の脳を破壊しようとすんじゃねぇ」
我らが大将はたった一ヶ月本陣で待機してるだけで暇廃人になっちまったよ。
どうすんだコレ、伊達軍の総大将が使いもんにならなくなったのは割と致命的だろ。もう独断で城攻めした方が良いんじゃないか……?
「フ、フフフ……決めたぞ。我は決めたのじゃ、暇五郎よ」
「だから俺は『暇』五郎じゃねぇっての……で、何を決めたんだ?」
幽鬼の如くゆらゆらと徐に立ち上がる。
その瞳は怪しげな輝きを帯びて焦点がズレまくっていた。
───何かをやらかすつもりだ。
そう、瞬時に直感した。
「我は息抜きに出陣するぅ~!! もう暇になるのは嫌じゃあぁあ~!!!」
「やはりそう来たかっ! 逃がして堪るかぁあああ!!」
スタートダッシュを決めた政宗様が陣幕の外へ走り出した。当然、政宗様のこの程度の暴挙は想定済みだ。
本陣待機の兵士達には政宗様の無断出陣に絶対に従わないようにと既に厳命しておいてある。
残念だったな政宗様。
この本陣には総大将たる政宗様の命令に従う奴は何処にも居ないんだよっっ!!
「逃げても無駄だぞ! 観念しろっ!!」
「フッ、我の指示を誰も聞かないなど知っておるわ。だったら、我がやることは一つじゃ」
「──ッ!? まさか……おいバカッ!!」
馬小屋に直行かと思われた進路を大きく変えて、政宗様は防柵を跳び越えた。柵の向こうは急斜面、下った先を真っ直ぐ進めば、相馬軍が陣を張る『小斎砦』である。
「誰も命に従わぬなら『我一人』で出陣するのみだぁ!! 待っておれ相馬共ぉおおおおお!!!」
「このバカぁーーッッ! 戻って来ぉぉおおいーーいッッ!!」
断末魔のような雄叫びを上げながら、独眼龍はただ独り冥加山の麓に消えて行く。政宗様のありふれた暴走が新たな波乱を巻き起こそうとしていた。
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