「はぁ……なんか昨日よりドッと疲れた……」
「義姫様を引き留めるのにだいぶ苦労なされましたね 藤五郎殿」
「危うく馬に乗られそうになりましたからね……小十郎様が来てくれなかったら逃げられてましたわ」
「フッ、男二人を引きずる義姫様の姿、遠巻きに眺めてても愉快なものでしたよ」
「ホント性格悪いなぁ……小十郎さん」
政宗様が待つ陣への帰路は既に夕日で茜色となっていた。
あの後、本陣で錯乱した義姫様は小十郎さん等の伊達家臣達の面々により取り押さえられ『狐に化かされた』ってことで輝宗様の陣屋に封じ込まれ決着。
結局、今日は丸森城を攻めることもなく撤収、明日には攻略を諦め全軍撤退するとのことだ。
元々、この戦の主目標は『政宗様の初陣』
初陣はその者の安泰と武運を占う大事な儀式。武将として幸先良いスタートを切らせるために絶対に勝てる戦を選び、または事前に合戦相手と示し合わせて戦に臨む事が普通だとか。
つまり、今回の戦も最初から勝つことが決まっていた戦だったらしい。
昨日の戦果だけで目的は十分に果たされ、丸森城攻略の是可否は問題じゃ無くなったそうだ。
「最初から勝てる戦で、城攻めにも参加できるって初めから伝えとけば、政宗様も昨日のような暴挙に出なかったと思いますけど?」
「甘いですね、藤五郎殿」
俺と馬を並べる小十郎さんがほのかに笑む。
「政宗様がそれを知ったら「勝てる戦で戦果を挙げてはつまらぬ! もっと大きな功を立てるのじゃ!!」と申して、あらぬ行動をするに決まってましょう?」
あぁ……確かに、余裕で想像できる。
伝えても伝えなくても、どっちみち無茶な行動して最終的には小十郎さんに吊されるルートしか無さそうだわ。
「というか、こんなにのんびり帰って良いんですか? 今も政宗様は吊されたままですよね??」
「ええ……まぁ……それに関しては大丈夫かと。『あの人』が今頃、政宗様を甘やかしていることでしょうから……ね」
「あの人……?」
小十郎様の眼から光が消える。
『あの人』が政宗様を甘やかすって──もしかして、彼女のことか……?
「まさか、あの方も来てるんですか?」
「えぇ……義姫様に同伴していたようでしてね。ゆっくり帰っているのもそのせいですよ」
通りで義姫様が『女狐! 女狐!』って叫んでた訳だよ。義姫様はあの性格だし、政宗様を巡ってバチバチしてそうだもんなぁ、あの二人……。
「もう日が沈みますね。些かゆっくり過ぎました、馬を速めましょう」
「了解」
どこか遠いお寺から梵鐘が鳴り渡り、烏も山に帰り始める。小十郎と共に馬を走らせ十分弱、政宗様がいるはずの陣地が見えてきた。
当然、例の大木に政宗様の姿はない。代わりに掘っ立て小屋の中から政宗様の声が聞こえてくる。
「自分、あの人のこと苦手なんですよね……」
「ハハハ、私も昔から苦手ですよ」
恐る恐る小屋の戸を開けた、するとそこには。
「あらあら〜、お帰りなさ〜い」
予想通りと言いますか、政宗様ともう一人、彼女が座っていた。政宗様を大事そうに抱きかかえ、厚い着物でも隠せない母性の塊みたいなグラマラス体型のお姉さんである。
「む、ようやく帰ってきたのか二人とも! 喜多が居らねば、我の身体が紐とくっついてしまうとこじゃったぞ!?」
「今日もお勤めご苦労様〜。小十郎〜、それとふーちゃん」
「ご、ご無沙汰してます……喜多さん」
俺のことをふーちゃん(藤五郎→藤→藤ちゃん→ふーちゃん)と呼び、間延びした甘ったるい声色に白桃色のセミロングがほのかに揺れる。
彼女の名は片倉喜多。
そう、俺の隣にいる片倉小十郎さんの異父姉に当たる人で、政宗様の乳母と教育係を務めた女性である。
「遅れてしまい申し訳ありません、姉上」
「もう〜、姉上と堅い呼び方ではなく、もっと気さくに喜多と呼んで欲しいですよ? 小十郎」
「政宗様の御前故、私語は慎みませぬと……」
「ん〜、政ちゃんは気にしてないよね〜?」
「そうだぞ! 小十郎も喜多姉のことは喜多姉と呼ぶが──痛たたたあぁ!!」
「『きたねぇ』は駄目って言ったでしょう? でないとその可愛いほっぺた引き千切っちゃうわよ〜」
「ごへんなはい! ゆるひぃてくれぇ! き、喜多ぁ〜!!」
「うんうん、政ちゃんは聞き分けが良い子ね〜。よしよし♪」
「姉上……」
「アハハ……相変わらずだぁ、この人」
あの政宗様を骨抜きに、小十郎さんをも閉口させる喜多さんの自由っぷりは戦場でも健在だ。
こんなお淑やかな見た目でゆるふわ口調なのに、剣術師範級の実力者である小十郎様を遥かに凌ぐ剣の腕前。さらには武芸全般を嗜み、和歌や音楽、書道に茶道にも精通。さらには孫子に始まる武経七書等、多くの兵法書を一語一句、間違えることなく暗唱できる文武両道な才女だってんだから、人は見た目に依らなすぎる。
「ふふ、それにしても本当に久しぶりね、ふーちゃん。お正月に書き初めをした時以来かしら〜」
「そ、そうですね……その節はお世話になりました」
喜多さんに関しては俺も何度も会ったことあるし、ぶっちゃけ政宗様と一緒に兵法やら文芸の指導を受けていた。字の読み書きから武士の仕来り、年中行事や料理に至るまで、それはもう色々な事を喜多さんから教わったから、知人と言うよりか先生と生徒のような関係である。
「書き初めのときは大変だったわよね〜、ふーちゃんは字があまり上手くないから、教えるのに苦労したわ〜」
「ほんと、出来が悪くてすみません……」
「それとふーちゃんの『筆下ろし』、思い出すだけでも大変だったわ~。ふーちゃんの筆が大きくて硬かったから、私もついついムキになっちゃて〜」
「誤解を招く言い方ぁっ!?」
頬を赤らめて何言ってるんだこの人っ!? 普通に今年の抱負を大きな筆で書いただけだろうぉ! アンタの弟の小十郎さんが近くに居るんだから迂闊な事言わないでくれよぉ!!
「あ、あの! 小十郎さん!! 別に筆下ろしってイヤラシイ意味じゃなくてですね!?」
「安心なさい。この程度の戯言を信じていては、この義姉の弟など務まりませんよ」
「う〜ん? それはどういう意味かなぁ〜? 小十郎??」
この小十郎さんの澄み切った笑顔、この人も喜多さんに色々と苦労させられてきたんだろうなぁ……改めて同情致します、小十郎さん。
「その、喜多さん。つかぬ事をお聞きしますが、なんでこの陣地にいるんですか?」
「それはもちろん、政ちゃんの初陣だって言うから義姫ちゃんと一緒に来ちゃったのよ〜。あともう一つ、帰り道に『アレ』があるから、久々に政ちゃんと『アレ』に行きたいなぁ〜と思っちゃって、ね?」
なんか、良からぬ事を企んでそうな空気がヒシヒシと伝わってくる。小十郎さんも何か感じ取ったのか、二人して背筋を震わせた。
「む、アレとはなんだ? 喜多は我を何処に連れて行くのじゃ?」
「それはお楽しみよ〜。小十郎も、ふーちゃんも楽しみにしててね〜♪」
抱き枕が如くギュッと政宗様を抱きしめ、喜多さんは人差し指を唇に当てたまま、妙に含んだ笑みを浮かべた。
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