長きにわたる戦乱の世が、関白・豊臣秀吉の手により終焉を迎えようとしていた天正十八年(一五九十年)五月。
早くも初夏の陽が照りつけだした伊達領会津・黒川城に豊臣家からの書状が届いた。蘆名家攻略を成したばかりの伊達家は、ここに来て一族存亡の危機に直面している。
「猿めの書状……小十郎はどう見る?」
普段なら百人余りの家臣団を一堂に集められる黒川城の大広間には、俺を含めて三人しか居ない。
一人は伊達家の当主であり、奥羽百万石を統べる奥州の王・伊達政宗。
一人は『鬼の小十郎』の異名を取る重臣・片倉小十郎である。
「これは最後通告でしょう。相当お怒りのようですね、太閤様は」
「そうか……フフフ、ついに我は猿めを怒らせたか」
政宗様が小十郎さんに手渡した豊臣家からの書状。その内容は伊達家の服従と長年に渡り苦労して得た仙道地域と会津領の割譲すること、拒むのなら関東の北条共々、伊達領を蹂躙するという。
奥州随一の大大名に贈る言葉ではない終始高圧的な文面で綴られていた。
当然だ。
豊臣家が全国に発布した惣無事令(私戦の禁止令)を堂々と破った挙句、再三の上洛命令をも無視し続けているのだ。
関東の北条家が豊臣家によって今まさに執り行われている『征伐』で滅びれば、次の矛先はこの伊達家に向くのは必然である。
「関白の軍に屈するべきか、戦うべきか──ここにいる三人で決める。よいな? 小十郎??」
「私はそのつもりですよ。元よりここには三人しか居りませんからね」
「で、あるな! ハッハッハッハッ!!!」
伊達家の存亡を決める重要な決断を迫られている者とは思えないくらい、豪快に高笑う独眼龍。ここまで数多の強敵達と鎬を削り、数々の試練や困難を乗り越えてきた政宗様。
今回の件も、天下統一の野望を望むうえで立ちはだかる障壁の一つに過ぎないと、そう思わせるよう努めているのだろう。
まったく、政宗様は変わってないな。
内心は恐怖でビクビクしてるってのに……家臣達を不安にさせないように今も虚勢を張ってるだけなのだ。
その証拠に、政宗様の握りしめた拳が小刻みに震えていた。
「笑うほどの余裕があるとは恐れ入りました。よく私の教鞭を見ては泣き、怖れ、逃げ出していた政宗様が懐かしいものです」
「うっ、今でもたまに夢に出る……小十郎の鞭より恐ろしい物を我はまだ知らぬ。無論、猿めよりも恐ろしい」
「今回の件で政宗様が誤った選択をしたならば、今すぐにでも振るって差し上げますよ」
「…………………………覚悟しておこう」
二人の主従関係も相変わらずで、笑みを浮かべる小十郎さんが懐から一本の教鞭を覗かせたところ、政宗様が露骨に目を泳がせた。あの教鞭で何度泣かされたことやら……大人になった今でも容赦なく教育的指導(物理)をかましてくる小十郎さんには、俺も昔から参りっぱなしである。
「…………? さっきからずっと黙っておるな、何かと騒がしいお主らしくないぞ?」
「そのような覇気の無い面では『伊達の武』の誉が泣きますよ、藤五郎殿」
二人が俺に視線を向けた。
アンタらが勝手に雑談始めたから黙ってただけなのに、話を聞いていただけで酷い言われようだ。
「ちょっと、昔を思い出してな。形はどうであれ、あの豊臣秀吉から目を付けられるくらいに成長したんだなって、感傷気味になっちまったよ」
「ジジイみたいな台詞だな。まだ天下が治まっておらぬというに、昔に思いを馳せるのは戦が無くなってからに致せ」
「ふ、そうかい。んじゃあ腹は決まったんだな。政宗様」
「当然じゃ」
俺の問いに対して政宗様は不敵に笑う。
「話し合うまでも無く、初めから決まっておるのです。天下人と戦うは愚の骨頂、豊臣家に臣従を誓うより他は無い、と」
「──確かに、俺達だけであの豊臣軍には勝てない。今は素直に従って時期を待つべきだな」
論ずるまでもなく、俺と小十郎さんの意見は『秀吉の要求を受け入れる』ことで一致した。
豊臣に抗っても伊達は敗れ去るのみ、臣従すれば天下統一は遠ざかるが、史実通りなら秀吉もあと十年以内に死ぬ。その時まで伊達家は力を蓄えるのが最善の策である。
宣戦か臣従か──伊達家の命運を決める三人だけの話し合いは早々に決着が付きそうだ。
「そうよな、会議などするまでもなかった、か」
俺と小十郎さんの意見に頷く政宗様。
敵味方の戦力差を見極められないほど馬鹿じゃない、流石に今回は政宗様でも腹の内は臣従で決まっていたようだ。
昔の政宗様なら「絶対に戦う! 叩きのめしてやる!!」なんて言って聞かなかったろうに、人は成長するもんだと感心した。
「聞けっ! 皆の者!!」
パンと手を鳴らして、政宗様は声を張る。
「我と小十郎、そして『藤五郎』による話し合いの結果、我らはこれより小田原に参る。そして──」
その場ですくりと立ち上がり、襖の裏で控えている家臣達に号令した。
「豊臣家を──猿めを討ち果たす事と相成った!! 出陣の支度をせよっっ!!!」
俺と小十郎さんの意見を完全無視した政宗様は、そう高々と宣言した。
「「「おぉおおおおおおおッッッ!!!」」」
政宗様による豊臣家への宣戦布告により、襖の奥からやり取りを聞いていた家臣達が歓声をあげる。
「御意に御座る、政宗様!!」
「いよいよ豊臣と決戦か!!」
「我ら伊達の力、猿に見せつけてやろうぞ!!」
みんな豊臣家との戦を心待ちにしていたのか、歓喜と共に城内が慌ただしくなる。唖然とする俺の隣で、小十郎さんが「やはりそう来ましたか……」と深く溜息をついた。
「何か企んでいると思いましたが……こういうことですか」
「フッフッフッ……我は元より豊臣に降伏するつもりはない。この熱気、もはや家臣達は止められぬ。小十郎、そして藤五郎も大人しく戦の用意をするのじゃ!!」
あぁそうだ。俺の知ってる伊達政宗って『娘』は昔っから場を掻き乱す厄介な存在だった。
初陣の時も、人取橋の時も、摺上原の時も──政宗様が何かやる度に、俺は声を張り上げてこう言ってたっけ。
「おやめくださいっ! 政宗様っっ!!」
ってさ。
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