岩代国、信夫郡の大森城。
別名『臥牛城』とも言われるこの城は小高い丘の先端部に築かれた丘城で、名の通り『伏せた牛』の如く、南北に延びる尾根を利用して細長く造られた城だ。
政宗様を寝かせた南御殿から大手口に沿って山を登ると、俺の親父である伊達実元の居る本丸に辿り着く。
城の至る所に植えられた梅の木が実を成して、甘酸っぱい香りを浴びながらの軽い登山。頂上に近付くにつれて陽気な風が肌寒くなり、自然と身が引き締まる。
「親父さんか……やっぱ慣れないなぁ」
俺の本当の父はとっくの未来に他界してるけど、この世界じゃあ大森城で存命中。藤五郎の肉体的には親でも、精神的には親じゃないっていうのがややこしい。
「養子に貰われた人の気持ちって、こんな感じなのかな?」みたいな思考に耽りながら、俺は本丸の棟門を通った。
「はぁ! はぁ!! お、お待ちしておりましたぞぉ! 若様っ!!」
「げっ…………アンタは…………」
門を通って即、門隅の死角から呼び止められた。大抵門を通るときに呼び止めてくる相手といったら門番と相場が決まってるものだが、残念ながらその類いじゃない。
筋骨隆々、肌黒モリモリマッチョマン。それでいて隆起が激しい胸板にまで伸びる仙人のような白髭と、雷神のように逆立った白髪の爺さん。どっからどう見ても門番に見えない濃ゆい風貌の彼は、伊達実元の重臣であり、俺が苦手とする部類の一人だ。
「お久しゅう御座いますなぁ若様ぁ!! この伊庭野 遠江、若様が戻ると聞いて、お姿が見えるまで城内を走り続けてましたぞぉ!!!」
まだ肌寒いこの季節に上半身を脱ぎ捨てて、全身テッカテカの汗まみれになってるこの爺さんは伊庭野 遠江守 。家老として親父に仕えてる重臣である。
「相変わらずお元気そうですね……い、伊庭野さん」
「ダッハッハッ! 元気こそ遠江の取り柄ですからのぉお!! 若様も共に走りませぬか!?」
「謹んで遠慮させて頂きますわ」
やっぱこのハイテンションじーさんは苦手だ、無駄に暑苦しいノリが俺の嫌悪感を刺激しやがる。
「冗談ですわい! 若様は殿に用が御座いましょう!? ワシが殿の元へ案内しますぞ!!」
「いやぁ……それも遠慮しときますよ」
「畏まった! では僭越ながら部屋まで案内致しますぞ! どうぞこちらに!!」
「いや、だから一人で行けるって……」
「足元お気を付けくだされぇいぃ! ワシはよくこの段差で転びそうになりますからなぁ! ダッハッハッ!!」
「人の話を聞いてぇ!!」
もう駄目だ、この人に見つかったのが運の尽きってことで諦めて素直に案内されよう。
こんな時、政宗様と一緒に過ごしてきて良かったなって思える。人の話を聞かない輩の対処、及び耐性がついたのは彼女のお陰だからな。
「若様が参られましたぞぉお!! 若様が! 大森城に!! 帰ってきましたぞぉ!! 皆の衆よぉおお!!!」
「我慢だ我慢……この程度の屈辱、屈するわけにはいかねぇ……!」
屋敷に入ってからも伊庭野爺さんのターンは続いている。
なんでイチイチ叫びながら移動するんだよぉ、城内に居る人が何事かと集まって来てるじゃねぇか。
「何もそんなに大声出さなくても……」
「なんの! 皆も帰りを心待ちにしておったのですぞ!? 城の者全員に報せるがワシの役目でございますからのぉ!!」
「いやみんなドン引きしてるじゃねぇですか……」
通り過ぎる人達の奇異な視線が身に刺さる。さながら選挙カーに乗ってる付き人の気分、この人とずっと一緒にいたら頭がおかしくなりそうだ。
「お! 見えましたぞ若様!! あそこが殿が居る部屋でございます!!」
「や、やった……良く耐えきったぞ俺っ!」
短くも濃厚な伊庭野爺さんとの同伴イベントが親父のいる書斎前に到達したことにより無事終了、あんな恥辱にまみれたイベントはもう二度と御免である。
「殿っ! 若様がお見えになりましたぞ!」
返事もないまま勢いよく襖を開いた伊庭野爺さん。部屋の中には俺達をジッと見やるダンディーオヤジが佇んでいた。
「来たか……待っておったぞ、成実」
書を認めつつ、ジトッとした目つきで顎髭をなぞるのが俺の、藤五郎の父である伊達 兵部大輔 実元だ。
ゲッソリと痩せこけた外見だがギロリと鋭い鷹のような眼差し。伊達家の闇を知り、裏を牛耳っていそうな迫力。伊達に隣国との争い絶えないこの最前線に身を置く重鎮なだけあって、威厳が半端ない。
「相変わらず喧しぃな、遠江。お主等が屋敷に入る前から声が響いておったぞ」
「なんと!? 左様でござったか! あまり大きな声は出していなかったと思うのですがのぉ!」
「老いて耳が悪くなっただけだろう? もうお主は城外でも走っておれ、喧しくて敵わぬ」
「ハハッ! では若様! ワシは外を走ってまいりますゆえ、何かあればまたお声かけくだされぇっ!!」
「それでわぁああああ!!!!!」と、縁側から竹柵を乗り越え何処かに消え失せた伊庭野爺さん。最初から最後までハイテンションのまま押し切りやがったなぁ……あの活力と気合いはどっから沸いてるんだか、もう齢六十超えの爺さんな筈なんだけど。
「お前が何故ここに来たのか見当はついておる。まぁ、座るがいい」
「う、ウッス」
関係は実の親子なんだけど、面と向かわれると赤の他人より何倍も緊張する。
「成実に家督を譲ってはどうか──そう輝宗様から提案されたが、お前がここに来た要件もそのことだろう? 違うか??」
「は、はい! その通りです──ち、父上……」
なんか、この身に穴が空きそうな眼光に当てられると全てを見透かされてる気分になる。それでいて表情の変化が無いから何を考えているか読み取れない。
親父というよりか厳格な恐い上司とやり取りしてる気分になるぜ……。
「それと、政宗様がお前と共に来たと聞いたが、誠か?」
「え、まぁ……はい。一緒にってか、付いてきたっていうか……」
「そうか──ならば」
親父は立ち上がり、誰も居ないか確認すると部屋の戸を全て閉じた。外光が遮断されて真夜中と錯覚しそうな真っ暗闇と静寂に、蝋燭の灯火だけが不気味に揺らめいていた。
親子との対談だよな……これ? なんか、今から闇取引が始まりそうなシチュエーションじゃないか……これ?
「お前に伝えねばならぬことがある、俺の夢についてだ」
「ゆ、夢……?」
嘘だろ、今から父親の夢語りが始まるんですか? 今にも怪談話が始まりそうな蠟燭だけの不気味な空間で?? 新手のホラーじゃね???
「米沢に送る前に話したが、覚えておるか?」
「俺を、米沢に送った理由……?」
「そうだ。お前を若……政宗様に近づけさせたのもその為だ」
俺がこの世界で目覚めたのは米沢に送られた後、その前の記憶なんて当然無い。だから、俺が政宗様と会う理由なんてもちろん初耳だ。
一瞬だけ間を置いた親父は胃に響くかのような重厚な声で言う。
「俺の夢は──『我が一族』で伊達家当主の座を奪い取ること、その為にお前は政宗様に近づき、何としても当主の座を奪え──俺はそう申したな?」
「…………………………え?」
親父からのその台詞に、俺の心は風に当てれた蠟燭の灯火のように激しく動揺した。
「伊達家を、乗っ取るため……?」
「そうだ。その為にお主を差し向けた。よもや忘れたとは言わせぬぞ」
微動だにしない親父の視線が俺の焦りを増長させた。この人は本気だ。本気で伊達を乗っ取ろうって眼をしてる。
「乗っ取りって……本気か?」
「政宗様を当主とする、そう輝宗様が宣言した時からから考えていたことだ。上杉家当主という俺の未来を潰した忌まわしき晴宗の孫を利用すれば、我が息子が伊達を乗っ取ることが出来る、とな」
表情に出さずとも、宗家に対する憎悪と怒りが伝わってくる。
かの名門・上杉家の養子となるはずだった親父。だが、政宗様の祖父・伊達晴宗の起こした天文の乱で養子入りの件は幻に消え、親父も晴宗に抵抗したが、六年に及ぶ大乱は晴宗方の優位な講話で決着。乱終結後に親父は晴宗に降伏した。
伊達を超える名家を継ぐ筈だった人生も消え、残ったのは上杉家から送られた名刀『宇佐美長光』と『竹に雀』の家紋だけである。
その事が尾を引き、乱終結から三十年近くたった今も、親父は宗家を恨んでいると噂されていた。その噂が紛れもない事実なんだと、この場で改めて気付かされる。
「その様子では、上手くいっていないようだな」
「そりゃあ……乗っ取りだなんてそんなこと……」
「オレもいつ死ぬか判らぬ。早く覚悟を決めるのだ、成実」
「覚悟……?」
「この城に政宗様が居るなら好都合、この薬を使って今夜中にでも寝込みを襲い、ケリをつけろ」
「ケリをつける…………だとっ!?」
袖から出てきたのは掌サイズの薬箱。
話の流れ的につまりこれは毒の類で、今夜にでも政宗様に呑ませて殺せってことだよな。
覚悟を決めろ?
ケリをつけろ!?
政宗様を殺すだなんて、んなこと出来るはずねぇだろ!!
「俺は政宗様に忠義を誓うって約束した、政宗様と一緒に天下を取るって……なのに、寝込みを襲うなんて真似、出来るわけねぇだろ!!」
「なんだと……?」
俺は激昂した、自分でも驚くほどに。
政宗様を襲い、俺が当主に成り代わろうなんて考えたことすらない。
確かに、政宗様の突拍子もない無茶にいつも振り回されて迷惑してるし、政宗様の理不尽すぎる言動に辟易もしてるし、政宗様の命令で何度も死にかけたり酷い目に遭ってきたが。それでもこの四年間、政宗様に天下を取らせようと俺なりに努力してきて、この前の初陣で天下人の片鱗を見せつけられたばかりなんだよ。
誰が何と言おうが、たとえ親父が相手でも政宗様に刃を向ける奴は容赦はしない。そう、決めたんだ。
「俺は政宗様を護り通すって、何があろうとずっと側にいるって本人に約束したんだ。親父が主家を乗っ取りたいなら勝手にすれば良い、俺は絶対に協力しないからな!」
更に声を荒くして、俺が吐き捨てるように言う。すると、親父は目を見開いて。
「なんだと、もう一度申してみよ」
「だから! 俺は親父だろうが政宗様を裏切るなら容赦は──」
「違うっ! その前の言葉だ!!」
「…………………はぁ?」
いきなり親父が俺の襟を引っ張り、鷹の眼をクワッと開いて顔を寄せてきた。
「何があろうと側にいる──そう当人と約束したのだな!?」
「え、あぁ…………そう……ですけど」
「そ、それで! 政宗様はなんと申した!?」
「た、頼りにしてるぞってだけ」
「おぉそうか……! そこまでの仲になったか……っ!! 出来したぞ! 成実ぇっ!!」
な、なんだ……? なんで親父は拳握って全力ガッツポーズ決めてるんだ?
主家を乗っ取るのが夢なんだろ、なんで政宗様と仲良くなったのにこんな喜んでるんだ?
「お前達の話をめっきり聞かなかったからな、よもや政宗様とお前が不仲ではないかと心配しておったぞ」
「な、なんでそんな心配を? 伊達家を乗っ取るって話じゃなかったか?」
「ん? 何か勘違いしておるか? 確かに主家を乗っ取ると言ったが、武力で乗っ取るなど愚かな真似はせん」
「じゃあ、どうやって……」
「ふっ、惚けおって……」
親父は照れたように髭を整えると、俺の肩にポンと手を置いた。
「政宗様は女子、お前が政宗様に婿入りすれば主家を乗っ取ったも同然、奴が最も嫌った方法で権力を奪う。これほど愉快な策もあるまい」
「え、婿入り……? 俺が政宗様に……??」
「そうだ、ちょうど舶来より渡った『かかお』なる種を粉にしたという南蛮の惚れ薬も手に入った。今夜にでもこれを湯で溶かして政宗様に飲ませれば、本丸は落ちたも同然だろう? クックックッ」
「寝込みを襲って下ネタ的な意味でかよ!!」
そう、親父は三下悪代官っぽい台詞でほくそ笑んだ。
さっきまでの歴戦の武士感は何処に行ったのか、今の発言で俺が懐いていた親父の格が五段階くらい下がっちまった。
「てか、俺と政宗様は従兄弟なのに嫁入りとか出来ないんじゃ……?」
「心配するな、オレの妻は晴宗の娘だが上手くやっている。子を成せるし問題ない」
いやいや、親父と晴宗って兄弟だよな? 即ち姪と結婚したってことなのか? 世間の目がヤバそうなんですがそれは……。
※後々知ったが、伊達家は親類同士で結婚なんて当たり前、それどころか周辺地域の有力大名や豪族も殆ど血縁関係で、この前戦った相馬家も元を辿れば伊達の親戚だってんだからビックリだよ。上流階級の血統図歪みすぎだろ壊れるなぁ。
「ていうか、元々家督を譲るかどうかの話は……?」
「お前と政宗様が晴れて結ばれれば家督などどうでも良かろう?」
「あーそうっすか……」
俺がここに来た目的がサラッと片付けられちまったが、確かにもうどうでも良い案件だ。
俺と政宗様が結婚だなんて武略で乗っ取ること以上にあり得ない、政宗様に忠誠を誓ってはいるけども、それは主従の関係であって恋愛的な意味合いはこれっぽっちも持ち合わせてないからな。
向こうだって俺から恋愛感情を向けられても迷惑に思うだけだろうし、それに──
「結婚相手は親が決めるもの、万が一に俺達が相思相愛になって結婚しようとしても、輝宗様が黙って無いよな?」
この時代の婚姻とは家と家の結び付きを強めるもので、伊達家ほどの名家ともなれば当人同士の自由な恋愛結婚などあり得ないことだ。
それも親類で主君と家臣の関係、誰が認めるって言うんだが。
「フッ、それは愚問だな、成実」
と、この時代の当たり前を述べた筈なのに親父はただ一笑した。
「政宗様はあの晴宗の孫だぞ? 好いた者がおれば親が引き留めようが強引にでも婿にするに決まっておるわ。なにせ、自分が恋い焦がれた姫を無理矢理攫って、自分の嫁とした男の血筋なのだからな」
親父が不敵に笑み、蠟燭の火にフッと息を吹きかける。
「オレの野望のため、政宗様には何としてでもお前に惚れていだく。その為なら手段は選ばぬぞ」
暗闇に包まれた部屋の中、僅かに漏れた外の光が親父の薄ら笑う口元だけを照らしていた。
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