「政宗様、今すぐに城を捨てて逃げましょう! 今ならまだ間に合うから!」
「………………逃げる、か」
政宗様は相馬の軍勢を見据えたまま囁いた。
あぁ、分かってる。この場面で政宗様に『逃げる』なんてネガティブな言い方をするのは悪手であると。
「我は逃げぬぞ、藤五郎」
「………………は?」
ニッと不穏な笑みを浮かべるや、政宗様は腰太刀を抜いた。
「狼狽えるな! 伊達の兵どもよ!!」
男ばかりの戦場では女性特有の甲高い清音がよく響く。
混乱を切り裂く政宗様の呼号で場が一瞬にして鎮まった。
「この戦は丸森城の攻略が目的、あの敵軍が丸森城に向かえば戦の勝敗は分からぬ。だが! 逆撃に転じて討ち崩せば、我らの武功が末代まで語られようぞ!!」
──武功が末代まで語られる。
この一言で兵士達の空気が一変した。
この時代の武士の行動原理は『一所懸命』。先祖代々受け継がれてきた所領を何がなんでも命懸けで守り抜くことだ。それと同じく、武士達にとって名誉や武功は喉から手が出るほど欲しいものである。
それこそ、金や女や睡眠を捨ててまで欲する価値があると考えてる者が多い。
何故なら武功を上げれば主家に重用されるし、主家が滅びたとしても、名誉と武功次第では所領安堵をしてもらいやすいからだ。
最悪、所領を失っても戦で手柄を挙げた者に与えられる『感状』があれば、再就職時でのアピールポイントにもなる。
ついさっきまで城を落として狂喜乱舞していたのも、少数で城を落としたという派手な武功を挙げられたからに他ならないのだ。
「武功を上げたくば我に続け! この戦を我らの手で勝たせようぞ!!」
つまり何が言いたいかって?
『少数で大軍を足止め、ひいては撃ち破る』っていう末代まで語れる武功が目の前にあるのに逃げ出す武士がいるのか? ってことだよ。
生憎、この部隊は金で雇われた農民や傭兵ではない。政宗様を護衛する為に選ばれた『伊達家屈指の精鋭部隊』『全員がそれぞれの所領を持つ、根っからの武士達』なのだ。
「「「「「おぉぉぉぉぉぉおおおおおーーーーッッッッ!!!!」」」」」
金山城一帯に荒々しい雄叫びが轟いた。
それはもう数千人もの鬨の声に聞き間違いそうな咆哮で、地面が軽く揺れている。
ヤル気に火が付いちまえば誰も彼等を止められる奴はいない。流石は奥州一の名門・伊達家の次期当主なだけはある。女の身でありながら兵士の心を掴むのがお上手なことで……………ッッッて! 感心してる場合じゃねーだろぉおお!!
「戦うなんて正気か!? あんなのと真正面から戦っても勝てるはずないだろ!!」
「誰も真正面から戦うとは言っておらぬぞ、そのような愚かな真似を我がすると思ったか??」
「アンタならやりかねないでしょうが! 今は逃げるのが先決、マジで初陣で死ぬぞ!?」
「フ…………初陣で死ぬことこそ愚の骨頂。我は天下を取るまで死なぬ」
大見得をきり、政宗様が俺に振り返る。
「安心せい藤五郎、我に必勝の策ありだ」
接近する相馬軍を見下ろす政宗様の眼光に普段のおちゃらけた雰囲気は一切なく、目前に迫った敵軍ではない遥か先の未来を見据えているかのような、そんな瞳をしていた。
(…………まったく、この人は──)
何を言っても無駄なのは最初から分かっている。こんな時、小十郎さんなら、
『主が愚かな行為をしようものなら、多少痛めつけて縛り上げてでも正すべきです。それが忠臣というものですよ』
なんて言うだろうな。
でも、主であり女の子でもある政宗様にそんなSMじみた真似は出来そうにないです。
「わかりましたよ、政宗様。作戦ってなんですか?」
「フッ、それはじゃな…………」
政宗様が愚かな行為を働いてその身に危機迫ったのなら、俺が命懸けで彼女を護り通せばいい。
そう決意したのはこの日からだ。
~~~~~~~~
「一大事です!! 小十郎様!!!」
「なんですか、騒々しいですね」
丸森城の門の間際まで迫り、今まさに攻め掛からんとしたその時である。丸森城表口の攻略を任されていた小十郎の元に伝令が駆け寄った。
「どうしましたか? かなり慌ててるようですが……?」
「あ、いや、そのですな……」
いつ如何なる時でも、相手が伝令でも小十郎の口調は変わらず柔らかい。敵も味方も、小十郎の兜に付けられた三日月と『愛宕山 大権現 守護所』の前立て、品があり常に笑みを含んだ彼の面立ちに魅入ってしまうのだ。
「今から城に攻め入る所です、要件は手短にお願いしますね」
「は、ハイッ! 実は若様が……」
「若様…………?」
若様の単語を耳にした途端、小十郎の纏う空気が変わった。
「政宗様が、どうなされたのですか?」
「その、城を落とすべく手勢を率いて出陣したとのことでして……」
「なんだと……?」
眉をピクリとだけ動かし、笑顔のまま伝令の顔を凝視した。
「政宗様がここに向かっている、ということですか?」
「い、いいえ! 若様はこの城の隣にある金山城に向かっておりますれば……」
「そうですか……分かりました」
小十郎の表情は変わらないまま少しばかり思考し、伝令に命を下した。
「ではその足で隣に布陣する左月斎様に「予想通りの事態が起きたので我が兵の指揮を任せます」と伝えにいってください」
「か、畏まりました……」
変わらず口振りは穏やかだが目は笑っていない。伝令が逃げるようにその場を離れると、小十郎は持っていた指揮棒を真っ二つに叩き折り、
「さて、どう仕置きしてやりましょうかね……フハハ……ハッハッハッ!!!」
小十郎の高笑い、同時に供廻が後退った。
長年、小十郎に付き従う彼等だからこそ分かる。小十郎が大声で笑うときは激怒しているからで、声が大きいほど怒りの度合いも高くなる。今日の笑い声は戦場の何処にいても聞こえるくらい、大きな声量であった。
「今日はまた一段と大声で笑っておられますなぁ小十郎殿。また若君が何かやらかしたのですかなぁ?」
小十郎の元に馬を並べるは、桶側 縦矧胴の当世具足、兜からチラリと糸目を覗かせ、小十郎に負けず劣らず眉目秀麗な優男だ。
「これは綱元殿ですか? いやはや、お恥ずかしいところをお見せ致しました」
片倉隊の真横に布陣していた鬼庭 綱元。
あの伊達家重臣・鬼庭左月斎の一人息子で、小十郎にとっては八つ上の兄と呼べる程の仲である。
「若君は我が父も手を焼く稀代の曲者、小十郎殿の心中をお察し致しますなぁ」
「政宗様を稀代の曲者とは、たとえ綱元殿であっても聞き捨てなりませんね」
「おっと誤解なされるなぁ、この乱世で飛躍するなら曲者くらいが丁度良い。むしろ、私は大殿を超える大器と目利きしておりますぞぉ?」
「…………まったく、あなた方『姉弟』は本当に政宗様を高く評価しておられる。私にはまだ計りかねておりますが」
「ハハハ、姉上の溺愛加減は流石に及びませんよぉ」
矢弾が飛び交う城門前で他愛のない雑談を交わす馬上の二人──と、そうこうしているうちに城門に取り付き、片倉隊が運河の如く城門に殺到した。
「御味方が城門を壊しに入りましたかぁ。ここに来たのは他でもない、片倉隊は私が受け持ちますゆえ、小十郎殿は早く政宗様の所へ向かわれるがよろしいぞぉ」
「…………もう、耳に入っておりましたか」
「────若様の向かった場所は敵が固めた『隅』。寄せられる前に助けねば、石が死にます。ささ、早く行きなされぇ」
「…………っ! かたじけない、綱元殿」
間延びした声に勧められるまま、小十郎はその場に居合わせた味方を数十人ばかり引き連れ駆けだした。
指揮官が替われば部隊の統制は乱れるもの。だが、綱元は小十郎と変わらぬ采配で片倉隊を指揮し、兵士達も指揮官が変わったことすら気付かない。
「初陣ながら若様は誠に面白い手を打たれる。これは将来化けるやもしれませんなぁ」
その糸のような視線を懸命に戦う片倉隊に向けながら、綱元は薄く笑みを浮かべた。
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