俺達の初陣から丁度一年後、天正十年(1582年) 六月。
それは日ノ本全土を震撼させる歴史的な大事件であった。
尾張統一を皮切りに、僅か一代で畿内を掌握した稀代の英傑・織田信長が京都の本能寺にて謀反に遭い、四十九年の生涯を突如として終えたのだ。
天下布武を掲げ、畿内一円を支配下に置き、将軍を都から追放、数ヶ月前に甲斐の武田家を滅ぼしたばかり、旭日昇天の勢いで日ノ本統一に邁進していた織田家を襲ったこの出来事は畿内から遠く離れた東北の地にも深い衝撃を与えた。
特に、次の天下人だと予測して織田家と友好を深めていた伊達家にとって、信長の死は外交戦略を根本から見直さざるを得ない一大事である。
そのため本能寺の変がもたらされてからここ数日間、米沢城では畿内からの事実かどうかも分からない情報に踊らされ、諸国との外交についての会議が夜通し繰り広げられ、雨が降ったり止んだりな近頃の天候と同期するかのような狂乱に包まれていた。
「やっぱ、信長の死ってとんでもない出来事だったんだな」
重要書類を持って近習が廊下を右往左往。
閉ざされた部屋から猛々しい猛声が飛び交い。
重臣達が伝者を引っ切り無しに送り、または出迎え。
近隣の国人達が輝宗様に会うために何時間も並び、列を成している。
城庭の岩に腰掛け、混乱した現場を遠巻きに眺める俺は事の重大さに改めて気付かされた。
教科書だとほんの数行で片付けられる出来事が、当事者からすれば自分の人生を一変させるかもしれないことを──皆、先が読めない不安と戦いながら今を生き抜こうと必死で足掻いているのだ。
「本能寺が起きたのが一、二週間前だから、今頃、秀吉さんが光秀を討ってる頃か? なんにせよ、この騒ぎはまだ続きそうだな」
信長を討った明智光秀は、中国大返しを敢行した羽柴秀吉との戦にて敗死。以降、信長の天下統一事業は秀吉によって成されることとなる。
本能寺の変を含め、この先の歴史がどうなるのかを漠然と知ってる俺からすればこの騒動は完全に第三者目線、アリの生態を観察をしてるような気分である。
「うぐぅ……っ! 何故なのじゃあ、何故亡くなってしまったのじゃあ! 信長公っっ!!」
そんな俺の隣で恐らく米沢城内で唯一、信長公の死に涙を流している少女がいた。
口を開けば「信長公、信長公」と泣き喚く政宗様、そろそろ彼女の慟哭が鬱陶しくなってきたわ。
「信長が死んでからもう何日も経つんだから、いい加減泣き止めって」
「だって……我の憧れで目標たる信長公が亡くなってしまったのじゃぞ? これが泣かずにいられるかぁ! 我が手で『明智』とやらの頸を刎ねたいくらいじゃあ!!」
と、左眼をシワッシワにしながらも号泣する熱狂的な信長ファンが一人。会ったことも顔すら知らない東北の少女に死を嘆かれるなんて、信長公も思いもしなかったろうな。
「近い将来、我が当主となったら信長公に会いに行きたかったのに……無念じゃ……」
「流石にここから安土京都は遠いからなぁ……会えなくて残念だけど、切り替えていこうって」
「うむ、そうじゃなぁ……うぐぅ……」
もう見るからにテンションが低い、普段のアホみたいに放出してる覇気は何処に行ったんだか。ここは少しでも主をポジティブにさせるような話題をするべきだな。
「ともかくだ。信長という絶対的な存在が居なくなった今こそ、伊達が天下に羽ばたく好機だと思わないか?」
「………グスッ……無論じゃ」
過ぎたことを悔やんでも仕方ない、悲しみに暮れるのは程々にしないと前には進めないのだ。
「それに、信長を討った明智光秀も近々討たれるから心配するなって」
「またそれじゃ、信長公が亡くなることも前々から言っておったし、何故に藤五郎は遠く畿内の情勢が手に取るように分かるのじゃ??」
「うーん……義務教育のおかげ……かな」
「はぁ……そうやって、いつもよくわからん言葉で誤魔化すのじゃ」
誤魔化すも何も事実なんだからしゃーない。むしろ「俺は未来から来たからこの先の歴史を知ってます」なんて馬鹿正直に答えても信じないだろうに。
「ちなみにじゃが、その明智を討ち取った『秀吉』とやらが、信長公に変わって次の天下人になるのか?」
「多分な、今後そうなる気がするよ」
ここまでは史実通りでも、これから先が必ずしも同じ結果になるとは限らない。俺がこの世界に来たという事象が影響して、全く違う歴史を歩むかもしれないからだ。所謂、バタフライ効果って奴である。
「だから、今俺達がやることは信長の死を嘆くよりも、この混乱を上手く立ち回る術を考えることじゃないか?」
「…………言われずとも、分かっておるわ」
政宗様が親指で涙を拭き取る。シワシワな左眼には己が成すべき大望の火が灯っていた。
「我等は未だ仙道(現在の中通り)制覇すら成しておらぬのだ。信長公亡き後は再び乱世となろう、この隙を見逃しては天下統一など夢物語ぞ」
政宗様が頬を叩いて歩き出す、その足先は輝宗様の部屋に向いていた。
「この機に仙道制覇に乗り出すよう父上に進言するぞ。我に続け、藤五郎よ」
「おう、了解だ」
どうやら、信長公の死に関しては吹っ切れたようだ。畿内で起きた日本史屈指の大事件によって、東北の龍が静かに動き出そうとしていた。
「てか、こんなに人が多いと輝宗様に会える気がしないな……」
やはりと言うべきか、輝宗様の部屋に向かう廊下は各地の国人、豪族、他家の使者でごった返している。この行列に今から並ぶのは辟易する。
「案ずるな、藤五郎」
そんな彼等を横目に政宗様はズカズカと進み、足取りを一切止める気がない。
「此度は伊達にとっての一大事じゃ。並ぶ時間が惜しい」
「いや待ってる人を無視して先に会うのはダメだろ、倫理的にさ」
「我は伊達の次期当主なのじゃ、我が今すぐに話したいと言えば父上も無下には出来まい」
そう、政宗様は振り返り様にニヤリと笑んだ。
~~~四半刻(30分)後~~~
「うっぐぅうぅ……父上に叱られてしもうたのじゃぁ……」
「だから言っただろ、待ってる人を無視しちゃダメだろって」
「それでも! あんなに怒鳴らなくても良いではないか! 我はただ、伊達のためを思ってぇ……ッ! 思っでおるのにぃ……ッ!!」
「はいはいヨシヨシ、泣かないでね~政宗様~」
先程と同じく城庭の岩に腰掛け、泣き崩れる政宗様を慰める。
自信満々で部屋に赴いた政宗様であったが、襖を開けた途端に輝宗様から「遠くから来た人達を差し置いてぇ順番を無視すんなぁ! 伊達の跡取りがンなことすじゃねぇべっ!!」と至極真っ当なお叱りを受けてしまい、何も話せぬまま政宗様はすっかり意気消沈してしまった。
「順番が来たら話を聞くって言ってたんだ、ちゃんと列に並ぼうぜ」
「もう嫌じゃ……今日はもう父上に怒られるのは嫌なのじゃ」
「ホント、一度弱気になるととことん落ちてくよな、政宗様」
せっかく信長の死から立ち直ったと思ったのに結局振り出しに戻ってしまったな。もう一度元気を取り戻して欲しいところだが、はてさて……。
「────おや? 何故このようなところで若様が泣いておられますか?」
「あらあら、人がいっぱい居るところで泣いちゃダメですよ~」
「お、お主達はっ──むぐうぅ~ッッ!?」
と、悲しみに暮れる政宗様を有り余る母性が包み込む。全体に向日葵が施された風変わりな振り袖?姿の喜多さんと、棋士を思わせる羽織袴の糸目な優男が俺達の前に姿を現した。
「お元気そうで何よりですなぁ、成実殿」
「どうもです、綱元さん。お姉さんにはお世話になってます」
「こちらこそ、いつも姉が苦労を掛けますなぁ」
戦国時代の草食系男子かと思わせる『爽やか』かつ『柔か』な物腰、本を片手に学者然と接してくるは、あの鬼庭左月爺さんの嫡男、鬼庭家の現当主でもある鬼庭綱元さんだ。
小十郎さんと同じく喜多さんを『姉』と呼ぶその訳は、喜多さんの父親が何を隠そう左月爺さんで元綱さんと喜多さんは腹違いの姉弟なのである。喜多さんの母親が左月爺さんと離婚後に片倉家へ嫁ぎ、小十郎さんを産んだせいでこのような間柄となったのだとか。
血縁関係が複雑怪奇で定評のある伊達縁者の例に漏れず、この人達も色々と抱えてらっしゃる。
「むぐぅ!! むー! むぅ……っ!」
「姉上、そろそろ政宗様をお離しくだされぇ。とても辛そうにしておりますぞぉ?」
「あらあら~ごめんなさい。久々の抱擁でつい力を入れ過ぎちゃったわ~」
「はぁっはぁっ……た、助かったぞ、綱元よ」
「いえいえ、大したことはしておりませんよぉ」
喜多お姉さんによる愛の抱擁をやんわりと止めさせ、紳士らしい落ち着き払った対応は個性豊かすぎる伊達の面々と違って実に安心する。
小十郎さんには悪いけど、この人が政宗様の教育係だったらもっと落ち着いた女の子に育ったんじゃないかなって、つい最近までそう思ってました。
「成実殿の話、聞き及んでおりますぞぉ」
「え、何がですか?」
コホンと声を整えた綱元さんが俺に微笑んだ。つい最近まで思っていたってのは、この人も伊達家臣団の例に漏れず、別の意味でアクが強いからである。
「なんでも信長様の横死を前々から予見していたそうでぇ、若いながら未来を見通すが如き慧眼に感服致しましたぁ。是非とも私と一局、碁にてお手合わせしては頂けませぬでしょうかぁ?」
袖から碁石を取り出し目をキラリと輝かせる、この人と絡むとやっぱりこの流れになるのね……。
「すみません、前にも言った通り囲碁はやったこと無いんですよね……」
「そうでしたなぁ……しかしそれは勿体ない! 今からでも部屋を借りてみっちりと教えて差し上げますよぉ?」
「いやその遠慮させて……」
「遠慮は無用、私の時間はたっぷりありますから。お、あの部屋が空いてるようですなぁ、ささこちらにぃ!」
「え、えぇ……」
困惑する俺を無理矢理引っ張り、囲碁の沼に引きずり込もうとする綱元さん。
普段は真面目で優しそうな感じなのに、いざ囲碁の事になるとなり振り構わず、多少強引にでも教えようとしてくるのである。
この性格が故に、喜多さん並の知識教養があるにも関わらず政宗様の教育係には選ばれなかったそうな。
「政宗様もどうでしょう、久々に私と勝負してみませんかなぁ?」
「い、いやじゃ……もう綱元と碁を差すのは嫌じゃ……っ!」
露骨に距離をとって震え上がる独眼龍。
かつてみっちりとしごかれた経験がトラウマとなっているらしい、囲碁がトラウマになるってどんな目に遭ったんだよ……。
「ダメよ~綱ちゃん、今はそんなことしてる場合じゃないでしょ~?」
「『そんなこと』とは何ですか姉上ぇ! 囲碁は先を読む思考力と最善の手を選択する決断力を鍛えられ、不測の事態が起こる戦場で必要な──」
「ハイ制裁~いっ!」
「────ぐはぁッッッ!!!」
可愛らしい掛け声とは裏腹に芯を捉えた強烈な裏拳が炸裂。綱元さんは近くの楠木にぶっ飛ばされた。
「私の目の前で教え子を誘拐しちゃだめよ~? 相手の嫌がることはしちゃダメって、お姉ちゃんと約束したわよね~?」
「いやしかし……ただ碁に誘っただけですから──」
「もう一発、制裁っちゃう?」
笑顔のまま握り拳を突き出され、綱元さんは為す術なく沈黙した。
「…………申し訳ない、成実殿。囲碁に心を奪われ我を見失っていました。心から謝罪致しますぞぉ」
「い、いや……お気になさらず」
す、すげぇや喜多お姉ちゃん! 裏拳一つで迷惑系囲碁オタクを黙らしちゃったよ。こういう時は本当に頼りになるぜ!
「ねぇふーちゃん、お姉さんに何か言うことはないかしら~?」
と、喜多さんが何かを期待するような眼差しを向けてきた。性格に難があるけど普通に美人なお姉さん、こう前屈みでマジマジと見つめられたら流石に照れる。
「えーと……ありがとうございます、おかげで助かりま──むぅ!?」
「あ~もうふーちゃんも可愛いわぁ~ ちゃんと御礼が言えて偉い偉~い!」
「あの、頭を撫でるのはやめてくださいっ!」
「そう? じゃあ政ちゃんと同じように、ギュッと抱き締めてあげるわね♪」
「それだけはホント勘弁してくださいぃっ!!」
あぁ、救って貰ってもこうなる定めなのか。この姉弟に関わったらどう転んでも安寧は訪れないのね……。
「全く、姉上はいつも自分の感情を押しつけて……面倒この上ないですなぁ」
「まったくじゃ、ああいう大人にはなりたくないぞ」
「アンタ達が言うな、アンタ達が!」
──いや違うな、伊達家のメンバーは誰と関わろうと最終的にロクな目に遭わない。そう、それが伊達の家風なんだろう。実に厄介な話である。
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