古来より、病気や怪我を治す目的で湯に浸かる温泉療法は盛んに行われてきた。
まだ温泉が一般大衆化される前の戦国時代、戦で受けた傷を癒やすために自分だけの温泉を掘り当て、独占する大名も少なくない。
それは伊達家とて同じことで、戦場からの帰り道、米沢に程近くにある板谷峠にも当然のように伊達家に縁の者しか入れない秘湯がある。
輝宗様を始め、伊達の主だった武将の皆さんは戦が終わると、この温泉にて湯治に来るという。
「あぁ〜、ほんといい湯だなぁ」
ネオンの邪魔が一切入らない、元来の星空の下。初陣の疲労を消し飛ばしてくれる体感四十度のお湯が身に染みる。
願わくば、もっと落ち着いて天然温泉を楽しみたかったな。
「くかぁあ〜、温泉に浸かるは久しぶりじゃあぁ……疲れが飛ぶぅ」
「年寄りみたいですよ〜政ちゃん。気が緩んでも上品な言葉遣いじゃないと〜。もうこんなに女の子の身体つきなのに、勿体ないわ〜」
「や、やめよ喜多ぁ! いくら揉もうが何も出ぬぞぉ!」
俺の背中越しに聞こえる女性陣によるイチャコラボイス。
まだ男女別って概念が無かった時代、天然温泉は男女一緒の混浴が当たり前。俺と彼女達とを隔てる壁など何処にも無かった。
「たくっ……混浴とはいえ俺がいるのに……なんであんないつも通りなんだよあの二人は……」
「なんじゃ藤五郎よ、離れすぎて聞こえぬぞ? もっと我等の近くに寄れい」
「そうですよ〜? 政ちゃんとふーちゃんで若い男女の身体の違いを見比べて見ましょうよ〜、教育的な意味で〜」
「断固としてっ!! 断るっっ!!!」
喜多さんに誘導されるがままこの温泉に連れてこられ。
喜多さんによる男顔負けの腕力で衣服を瞬く間に脱がされ。
喜多さんに抗えぬまま強制混浴されちまった。
政宗様の付き添いであるはずの小十郎さんがここを見た瞬間、逃げるように帰ってしまった時から嫌な予感はしてたんだよ。
「なんじゃ藤五郎の奴め……あからさまに我を避けおってからに……むぅ」
「うふふ、政ちゃんは本当に可愛いわぁ」
この状況、世の男に「あんな美女達と混浴とか裏山すぎる氏ね!!」なんて罵倒されるかもだが、腐っても俺と政宗様は主従の関係、場合によっては『主に手を出した不届き者』扱いされかねないのだ。
美女の裸を見れるとか、この場で童貞を捨てられるとか、そんな下世話な思考など端っから脳内にない。
むしろ、広い露天風呂の隅っこにしか俺の安全圏はないから、肝が冷えまくりである。
「駄目だ、もう耐えれる気がしない……っ! や、やっぱり俺は先に上がらせて貰いま──」
「ふーちゃんが居てくれてホントに良かったわぁ〜。可愛らしい女の子二人でお風呂に入ると何者かに襲われちゃうかもだから、屈強なふーちゃんが居てくれるだけで心強いのよ〜。もし、先にふーちゃんが上がったら私達はどうなっちゃうのかしら……」
「………………はい」
ダメだ……脱出手段は喜多さんによって封じられてしまった。ちくしょおっ! もう二人が上がるまで隅っこで耐えるしか無いじゃんか!
で、でもまぁ、幸い仕切りの奥は満月に照らされた米沢盆地の絶景だ。ポツポツと紅く煌めく民家の光や松明の動きは、不思議と目で追ってても飽きが来ない。
(大丈夫だ心を落ち着かせろ、奴等が上がるまで耐え忍ぶだけの簡単な──)
「のう藤五郎よ、独りでジッとせず、端まで泳いで競争しようぞ!!」
「なっ!?」
無心となった脳内を破壊するかのように、温泉の熱で暖められた柔らかな感触が俺の背中に襲いかかる。この柔らかな二つの感触、これはアカンってホンマにアカンって!!
「やめっ、は、はははは離れろ政宗様っ! それはマジで危ないから!!」
「何が危ないのじゃ? 別に寄り添い合うなど子供の頃からやっておったであろう」
「そうじゃないから! 主君と臣下の超えちゃダメなライン突き抜けそうなんだから! き、喜多さんも見ててないで止めてくださいっ!!」
「む〜……やっぱり政ちゃんが迫るより、ふーちゃんが政ちゃんを押し倒した方が絵になりそうな気がするな〜……ちょっとくっつく所からやり直してみましょ〜♪」
「ダメだこの人達……早く何とかしねぇと」
無邪気に己が凶器を押し当ててきやがる政宗様。
この惨状に何故か楽しげに頬を緩ませる喜多さん。
どうやら、ここにまともな味方は居ないようである。せめて常識人がここに来てくれればこの現状を打破できるのに……っ!
「こら政宗! 何をやってますか!!」
「う、うぐ……そ、その声は……母上?」
と、俺の貞操のピンチに駆けつけてくれたのは、前後を布でガッチリガードした義姫様だった。
政宗様のお母さんってだけあって、政宗様にもこの遺伝子が流れてるんだなって見ただけで分かるボディライン。名門伊達家の奥方様に相応しいモノをお持ちですわ。
「な、何故、ここの母上が……?」
「そこにいる『女狐』と共に政宗がこの温泉に向かったと耳に入ったので、心配だから立ち寄ったまでのこと。案の定、藤五郎殿に政宗を襲わせるとは……卑劣な真似をしますわね、女狐がっ!」
いや、俺は襲ってないです。むしろその逆です。
「あらあら、私は何もしてませんよ〜? ただ仲の良い男女が戯れていただけです。それなのに罪も無い者を疑い、挙げ句に我が子の色恋を邪魔するだなんて、鬼姫様は無粋ですね〜」
「なんですってッ!? 誰が鬼姫ですかっ!! 誰がっっ!!!」
「ふ、風呂場で喧嘩はやめるのじゃ! 二人とも!!」
なるほど、これが俗に言う女同士の修羅場ってやつなのか。助けを求めたら更に状況が悪化しちまったぞぉ……。男女比率 一対三の露天混浴で居心地悪いってのに、親と先生による修羅場案件とか今すぐここで自沈したい。
二人から放たれる圧のせいで俺の心臓が軋んでるよぉ。
「さぁ政ちゃん、喜多の所にいらっしゃ〜い。こわ~い鬼姫が政ちゃんを食べちゃうかもだからね〜」
「政宗、早く母の元に来なさい。女狐の近くに居ては、また良からぬ目にあうやも知れません」
「な、なぜ二人とも我の腕を掴む……? わ、我は藤五郎と一緒に泳ぐと約束を……」
「「駄目です(よ〜♪)」」
「ひ、ひゃあぁ! た、助けてくれ藤五郎おぉぉぉ……………!」
哀れ政宗様、母と先生に自由を奪われ湯煙の中に消えた。
あれ、なんだかんだ窮地は脱せたぽい?
結果的に、女共が自ら離れてくれて万々歳といったところか(混浴であることは変わりないんだけど……)。
ようやく、この天然温泉を一人静かに堪能できそうだ。
「なんだかんだ、これやっと落ち着いて風呂に浸かれ……」
「いやぁ、戦終わりの風呂はええごだなぁ。生き返るべぇ!」
「…………ないよねぇ、知ってた」
「おぉ! 成実さじゃねぇかぁ! ちょうど色々話したかったとこだったんだぁ」
「そ、そうですか……」
酒桶を持って俺の横に腰を下ろすは我が当主・輝宗様。でも、あの女達よりかは気を使わないし、さっきの修羅場に比べたら遥かにマシである。
「成実さぁ、初陣は大変だったべぇ? ほれ、戦終わりの酒、一献付き合ってけろ?」
「え、良いんですか」
「戦終わりの温泉に酒は欠かせねべぇ、これで周りの騒がしさも気にならなくなるんだぁ」
「たしかに……では、お言葉に甘えて」
酒を呑むのは未来で生活していた時以来だ。甘酒みたいな味だけど、アルコールが五臓六腑に染み渡るこの感じが堪らんぜぇ。
満点の星を眺めながら湯船に浸かって、火照った身体に冷えた夜風が心地良く、極めつけに四年振りの酒である。温泉が古来から日本人に愛されるのも頷けるわ。
「今戦は政宗の世話してくれでぇ、ありがとぉなぁ」
「いえいえ、自分は政宗様に振り回されっぱなしでしたから……なにもしてません」
「んだども、おめぇさが居ねがったら、政宗も初陣で死んでたべなぁ……感謝しかねぇ」
確かに、何度か命の危機を感じる場面は多かったけどな……もう過ぎたことだから気にしてないけど。
「んでな、ちょっとばかし、話変わるんだけんども」
「……? なんでしょうか?」
酒を御猪口でグビッと流し込み、遠くの星を見つめながら輝宗様が呟いた。
「──あんださぁ、親父さんから家督を譲られる気はねぇべか?」
「…………え、家督?」
唐突に出た家督相続の話に動揺してか、俺は並々注がれた御猪口を思わず湯船に落としてしまった。
「ち、父上が俺に家督を譲ってくれますかね……」
リアルの父親でない人を父って呼ぶのはまだ違和感がある。
俺、というより藤五郎の父である『伊達実元』は伊達家の親族衆として伊達家の外交や謀略関連を担い『伊達の智と交を司る』とさえ言わしめる重鎮である。
かつては越後(現在の新潟県)守護の上杉家の養子になる予定だったが、政宗様の祖父である伊達晴宗様が起こした天文の乱のせいで立ち消えになったらしく、そのことで未だに伊達の宗家を恨んでいるんだとかなんとか。
「元服も済ませて初陣も活躍したんだもんやぁ、叔父上も認めてくれっぺな」
「そういうもの……なんですか……?」
俺の年齢は義務教育も終わってない十三歳。それが元服して家督を譲られれば土地を護り、城を護り、領民を護る一族の長となるんだから現代だと考えられないよな。
「暇があったら実元さとジックリ話しあってけろや。んだども、急ぐごだぁねぞ?」
「了解です。米沢に帰ったら、すぐに大森城に向かいます」
「んな、今「急ぐごだねぇ」って言ったんだけんど……?」
正直、家督を継ぐとかまだまだ先の話だと思ってたが、主君の命令なら仕方ない。国を豊かにする政とか外交活動に憧れがあったから、ぶっちゃけすっごいワクワクしてる。これから政宗様は天下統一に乗り出す。そのために俺は戦だけじゃ無く、国を強く豊かに発展させる術を学ばないとだ。
とりま俺が家督を継いだら、これから戦に備えて軍備を整えないとかなぁ。あとは土木作業の経験活かして街の区画整備とかインフラの整備とか、有能な人材を育てる名目で学校創ったりとか…………あーもう! やりたいことのアイディアが溢れ出ちゃって仕方ないね!
「は〜あ〜……オラも政宗さぁ奴ば早く家督継がせたいのにぃ……まだ不安だべぇ」
特大の溜息をついた輝宗様、その呆れた視線の先では今も実母と乳母による、政宗様の身を賭けた女の戦いが繰り広げられていた。
「は、はははは離すのじゃ母上っ! 喜多っ!! 我の腕と足が取れてしまうぅうう!!!!」
「離しなさい女狐っ! 政宗が痛がっているでしょう!?」
「子を想うなら鬼姫様が離すべきですよ〜? 私は政ちゃんを鍛えているだけですから〜♪」
「このままでは隻眼どころか隻腕隻脚になってしまうぅ! た、助けてくれ藤五郎ぉおおおおっっ!!」
全裸で片腕と片脚を引っ張られて悲鳴を上げる政宗様と、女のプライド全開で人間綱引きに興じる布一枚の義姫様と喜多さん。
なんか物凄く卑猥な絵図面なのにまったく興奮しねぇ。折角の温泉で何やってんだよ、あの人達。
「政宗の奴ば、もう少と落ち着いてれば安心して国を任せられるんだけんどなぁ……気暗い性格よかぁマシだどもやぁ」
「ほんと、昔はずっと泣いてたのに……今だと騒ぎの中心には必ず政宗様が居ますね」
物静かで泣き虫だった政宗様が、あぁも明るく元気に育つなんてな……初めて会ったときには想像も出来ない人格の変化である。
「何がきっかけで、あんな風に性格が変わってしまったのやら……」
「それは、成実さのお陰だべぇな」
「え、俺のせい……ですか?」
「んだべぇ。成実さと会ってから、政宗さ奴ば外で遊ぶようになったんだもんや。毎日成実さが外で遊んでたから、政宗も外に出るようになったんだべさ」
「外で遊んでたって、俺はただ武芸の鍛錬をしていただけで遊んでなんか……」
「んだども、『友達』が外に居たら自分も外に出たくなるべぇ? オラも子供ん頃はそうだったべがな」
そういえば、俺が外に出るときいつも政宗様がいた気がする。俺が城の外に出るって言ったら、顔真っ赤にしながら俺の後ろを付いてきてたっけ。それがいつの間にか、政宗様に引っ張られて街に連れて行かれたり、政宗様の無茶を止めようと野山を駆け巡るようになったんだった。
「あれ……ということは政宗様があんな性格になったのも、俺のせいなのか……?」
「んだかもなぁ! ナハハハッ!!」
「あはは……政宗様があぁならないように、もっと注意してれば良かったなぁ」
彼女の予測不可能な言動の源が自分のせいだったとは……矯正する機会が十分あっただけに、今更だけど悔いが残りますわ。
「な、何をそこで楽しそうにしておるのだ藤五郎っ! 父上っ! もう誰でも良いから、我を助けてくれぇえええ……!!」
政宗様の懇願は湯煙に紛れ、俺が風呂から上がるまでのあいだ、山彦となって反響し続けた。
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