エントランスホールでは今まさに最後の民間人を逃がしたところだ。
ウィークは肩で息を切らせながら呼吸を整えてデーモンに切りかかる。
既に五十体は倒しているのに一向に減る様子が無い。
「ぐっ」
疲労が蓄積して反応が遅れてしまい、デーモンの体当たりをまともにくらう。受け身もとれぬまま壁を破壊して隣の部屋へ転がり込んだ。
「はぁ……はぁ、ここにも」
そこにもデーモンがいた。迫り来る鋭い爪を紙一重で避けて、カウンターで切り裂く。
ここにいたデーモンはこの一体だけのようだ。直ぐにエントランスホールに戻ろうとしたが、部屋の隅に人を見かけて踏みとどまった。
「まだ人がいた? ねぇ怪我はない? 助けにきた……え?」
それはほんとに人なのだろうか、若くて綺麗な女性であるが、その口から大量の砂を吐き出し続けているのだ。
そしてその砂は少しずつ形を取り始めデーモンとなっていく。
「まさかこの人が……いや、なにはともあれこいつがデーモンを生んでるのなら!」
心臓目掛けて剣を突き立てる。
一瞬断末魔のような悲鳴を上げた後、砂を吐いていたデーモンは力尽きて床に崩れ落ちる。その姿を保ったまま。
「消えない」
他のデーモンと違い消えたり砂になったりせず、人の姿のままそこに息絶えている。
それが意味するところはつまり。
「うそ、まさか人間? 僕人を殺しちゃったの?」
指の力が抜けて剣が滑り落ちる。
「だ、だって砂を吐いてたんだ、人間の筈ないよ、そうだこれはデーモンだよ、新種のデーモンだ」
冷静に考えればそうだ、砂を吐く人間などいる筈ない。焦って損した。
ふと一安心、だが、そんな心境をぶち壊す言葉がウィークの背中へ投げかけられる。
「いーや、そいつは人間だ。サンジェルマンに砂を吐く呪いをかけられた素敵な人間さ」
「誰だ!」
振り返るとワイアットが飛び込んだ崩れた壁付近に、スキンヘッドの男が立っていた。右側頭部に薔薇のタトゥーが入っている。
その腕にはウィークのよく見知った人が抱えられていた。口を手で抑えられて喋る事はできないが、その目は必死に助けを求めてる。
「姉さん!」
「ん〜! んっ!」
「おっと動くなよ、お姉ちゃんが大事ならな」
「ちっ」
「そこの女な、そいつ俺の恋人なんだ。今回の事件を引き起こすために自分から砂吐きマシンになった可愛い女さ、それをサクッと殺してよ、可哀想な事してくれるなぁ」
恨み辛みを言っているように見えるが、薔薇のタトゥーの男はニチャァと薄汚い笑みを顔に貼り付けており、恋人が殺された事すら楽しんでいるようだった。
「あと俺さ、さっき第二展望室にいたんだよねぇ。その時見ちゃったんだあ、可愛らしい男の子がニューヨークのヒーロー! ミスター・ウィークに変身しちゃうのをさ」
「そんな事より姉さんを離せ!」
「おいおい待てよ、俺の話は終わってねぇぞ。もう一度言うが、そいつは俺の恋人なんだ。
つまりなんだ、ここはやっぱり俺も復讐しなきゃと思うんだ」
「僕を殺したいのか? やってみろよ」
「ちげぇちげえ、こっちさ」
何が起きたのか一瞬理解できなかった。
薔薇の男は薄汚い笑みを浮かべたまま指の爪を伸ばしていた。爪は真っ直ぐ鋭利な槍となり、正面にあったリサの背中を貫いた。
「姉さん!!!」
膝から崩れ落ちたリサに駆け寄って頭を抱き上げる。対して薔薇の男はウィークと入れ替わるように移動し、砂を吐いていた女の元に立って死体を見下ろした。
「駄目だ姉さん死なないで!」
「はぁ……ぐっ」
出血は止まらない、リサは虚ろな瞳でウィークを見上げ、残る力を振り絞って彼の頬に手を当てる。
マスク越しに伝わる姉の手は弱々しく、ほんとに触れてるのか怪しかった。
背後に敵がいる事も忘れウィークは変身を解除してただのワイアットに戻る。
すかさず姉の手を掴んで自分の頬に当てた。
その時になって初めて、ワイアットは自分が涙を流している事に気付く。
「大丈夫だ姉さん、こんなの直ぐ治るから、だから……だから」
「あっ……」
リサは懸命に何かを言おうとしているが、最早その体力も無いらしく。口から出るのは空気のみ。
「うっ……姉さん、ごめん、ごめん守れなくて……ごめん」
今、自分はどんな顔をしているのだろう、後悔ばかり先走ってわからないけど、リサは何故か、微笑んでいる。
それに気付いた時、既にリサの心臓は活動を停止していた。
「姉さん!! あぁああああっっ!!」
涙が溢れ、視界が滲み、零れる涙はリサの頬に落ちる。
姉の事は好きじゃなかった。いつも弄ってくるし、こちらがいじり返せば倍にして返される。さっきだってカオリの事だけを褒めたら殴られた。
だから姉の事は好きじゃない。
でも、家族だから、十七年も一緒に過ごしてきたから、家族として彼女を愛していた。
ゆえにこの涙は実感していなかった愛の現れだった。
そして現実は悲しむ暇を与えない。
「悲しいよなあ、愛する家族が失われるのはとても悲しい。わかる、わかるぞ。俺もお前に恋人を殺されたからわかる。
だからさ、これでおあいこって事にしようぜ。
俺は恋人を殺された、お前は家族を殺された。
等価交換、イーブンだ。だから俺はお前を恨まないし、お前は俺を恨まない。やっぱり皆仲良く平和が一番だ」
何を言ってるのだろうか、最初この男の言ってる意味がわからなかった。
薔薇の男はゆっくりと歩き、ワイアットを通り越して部屋を出て行く。
「じゃあなヒーロー」
それだけ言って出て行った。
ワイアットは男の言ってる意味を徐々に理解し始め、男に対して怒りが湧き、しかしそれ以上に自分の不甲斐なさを恨み、悲しみ、その場で嗚咽を漏らす事しかできなかった。
ロビーに出た薔薇の男はエレベーターで第一展望台に上がり、血まみれになった床をピチャピチャと音を立てながらステップする。
そして鉄と糞便の匂いが混じった夜風を一杯に吸い込んで。
「いい」
と恍惚気味に呟いた。
そんな彼が展望台の外にでると、正面に見目麗しい女性がたっていた。
「誰だ?」
女は腰に差している剣を抜いて刺突の構えをとる。それだけで彼女がデーモンハンターだと言う事が理解できた。
「もう一度聞くが、お前誰?」
「シュヴァリエ」
ただそれだけを呟いた。その瞬間、薔薇の男の右腕がポトリと地面に落ちた。
何が起きたのか一瞬わからなかった。気づいたら右腕が切り落とされており、シュヴァリエと名乗った女は瞬きしてる間に背後へ回っていたからだ。
これは不味い、本能でそう悟った薔薇の男は展望台を走って縁から飛び降りた。飛び降りる寸前にまた斬られて下半身を失ってしまっていたが、男はデーモンなので手から炎をだし、傷口を焼いて何とか死なずにすんでいた。
それから翼を出して重加速を利用して夜の街へ逃げる。
だがその背中に一本の矢が刺さる。
「ぐああ! 何だと!!」
ただの矢ではない。刺さったところが異様に熱い、振り返れば先程の女が大きな弓を構えていた。
「やべぇ! あいつはやべぇ!」
咄嗟にビル影に隠れてやり過ごす。見たところシュヴァリエと名乗る女が飛べる様子は無いが、念の為低空飛行で身を隠しながら逃げる。
運が良かった。初撃を右腕だけですんだのは大きい、そこから直ぐに逃げる判断をとれたのも我ながらナイスだ。あのシュヴァリエという女は危険すぎる。おそらく自分では相手にならないだろう。
「バアル様しか無理だな……くく、楽しいなあ」
薔薇の男の笑いが夜のニューヨークに消えていく。
警官隊が突入した時、既にエンパイアステートビルにデーモンはいなくなっていた。
あるのはデーモンがそこにいた事を示す爪痕や破壊のあと、デーモンが食い散らかした死体に、デーモンの死体が変化した砂のみ。
突入隊に組み込まれていたジェイソン警部は、中の惨状に眉を顰めながらロビーへと上がり、その横の部屋へと入った。
そこには一人の少年が少女の死体を抱えて涙していた。
生存者がいた事に心底ホッとしたジェイソン警部は優しく少年へと近寄る。
「生きていて良かった、もう大丈夫だ。安心してくれ」
少年の肩がピクリと震え、それから顔を上げてジェイソン警部と目が合う。歳の頃は十代後半、息子と同い年ぐらいだろうと思った。
その胸には少年の恋人か家族か、少女が眠っている。
胸を貫かれており、間違いなく死んでいた。
「その、彼女の事は気の毒だと思う……すまない、我々がもっと早く突入していれば」
「ジェイソン警部のせいじゃありませんよ、普通の人間ではデーモンの相手は難しいです」
驚いた事に、彼は自分の名前を知っていた。ミスター・ウィークを取り上げるバラエティ番組にはほぼ必ず追いかける姿を映されていたからそこで知ったのかもしれない。
「あぁ、君は……すまない、なんて声を掛ければいいかわからない。
まったく、こんな時にウィークは何をしているのか! デーモン退治は得意の筈だろう! まあこられても迷惑だがな! HAHAHA」
怒りをミスター・ウィークにぶつける。理不尽だとわかっているが、民衆は自分がミスター・ウィークに対して怒り、そして空振る姿を好むので、笑いと安堵をとるためワザとやる事が多くなっていた。
しかし今回はそれが仇となってしまう。
「そう、ですね。ほんとミスター・ウィークは駄目な奴だ」
「うむ、まったくだ! その通りだ!」
「ウィーク……ウェア」
そして少年の身体が変化していく。腕はよく知るあのグローブに、足には忍者をイメージしたブーツとボトムス、首には赤いマフラー、そしてウィークのメット。
「まさか……君が」
「僕がダメダメなミスター・ウィークです。ジェイソン警部、僕を逮捕してください」
「なんだと?」
「いつも逮捕してやるって言ってるじゃないですか、さあ。それに僕は姉さんを守れなかっただけじゃなく、人を殺してしまったんだ。例えデーモンに操られていたのだとしても、知らなかったとしても殺人には変わりない」
ウィークは両手首をこちらへ押し付けるように差し出してきた。
彼の言う通り逮捕したいといつも言ってるが、何故か今はそんな気になれなかった。
また殺人と言っても被害者がデーモンに操られていて、それを知らずに殺害したのだとしたら正当防衛が適用されるから有罪になるとは限らない、むしろ弁護次第では無罪になる。
「君は、今の君は自棄になってる……悪いが私が逮捕したいのは、憎たらしくて、人を小馬鹿にした態度で、巫山戯た発言ばかりするミスター・ウィークだ。
君じゃない」
「なんで、なんで!! ちくしょう! ちくしょう! うあああああああ」
ウィークはマスク越しに頭を抱え、それから部屋の窓を開けて外へ出て行った。
ニューヨークに紛れていく彼の慟哭はジェイソン警部の耳にも残り、いつまでも消えることがなかった。
そして、その日を境に、ミスター・ウィークが現れることは無くなった。
ミスター・ウィーク編 ~完~
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