日本の福井県敦賀市南方、山に囲まれた辺鄙な場所にその一家はいた。
下柳家である。
「お兄さんお兄さんお兄さん! お兄さんどこー? 可愛い可愛いリルカが探してるよー、私だよー」
ドタドタと下柳家の家が騒々しくなる。豪邸とまでは言わないが、土地代が安いゆえにそれなりに大きな家が慌ただしい。
騒動の主は家中を競歩で回りながら家人の一人を探している。彼女は下柳家の一人娘であり、名前をリルカと言った。
溌剌を衣服のように身にまとったような少女であり、常に明るく弾けるような笑顔を浮かべている。そのためか彼女の周りはいつも明るく、友人も男女問わず多い。
「ヘイ! お兄さん隠れんぼかーい? 隠れんぼ界のオタマジャクシと呼ばれたリルカが速攻で見つけてやるぞ」
彼女がそんな異名で呼ばれた歴史は一切存在しない。
「うっせぇ、何の用だ」
水が流れる音と共に男がトイレから現れた。長身で肉付きもよく引き締まっている。出るとこに出たらモデルとして大成するかもしれない。そんなビジュアルを持った青年であった。
「おお! お兄さんはウンコしてたんだね!」
「女の子がウンコとか言うなよ」
「でもさらっとウンコって言える女の子の方が好感もてるよね」
「確かにそうかも……いやどうだろう」
悩ましいところである。それはともかく。
「んで、何の用だ?」
「そうだったそうだった……えっとね、実は」
「おう」
リルカが険しい表情を浮かべると少し重苦しい空気が流れ、青年は思わず生唾を飲みこんだ。
突如醸し出される不穏な気配に身構える。そんな青年を意にも介さず、リルカはゆっくり口を開いて要件を伝える。
「お父さんが呼んでたよー」
あっけらかんとかるーいノリで言った。
「おい」
所変わって下柳家の離れ。二階建ての小さな家屋、本来なら倉庫として使われるだろうそこは、現在リルカの父親である下柳光晴の書斎兼研究室となっている。
その研究室にリルカに呼ばれた青年が入ってきた。
「うぃーす、何か用があるらしいっすけどなんすか?」
「来たか、こっちに来てくれ」
「っす」
青年は綺麗に片付けられた研究室をずんずん歩き進める。最初はここに来るのがやや怖かったが、今となっては慣れたもので自分の部屋のようにすら感じられる。
「君がここに来てどれくらいかな」
「だいたい一年くらいっすかね」
去年の冬の日、青年は山の中で倒れていた。発見があと少し遅かったらそのまま凍死していたかもしれない危険な状態だったそう。
青年は助かったものの、頭に後遺症が残ることになってしまった。記憶喪失である。
「記憶の方は相変わらずかい?」
「ああ」
身分証等は無く、彼の記憶のあては全く無かったのだ。不憫に思った発見者の下柳家の人達が家政夫として住み込みで雇う形で迎え入れた……というのが表向きの理由。
「呼んだのは他でもない、ようやく例の件について調査報告が届いたんだ」
「やっとかよ、でどうなんだ?」
光晴は俯いて押し黙る。青年はそれで何事か察した。
「駄目か」
「知り合いの博士に頼んで徹底的に調べてもらったんだが、機能についてはある程度わかったものの原理は全く不明だそうだ。
おそらく現代の科学技術では解明できないだろうとも言っていた」
青年の記憶の当てが無いというのは嘘であり、実際は彼の荷物と思わしき物が倒れてい付近に散らばっていたらしい。小さな鞄、マント、篭手、剣、おおよそ時代背景が数百年ズレている物ばかり、しかしそのどれもが地球の素材でできていなかったのだ。
これを知った光晴は学術的興味から青年を引き取り、独自に調べ始めたというわけである。
「しゃあねえ、またやり直しだな」
「いや、確かに私や私の知り合いの力では叶わなかったが、例の博士がベルカ研ならわかるかもしれないと紹介してくれたんだ」
「どこにあんだ?」
「ニューヨークだ。行くかい?」
「たりめぇだろ」
「そういうと思って君のパスポートを用意しておいた。裏ルートを使った違法なやつだから気をつけてくれよ」
「おう」
光晴は机の引き出しから青年のパスポートを取り出して手渡す。青年は興味ぶかげにパスポートを観察すると、ある一点に目を止めた。
「真咲光太郎」
「君の名前だろ、仮だがな」
「あぁ……そうだな」
青年は……もとい、真咲光太郎は何処か腑に落ちない想いを胸にしまい込んだ。
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