デオンは儀礼剣を鞘から引き抜いてヴァルクロワッサンへ切り掛る。
儀礼剣と言っても、造りはしっかりしており普通の剣としても使える、むしろ悪魔用の剣だけに普通の剣よりも頑丈で使える。
ヴァルクロワッサンは身体を逸らすだけで避け、空いている手でデオンの腹部を殴打した。
直前にバックステップしてダメージを軽減したおかけでデオンは胃の中のものを吐き出さずにすんだ。
儀礼剣を構え直して再びデオンは前へとでる、今度は得意のフェンシングで刺突を繰り返す。ヴァルクロワッサンは繰り出される幾多の刺突を、後ろに下がりながら剣で一つ一つ弾いていく。
傍から見ればデオンが追い詰めているように見えるが、ヴァルクロワッサンの表情に焦りは無く、徐々に森の中へと引き込まれていく。
次第に木々の密集率が高くなって剣を振るうのが難しくなってきた。
「剣の腕は中々だが、お行儀が良すぎるキライがある」
「なにを!」
「お前に森の中の戦い方というものを教えてやろう」
言って、ヴァルクロワッサンはデオンの剣を大きく弾いた。追撃を想定したデオンは大きく後退して様子を伺うが、予想に反して何も無かった。ヴァルクロワッサンの姿すら。
「しまった! 見失った」
周りを見渡して必死にヴァルクロワッサンの姿を探すが、当然そう簡単に見つかる筈もない。一旦森から出ようと足を動かしたその時、デオンの足元に光の矢が突き刺さった。
二年前、デオンを貫いたあの矢である。
あの時と同様に、剣を弓へと変化させて射ったのだろう。
「森の中の戦いを教えるとはこういう事か、まるで狩りだ」
狩人のように身を潜め、獲物を弓矢で射殺す。周囲には身を隠す物が大量にあるから先手をうたれたら最早されるがままだ。
なるほど確かに、森の中の戦いというならこれほど最適なものはない。
「狩り……狩人? 確かソロモンの悪魔に狩人がいた筈」
再びデオンの足元に光の矢が刺さる。今度は三本も立て続けに。一息で殺せそうなものを、あえて外して楽しんでいるフシがある。
「狩人の悪魔……バルバトス、いや……毒を使うから、お前はレラジェかっ!」
「ご明察だデオン・ド・ボーモン!」
何処からか声が聞こえる。葉っぱがドームのようになっているためか音が反響して聞こえるのだ、大雑把にどの方向かはわかるが、それ以上は無理だ。
迂闊、レラジェとわかっていれば森の中に入るなんて事はしなかった。狩人の悪魔にとってすれば、森の中など庭で戦うようなものだろう。
「使うしか、ないか」
デオンは一際大きな木を見つけて、それを背にしゃがんでから儀礼剣をじっと見つめる。その剣には自分の力が封じられている。母から譲り受けたロザリオを巻き付ければ、剣に封印された全ての魂が解放される仕組みになっている。
中央の円形の飾りにロザリオを巻き付けて、しばし待つと。
「なんだ」
剣から、柄を握る手から脳内に色々なものが流し込まれていく、それは細部の異なるいくつもの絵画を連続で見せる事で、その絵画が動いているように見える現象だった。
後の世でそれは「映像」と呼ばれるのだが、勿論この時のデオンは知らない。
「これは……ぐっ……剣に封じられた魂の記憶か」
デオンの脳裏に誰かの記憶が映し出される。何処かの屋敷、その一部屋で赤子が暴れている。耳を劈く程の大声で喚き散らし、周囲にあるものを手当たり次第に変形させている。
椅子はぐねぐねした石ころのようなものに、机の足は長細い棒に、どうやら赤子は掴んだ物を変化させられるらしい。
その子供の元へ神父らしき人物が近寄っていく。
デオンはその神父に見覚えがあった。
(マスネー神父!?)
それはデオンが幼少の頃、教育係だったサン・ピエール教会のマスネー神父だった。スパルタ教育の信奉者で、よく尻を平手打ちされたものだ。ついでにその光景をワイン飲みながらケタケタ笑っていた父親の姿も思い出してイラッとなった。
そのマスネー神父は赤子の両手を抑えて何とか沈めようとしているが、予想外に力が強いのか振り解かれそうになっている。
マスネー神父は何かを叫んでいるが鳴き声にかき消されて上手く聞き取れない、そうこうしてるうちに視界が動いた、いや、元々これは魂の記憶なのだ。つまりこの魂の持ち主の視点でモノを見ている事になる。
視界に剣が入る。デオンが手にしている儀礼剣と同じものだ。しかも柄のところにロザリオが巻き付けられているところも一緒である。
剣の持ち主は赤子に近寄って、その指先を切っ先で薄く斬り裂く、その瞬間赤子の鳴き声は更に大きく辛いものとなった。
だがその代わりに赤子の力が衰えたらしく、マスネー神父の表情に余裕が生まれ始める。
そして剣が音を立てて床に転がった。
気付いたらデオンの視界いっぱいにマスネー神父の顔が映し出された。遡れる限り一番古いマスネー神父との記憶より尚若く見える。
ふと、床に転がっている儀礼剣が目に入った。ロザリオも巻きついている。
(あぁ、これは吸い取られた魂の記憶を順番に見ているのだな。差し詰め今はさっきの赤子か)
つまり剣の付近にいる男、疲れ切った表情でこちらを見詰めている男がさっきデオンが見ていた魂の持ち主。
(ち、父上)
父のデオン・ド・ボーモンその人だった。先程の光景は父親が赤子の二の腕を儀礼剣で斬りつけたものという事は、この赤子は幼い頃のデオンという事になる。
そういえば、母のフランソワが言っていた。小さい頃のデオンが暴れ回ったことがあって、その時に儀礼剣を使ってデオンの力を封じたと。
いつの間にか鳴き声は止んでいた。指先の傷も塞がっており、最早斬られた後は見受けられない。おそらく痛みも無くなり、更に泣き疲れた事で眠ろうとしているのだろう。
視界が徐々に暗くなっていく中、マスネー神父と父親の会話が耳に入ってきた。
「何か見たのか?」
「はい、悪魔に殺された民衆の記憶と……凶悪な悪魔と戦う男の記憶が……男は悪魔の舌を、猫の頭が付いていた舌を切り下ろしてました」
そしてデオンの意識は闇に塗りつぶされ、現実へと引き戻される。
目を開けた時、最初に目にしたのは儀礼剣。最初に嗅いだ匂いは青臭い若葉の香り。耳にしたのは遠くで爆発した砲弾の音、初めに感じた感触は背にしていた硬い樹皮だった。
「はっ……ここは、森? そうだレラジェ!? しまったどれだけ寝ていた!?」
あいにくこの場に時計なんてものを持ってきてる筈がないので、どれだけ意識を失っていたのかは知る由もない。
しかしまだ生きているというのは非常に運がいい。
デオンは空を見上げて陽の角度を調べた。最後に観た時とあまり変わっていない気がするので、おそらくそんなに長く眠ってはいないだろう。
「どうしたデオン・ド・ボーモン。さっきから大人しいじゃないか」
レラジェの挑発が聞こえる。
反響して位置が掴めない……と思っていたが、不思議とレラジェの位置がわかる。何故だか自分の中の全感覚がレラジェの位置を教えてくれているのだ。レラジェだけじゃない、周囲の地形や逃げ遅れた小動物の居所まで。
「わかる……そうか、これが私の本来の」
自分の中にこれまでにない強い力が漲っているのがわかる。全身が高揚して熱を帯びてくるのだ、フェンシングの試合で強い相手と戦う時のような。戸惑いはない、力をどう使えばいいのか直感的にわかる。
「そこだな……レラジェ」
デオンは木から飛び出しつつ儀礼剣に意識を集中させて形状を変化させる。先の記憶からわかる通り、デオンの能力は掴んだ物を変化させる事ができる。
儀礼剣は形を変えて新たな武器へと変化する。
「その力は私や師匠と同じ!? 何故お前が!?」
「さあ、それはわからないが……今なら負ける気がしない」
変化させたもの、それはレラジェと同じく弓であった。
矢をつがえていない弦を引っ張ると、レラジェと同じく光の矢が出現して弓矢の体裁を整えた。
デオンの見つめる先でレラジェが慌てて弓を構えるが、デオンの方が早い。
指を離して矢を放つ。矢はヒュッと空を切る音を残して森の中を真っ直ぐ飛んでいく。木と木、枝と枝、葉と葉の間を潜り抜け、矢をつがえる狩人の胸元へ吸い込まれるようにして突き刺さった。
「ぐぅぅぅ……この痛み! 聖水を使ったな!」
弓に変化させる前、デオンは儀礼剣に聖水を振りかけていた。そして変化させた後、上から下へと垂れ落ちる聖水が光の矢に絡まってそれが放たれたというわけである。
しかし悪魔の力を取り戻したデオンにとってこれは諸刃の剣でもあり、垂れ落ちた聖水は当然デオンの指にも掛かり、その部分が焼け爛れてしまっている。
「手袋が必要だな」
レラジェは隠れていた枝から落ちて地面へと着地する。無造作に光の矢を抜いてから放り投げて立ちあがる。光の矢は空中で霧散して消えた。
その間にデオンは弓を剣へと戻しながら高速で森を疾走し、レラジェへと振り下ろす。
先程までとは違い、悪魔の力を得たデオンは筋力が上がっており、振り下ろす剣も斧のような威圧を放っていた。
レラジェもまた弓を剣に変化させてそれを受け止める。
しかしレラジェは未だ不安定な姿勢で上からの剣を受け止めたため上手く力が入らない。全体的な力は屈強なヴァルクロワッサンを依代にしたレラジェに軍杯が上がるのだが、不意をうたれての一射によるダメージと不利な体制のおかげでデオンが些か有利だった。
そして、ここでもまたデオンは機転を利かせていた。
不意にデオンは力を抜いてレラジェから距離を取る。訝しむレラジェだが、答えは直ぐに判明した。
レラジェの身体に上から何かが落ちて壊れたのだ。
「ぬぅ……聖水の瓶……か。フフ、まさか聖水を使う悪魔が存在するなんてな」
「残念だが、私は半分悪魔だ」
「いいぞデオン・ド・ボーモン。俺はお前のような奴と戦いたかった」
剣を突き出しながらレラジェは立ちあがる。そして一歩ずつ前へと進む。聖水のダメージが効いているのか、その身体はユラユラと揺れてどこか不安定だ。
デオンも同じく得意のフェンシングの構えでレラジェと相対する。
これが公式な決闘の場であったなら審判が始めの合図を出しただろう、しかしこんな戦場から少し外れた森の中では合図になるものはない。
だが、自然と二人は同時に動き出した。シンクロニシティというものだろうか、何のきっかけもなしに両者は同じ呼吸で距離を詰め始めたのだ。
そして、お互いの剣が交差し……。
「良き……戦いであった」
レラジェの剣はデオンの肩を貫き、対するデオンの剣はレラジェの胸を貫いていた。デオンの剣にレラジェの魂が吸い込まれていく。
「デオン・ド・ボーモン、お前のその力……まさに俺の師匠と同じものだ。おそらくお前は師匠の息子なのだろう」
「私の父親はデオン・ド・ボーモン、母はフランソワ・ボーモンだ。例え生みの親が誰でも、そこは揺るがない」
「そうか……ならばこれ以上は語るまい。俺は魔界へ帰るとしよう……一つ覚えておけ、人間にとって悪魔も半分悪魔も……大した違いはない事を」
そう残した後、レラジェは目を閉じた。おそらく彼の言う通り魔界へ帰ったのだろう。名のある上級悪魔は倒す事は出来ても殺す事はできない、それは彼等が不死の生命だからとか色々仮説はあるが、その辺の解明は全く成されていないのが現状だ。
あのソロモン王でさえわからなかったのだから仕方あるまい。
後に残されたのはヴァルクロワッサンの死体だけ、放置してここを離れる事を考えたのだが、それは自らの心に憚られた。
だが流石に背負っていく事はできない、誰かに見つかれば面倒な事になるしそもそもそんな体力が残ってない。
穴掘って埋めるにしても、どうやらプロイセン軍が森に進軍してきたようで、掘ってる最中に出くわす危険がある。
ゆえにデオンは、ヴァルクロワッサンを森の中でも開けた場所に運び、そこで彼に火を付けて燃やす事にした。
「こういうのを……火葬と言うのだったな、デュラン」
フランスでは土葬なため死体を燃やすという文化はない。そもそも死者の復活を教義とするキリスト教は、元の肉体を必要とすると考えているため燃やしたりはしないのだ。
「私はヴァルクロワッサンの復活を阻んでいる事になるのだろうか」
冷静に考えれば、死体は放置すれば腐って土に還るし。復活するにしても、死んだ時の不完全な肉体ではあまりにも優しくない。キリストでさえ、復活した時は霊の身体へと変えられたのだ。
だが、そんな事はどうでもいい。どうでもいいのだ。今のデオンに必要なのはそんな考えではない。
燃えていくヴァルクロワッサンを背にして、デオンは森の中へと姿を消すのであった。
ただ安らぎを求めて。
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