今回話をさせて頂く話はあえて
・何処の都道府県にあるのか
・かつ何処の刑場跡地になるのか
については伏せて話をしたいと思います。
理由は後程説明します。
勿論、私有地ではなく公共の場所で検証を行っています。
因みに最初に訪れたのは時刻が18時30分を過ぎており辺りは真っ暗だった。刑場跡地を示す慰霊碑があるところを探すも、ここが刑場跡地だったことを示す案内板があるのみで、あとは上の道に繋がる階段があるといったところだろうか。
一先ず慰霊碑がどこにあるのかを懐中電灯で暗闇を照らしながら探っていく。
全く手入れがされていないようで、階段の上にも念のために上がってみたが、上の道は街灯が殆どないと言ってもいいぐらいの暗闇が広がっており、通過する車も少ないところだった。少し進んでいくと、いかにも出てきそうな雰囲気が漂う潰れたパーキングの廃墟があるぐらいでその先を進んだとしても廃墟しかないと分かったため、慰霊碑がある場所はここではないと分かったところで再び階段を使い下りようとした時の事だった。
赤色と白色のバイクが並走するような形で通過していった。
通過していくのなら怖くないと思いますが、そのバイクが明らかにおかしかった。
バイクが通過したのは分かったが、峠道なので通常ならエンジン音が木霊するのだが、そのバイクのエンジン音は通り過ぎた後に一切エンジン音が木霊しない。
エンジン音が木霊しないことが果たしてあるのだろうか?と疑問に思いながらも再度階段のところへと戻り下の道路へと下りることにした。
余談だが後日改めて調べてみると、どうやらこの辺り一帯が心霊スポットのようだった。改めて地図で道路の形状を見てみると、ヘアピンカーブが続く形状になっており恐らくだがこの付近一帯での事故が多発したためについてしまった怪異譚の可能性があるが、抜け道になるはずなのに車が少ない理由も何かありそう。まだこの心霊スポットの噂の真偽については調査をしていないので何れ検証は行いたい予定ではある。
脱線したので、再び本題へと戻ろう。
再度調査開始。
南向きに歩いていくと茂みの中からポツンと石碑のようなものが見えてきた。
だがしかし、御参りが出来るような階段などが一切なく、果たしてこれが慰霊碑なのかと思うと疑問に思えるようなものだったので更に南へ進むことにした。
その時の事だった。
上の茂みから、時代劇で見るような、江戸時代の人っぽい着物姿とちょんまげの姿をした3名程の男性が忙しそうに走りすぎていくのが見えた。
その瞬間に、これは来てはいけないところに足を踏み入れたという予感が益々高くなった。今迄に感じたことのない緊張感が自分の心の中で走っていくが、ここで弱みを見せてしまうと己の死に同情してくれると思い憑いてくる危険性が高いからだ。
あえて名前を伏せたのは他でもない。
余りにも危険な御霊がいると分かったので、これ以上の調査はやめて明るい時間帯で再度行うことにして後日改めて訪れることにした。
その時はまだ慰霊碑を発見できなかった。
再度確認のために上の茂みを見上げてみるとまたしても5名程の頭はちょんまげの着物姿の男性達がバタバタと慌しく動いていく中で茂みから道路側に向かってキョロっと青い着物を着た男の子が顔を覗かせている。まさか、子供も処刑されたのかと思ったが、その時にふと脳裏をよぎったのが、あの青い着物の男の子は若一神社で購入した座敷童子さんのお守りに描かれている座敷童子さんと全くそっくりだったのだ。
座敷童子さんが、これ以上やめたほうが良いよと合図を出してくれた。
時間も時間で帰るのが遅くなることを考えて慰霊碑を見つけられなかった撫養撫養こそは残るが、その場を後にすることにした。
後日、改めて再訪問した。
時刻は13時30分頃のことだった。
刑場跡地であることを示す案内板の内容を改めて読み上げたところで、帰ってから改めて調べてわかった慰霊碑と思える石碑のようなものはどうやらこの峠道を整備しましたよという記念のために造られたものだった。
なるほど。
だから、気配を感じなかったのはそのためか。
元々近くまで来たんだし立ち寄ってみようか的な感覚で訪れたので、某心霊系のYouTuber様が行うような緻密な調査は一切行わない。行けば答えが分かる、そんなスタンスでただただ気ままに自分の直感で行う。疑問に思ったところは後で調べたらいい、そんな感じで今まで検証を行ってきました。
だから予めここで行うという予定ははっきり言って立てていない。
因みに血液型はA型だが人間としての中身はB型です(汗)
再び本題へ。
だとしたらあの時に茂みのほうでちょんまげ姿の男性達が忙しく走り回っていたところに慰霊碑があると気づき、座敷童子さんの忠告で行けなかった南方へと進んでみることにした。すると、工事現場などでよく見かけるオレンジ色のバリケードで囲まれているところが目の前に見えてきた。
多分ここがそうなのだろうと思い足を踏み入れようとしたら絶句してしまった。
慰霊碑はあった。
だが上の道に廃墟が存在すると前述したように、全くと言ってもいい程管理がなされていないために、草木は生い茂り、鬱蒼とした茂みの中からポツンと南無阿弥陀仏と書かれてあることがわかるぐらいのものだった。
可能な限り慰霊碑に近づこうと思って入口へと向かおうとした時の事。
”やっと、助けに来てくれたのか”
丘の上でちょんまげ姿の男性がひざまずいた状態で叫んでいた。
それはまるでわたしが助けに来てくれたことを心待ちにしているようだった。
その傍らには男性の家族だろうか、赤い縞模様の着物を着た女性が憔悴しきった状態で啜り泣いていた。
男性の背後には今か今かと刀を振り落とそうとしているちょんまげ姿の男性がいた。
”助けて、助けてくれ!!!!!”
男性の叫びは届かず、あっという間に首を斬り落とされてしまった。
その瞬間にさらに女性の泣き声は更に激しくなった。
一部始終を見てしまったときに、わたしも、そして丘の上にいた男性の家族と血が滴る刀を下ろした状態の男性と目があってしまった。気づかれたと思ったのか、さっきまでの光景が嘘のように一瞬にして現実の世界へと戻っていくのだった。
ひょっとしていまわたしが見ていた光景こそが当時の、だとしたら本当に洒落にならないものを見てしまったと思うと背筋がぞくっとした。
改めて丘の上の状態を確認したいと思い、可能な限り近付いてみようとしてみたが伸び切った草木が行く手を拒み、とても前には進めないと判断して外からばけたん検証を行うことにした。結果赤などは出ず、水色点滅などが出るという曖昧なものだったが、ばけたんの力では丘の上にいる御霊の存在までは判別が出来なかったのだろう。恐らく刑場の一番トップと思われる長老らしき身なりの男性が出てくるとわたしのことを鋭い目つきで睨み付けた後、続けて部下と思われる30代から40代ぐらいの着物姿の男性達がわたしを時間を開け乍ら注意深く警戒しながら観察してくる。
どうやら見てはいけないものを見てしまったようだ。
その時だった。
ふとわたしのところにエンジェル君達と座敷童子さんがやってきた。
皆が声を上げて泣いていた。
座敷童子さんが「あんなにも危ないから止めたのにどうして行っちゃうの?」と泣きながら訴えると、エンジェル君は「向かうべきところへ行ったほうが良いよって説得しても通用しない。」と泣きじゃくりながら話してきた。
これ以上の調査は無理だと判断して帰ることにした。
帰る際に、刑場跡地の近くにあるお地蔵様へ足を運び挨拶をしようとした時の事だった。因みにこのお地蔵様の足元には無数の無縁仏が存在している。この地で処刑された方々の魂はここで供養されている。
お地蔵様に手を合わせ挨拶をしたら、お地蔵様が鬼の形相で睨み付けてきた。
今までお地蔵様に睨まれるなんてことは一度もなかった。
やはりお怒りに触れることがあったとしたら、あの光景を見たことになると気づき、すぐさまお地蔵様に対してお詫びして謝罪を行ったところ、こう告げられた。
”ここにはもう来ないほうが良い。”
その言葉を聞いたときに、ふとあの鬱蒼とした茂みの中に慰霊碑があることについて触れ、わたしは思わず”誰も参拝が出来る状態ではなくなった今の状態で果たしていいのか?”とお地蔵様に訊ねたら、こう返してきた。
”あそこは誰も足を踏み入れないほうがいい。出来れば整備などは行わず、今のままのほうが良いと思っている。時代が変わっても、邪念や悪意を持った者達が今もなお彷徨い続けている。わたしはこの地でずっと霊達の説得を続けている。”
その言葉を聞いたときに、最初に見たSOSのサインを出してきたあの処刑された男性も、関係者と思われる男性達も、邪心があって霊感が強いと分かったからこそわたしに対してのアクションを起こしてきた。それに気づいたときに、この某刑場跡地の闇が根深く果たして心霊スポットと言うべき場所に相応しいのかとなると、危険だからやめたほうが良いに限るとはっきり言って思えた。
帰る際にお地蔵様に一言お礼を告げたら、お地蔵様の表情が穏やかになっていた。
許して頂けた。
もうこれ以上、ここには近づかない。
エンジェル君達のためにも、座敷童子さんのためにも。
そう思えた某刑場跡地でした。
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