とうとう、怖いのかこの話は?と首を傾げられてしまうと思われるが、たとえば歴史の授業で教科書の挿絵等で見たことのある歴史上の偉人がもし御霊となって目の前に現れたとしたら、服装をよくよく思い出せばあれは今どきの服装じゃない・・・一体なんだったんだと思っているうちにふと気になって調べてみたら実は歴史上の有名人のお化けだった!なんてところが実際心霊スポットとしては多数存在しています。
実際に実在したかどうかは疑問視されていますが、有名なのは長崎の原城跡。
原城跡は島原・天草一揆が起きた際に天草四郎率いる一揆軍が原城に籠城し幕府に対して最後まで抵抗したものの、力及ばず敗れてしまったわけですが、原城跡の心霊の所以というのが一揆軍の大将だった天草四郎が御霊となった今も大軍の部隊を率いて現れるというもの。果たしてその噂は本当なのかどうかはさておき、若干16歳でリーダーとしての力を発揮したと考えたら、本当にもし天草四郎が実在した人物であったら幽霊であってもお会いしてみたいものである。
天草四郎は謎に包まれている部分が非常に多い歴史上の偉人ですが、次に紹介する偉人は実在しますよ。こちらは是非行く機会があれば訪れたい洞窟があります。
鹿児島にある城山公園は鹿児島県の心霊スポットと検索すれば必ず出てくるのだが、ここでは付近にひょっとして心霊との結びつきがあるのではないだろうかと思われるのが西郷隆盛洞窟から西郷隆盛終焉の地。名前の通り、西郷隆盛が出てくるのでは?ということですが、歴史をあまり知らない人はどうしてと思うかもしれない。西南の役を起こしたものの、熊本城、田原坂の戦いで敗れた西郷軍は追い詰められた末南下するほか術がなく鹿児島市内の城山公園内にある洞窟に立てこもるのだが、そこでも官軍との激しい激戦を繰り広げた末に敗戦が濃厚となった時に終焉の地とされる場所で切腹を図り、西南の役は官軍の勝利で終わる、というのがざっくりとした説明ですが、実はこの城山公園は古戦場ということもあり、戦死された方の霊が出るという話は勿論のこと、ひょっとして西郷隆盛の御霊に会えるかも?というのが個人的な見解です(笑)完全に憶測です。
実際に調べてみましたが心霊スポットではありません。しかしながらも西郷隆盛が亡くなるまでに過ごした最期の地であると同時に、もし御霊として現れるのであれば本当にあの歴史の教科書通りの逞しい体型の方なのか、現れるという口コミも無かったため、ここでは出会えたら良いなあという程度で紹介をしておきます。
前説が長々となりましたが本題へと移りましょう。
これはわたしが心霊スポットの一つとされている貴船神社へばけたん検証を行った際の話である。貴船神社とは丑の刻参りの発祥の地として知られ、今もなお心底櫓乗ってやりたいと思う人がいたら丑三つ時に儀式を行う者がいるようで、わたしが訪れた際には儀式を行った痕跡などは決して見受けられなかったが、仮にもし痕跡の一つである藁人形が見つかった場合は即座に貴船神社で回収されるために決して人目にはつかないそうだ。前の10話でも軽く紹介したと思うが、貴船神社はお化けが出てくる怖さというより人の怖さを痛感させられるヒトコワのスポットだ。
以前からせっかく貴船神社に来たのだから是非とも御参りしたいところがあり、時間は15時を回ってからの登山という形になってしまったが貴船神社参拝の後に訪れたのが鞍馬寺。古くから天狗伝説があり、また源義経公が牛若丸だった頃は鞍馬寺で剣術の修業に励んでいたことでも知られ、今もなお義経公の魂がこの地で供養されている。天狗伝説が有名な場所で、叡山電鉄の鞍馬駅を降りてからの鞍馬寺へと向かうあの界隈は至る所に天狗のお面だらけです。わたしも散策をしてみてわかったことですが、ひょっとしてこれは天狗様では?と思ったことがありまして、それが今まで風の流れが緩かったのに急にゴーッと激しくなったと思ったらまたおさまってということが実際に何度かあってこれはもしや天狗様が付近を移動されたのではないだろうか?と思えるような現象と実際に遭遇しました。
やはり天狗様がいるというのは事実なんだなあと肌身で感じつつ、辛い山道を登り続けていくと疲れからくる錯覚とばかりにあの時は思ってしまったのか、奥の院魔王殿を参拝して次の僧正谷不動堂へとやっとの思いで到着した際の事。
本堂の横で一先ず休憩を取っていたら背後から白い着物姿の男性がわたしの横でいったん立ち止まると、持ってきたばけたんがあまりにも画期的だったのかクスッと笑った後に『非常に面白そうなものを持っているね。』と言われ、思わず何も言えずにキョトンとなってしまっていたらその男性は義経堂と看板に書かれた階段を登った先にあるお堂の前でいったん立ち止まると、こちらをちらっと振り返った後にお堂の中へとスーッと入って消えてしまいました。
これは現実なのか?
あれは生きている人だったのか?
しかし冷静に考えてみると、どう考えても今どき烏帽子をかぶった平安貴族のような身だしなみの男性などまずいない上に、あんな過酷な山道を一体どうやってあの着物姿で登って来れたのだろうか?山道を登った際に生じる泥が付いたような痕跡などは一切見受けられず、あの方は一体・・・?と推理した際に辿り着いた答えこそが義経公の御霊だったのだろうかということでした。
今までに味わったことのない不思議な感覚に本来ならばけたんをするべきでしたが、あまりにも唐突な出来事な上にそもそも鞍馬寺は心霊スポットではないというのもあったし何よりも山奥に位置するため圏外との闘いでもある。スマートフォンが圏外になるにつれ電池の消耗量が激しくなる。とてもとてもばけたんをしている様子を撮影が出来るほどの電池の残量ではなかったためにこの日は断念した。
後日改めて、ばけたんに興味を示してくれた義経公の御霊を喜ばせたいという一心もあってスマートフォンの電池の残量も万全の状態で撮影することにした。
まずは由岐神社へ参拝を済ませた後に、多宝塔が見たいという事もあってケーブルカーに乗り鞍馬寺を目指すことにした。初めて来たときはケーブルカーの終電も近かったという事もあり、徒歩で熊が出るかもしれない危険性とも戦いながら何とか下山をしたわけですが、ケーブルカーを使うと登山の苦労が少しでも解消されるということで非常に楽ちんで多宝塔に到着すると早速多宝塔から眺めることができる絶景を満喫してから試しに多宝塔でばけたんをしてみることにした。
結果は通常を示す緑だった。
この時点ではまだばけたんも御霊の存在がいない状態であるということを判断していた。それはわたしも同様の意見だった。
多宝塔の参拝を済ませ、参道の途中にある弥勒堂でも立ち止まり挨拶を済ませてから鞍馬寺の本殿へ。
はじめて訪れたときのことです。本殿から先に光明心殿に参拝したときのことですが、祀られている護法魔王尊の像を見た瞬間に写真とは明らかに違う穏やかな表情とは一変、とても険しい顔つきで見られたのが恐ろしくも何か罰当たりなことをしたかとなると怒らせてはいけないと思い挨拶だけでは駄目だと思い御賽銭をするためにも急いで購入したのが本殿で購入することができる清め杉という商品でした。
1000円で支払い、400円の御釣りをもらったところで改めてご挨拶を兼ねての御賽銭をするために再度光明心殿の護法魔王尊の像で深々と頭を下げて挨拶をしたら、最初に見たときのあの険しく厳しい表情から一変、温和な表情で見つめていた。
先に本殿で挨拶を済ませてからでしょとお叱りを受けたのかもしれません。
話は戻り、本殿へ先ずは挨拶を済ませた後に光明心殿へ挨拶をしてから、義経堂がある僧正谷不動堂を目指して山道を登っていくことにした。
僧正谷不動堂に行くまでに是非とも立ち寄って欲しいところは多々あります。
①鐘楼→除夜の鐘を鳴らすことが出来ます
②息つぎの水→牛若丸が毎夜剣術の修業で通った際に息つぎの水で喉を潤していたとされている湧水
③背比べ石→義経公が16歳の時、奥州へと向かう際にこの背比べ石と背比べをして名残惜しんだとされている
④大杉権現社→樹齢1000年以上の大杉を祀っていましたが・・・2018年の台風により社も崩壊、大杉も損壊したため、今は被害を受けた痛々しい状態だけが残る
⑤奥の院魔王殿→大地の霊王である魔王尊が降り立った地とされている
話は本題へ。
メインとなる僧正谷不動堂は最後に回そうと思い、まずは鐘楼から挨拶、続いて息つぎの水、背比べ石、大杉権現社、奥の院魔王殿へ前回は小銭貧乏になってしまったので賽銭が出来なかったお詫びとばかりに前もって小銭を沢山持った状態で参拝をしてから、ハアハアと運動不足にはこたえる山道を登り切った先にある僧正谷不動堂へやっとの思いで到着すると、義経堂があるお堂からまるでわたしの到着を待ってましたとばかりにお堂の前であの烏帽子をかぶった着物姿の男性が立っていた。
ここに来ていたことが分かっていたのだろうか?
それはまるでわたしの行動パターンを先読みされているようで、再びこちらを見つめるとお堂のほうへとスーッと入っていくのだった。
その瞬間にすぐにでもばけたんをと思いましたがここは他の観光客に気を遣わなければなりません。撮影しても問題ないタイミングを見計らい、ばけたんをしてみると結果は精霊に近い存在の御霊がいるという水色でした。
つまり、ここにいる御霊は悪い霊ではない。
そうばけたんが示してくれた。
同じタイミングでわたしと同じような霊感の強い参拝客の女性の方がいまして、その方が友人たちと話していた内容が「着物姿の男性が小さなお堂の中へと入っていくのが見えた。」と報告している姿を見ると、これはひょっとすると霊感がある人ほど義経公の御霊が見えるのかもしれないと思いました。
霊感がある!
お化けが見える!
そういう方には是非とも訪れてほしいスポットです。
義経公の御霊は決して悪い霊ではないので安心して下さい。
因みに義経堂が牛若丸だった時代に天狗から武芸を学んだとされる僧正が谷であり平泉で非業の死を遂げた義経公の魂は鞍馬の地に戻り遮那王尊として祀られているそうです。因みに義経堂の案内板にはこう記載されている。
”歴史には文治5年(1189年)4月に奥州衣川の合戦で自害をしたと伝わっているが義経公の御魂はこの山に戻られ遮那王尊として護法魔王尊の破邪顕正のお働きを助けておられるという。義経堂には遮那王尊をお祀りする。”
この看板が示すように、ここには神として戻ってきた義経公の御魂が存在する。
余談だが九十九折という山道の途中にあるのだが、義経公供養塔というのがある。
これは牛若丸だった頃に7歳から約10年住んでいた東光坊跡地で昭和15年に供養塔が建立されたそうです。東光坊があった頃、昼は学問、夜は武芸に励んだとされる義経公にとっては思い出溢れるこの地に旅立った後も戻りたいという気持ちがあって戻ってきたのかもしれません。
僧正谷不動堂へ御参りを済ませ、最後に深々と義経堂のある方向へと頭を下げてから本殿のある方向へと戻ろうとした時のことでした。
再び義経堂のお堂の前で烏帽子をかぶった男性がにこやかな笑顔で立っていた。
それはまるで最後の別れを見送って下さっているようにも視えた。
はじめて視えたときも、再度訪れたときも、思ったことは一緒だった。
歴史こそはすみません。本当に日本史ってムズカシイネ。源義経って何をしたって聞かれたら答えられませんが(おいっ)、鞍馬寺で御霊となって現れた義経公を見て神様としてこの地で祀られていることに日々感謝の気持ちを抱きながら参拝に訪れている方々をお堂で温かく見守って下さっているとても優しい方だということです。
パワースポット巡りにも本当におすすめしたいスポットです。
ただし夕方からの参拝は冗談抜きでやめたほうが良いです。
今は冬眠の時期に入っているので出てこないと思いますが、お化けが出てくる怖さよりも、野生の熊が出てくる危険性のほうが高いためです。熊の活動期ならば貴船神社含む一帯が熊が出てきます。どうしても参拝できる時間が夕方になってしまう場合は熊鈴を持って歩いたほうが良いかもしれませんね。
以上、わたしが体験した不思議な話でした。
今年も鞍馬寺には御挨拶に何度か参拝させて頂く予定です。
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