2023年になりました。
皆様新年明けましておめでとうございます。
当該小説では引き続きわたし(個人)が体験した怖い話を怪談として伝えていきますので宜しくお願い致します。
さて、本題はどうしようかあと思いながらも、まずまず考えたのが丑の刻参りの発祥の地とされる貴船神社へ参拝した際の出来事だが、心霊スポットの怪異譚としては丑の刻参りの発祥の地だからこその今もなお丑の刻参りが行われていてその儀式を見てしまったらその儀式を行った人が呪われてしまう、身を護るためには見てしまった者の命を殺めなければいけないというものだがここは2回伺いましたが・・・。
伺ったのは9月と10月だったのですが時期が時期でまだクマが出没してもおかしくないというのもあって、活動時間の夕方になるまでに散策を済ませなければいけなかったため、個人的な感想としては「空気が綺麗だね」で終わりでした(汗)。
いやいや、他に収穫はあったはずでしょと突っ込まれそうですが、丑の刻参りが今も行われているのは事実のようですが、問題は呪術の際に使われる藁人形が見つかるかどうかってことですけど、そういったものは観光客の目に触れぬように神社側が前もってチェックして回収されているそうです。ともなると殺された方の霊が見えましたかという話になってくるのだが、川沿いの道をゆっくりと歩いていくと自然と力の弱い浮遊霊を多数見かけるぐらいのもので、怖さとは無縁でした。寧ろ、山もある水場でもある川もある、霊が自然と集まりやすい環境が大いに揃っているので、出てきてもおかしくはないが、現れても不自然ではないというのが答えです。
夜になればまた違うと思いますが、如何せん前述しましたがクマが出てくる危険性があるのは勿論のことですが(夕方の16時以降からは熊鈴が必須です)、この儀式をもししようとするのならば、時期にもよりますけども閉門後に訪れてやったとしたら不法侵入、器物損壊、藁人形の内容によっては脅迫罪等の犯罪に触れます。
呪い殺すだなんて、あまりにも考えが馬鹿馬鹿しいので個人的には勧めません。
自然の怖さは勿論のこと、人の愚かさを痛感させられました。
2回目に訪れたときは、絵馬にこう書かれてあったのが今も忘れられません。
その方には好きな方がいるようです。
しかしその方はマッチングアプリをしていてその女性のほかにも遊び友達がいる。
女性は本気のようで絵馬に自らの思いを書き綴っていました。
・お付き合いがしたい
・マッチングアプリをやめろ
・ほかの女友達と遊ぶのやめろ
とありました。
もうこの時点で遊び友達の一人でしかないってことに気付けよって突っ込みを入れたくなる内容があったほかは家庭円満、幸せが続きますようにというものでした。
結論、怖いというのは感じることも無く帰ってきたというのもあり、またもう一度訪れてみようとは思いますが、多分ここは人の怖さを感じる以外のものはないと思います。クマは冬眠中ですので、夕方に訪れても問題はないと思いますが、冗談抜きで京都市でも奥地に当たる山間部の雪が降り積もるこの時期の貴船神社は極寒の寒さを痛感すると思います。因みに1月7日から2月26日の期間だけ夜間特別ライトアップで12月1日~4月30日の閉門時間が18時までなのですが期間中は20時までと延長されるようです。洛北観光スポットとして個人的には推したい場所です。
さて前置きの怖くない怪談が長くなりましたが、本題へ。
これまで色々なスポットにばけたん検証をしてきましたが、そのばけたんでさえも機械の限度を超えてしまう出来事がありました。
それが船岡山公園でした。
心霊の曰くは色々あります。
古くは平安京で栄えていた頃、船岡山があるこの地には蓮台野(れんだいの)という京都の三大葬送地の一つ(鳥辺野=うべの、化野=あだしの、蓮台野=れんだいの)であり、散策してみると西側の千本通に向かって無数の無縁仏が設置されているところがありました。また保元の乱の際には敗北した源為義と子供達が処刑され、応仁の乱の際には西軍を率いる備前国守護の山名教之と丹後国守護の一色義直らが船岡山城を建築し立て籠もり、その後は永正8年(1511年)に細川政賢と大内義興の間で繰り広げられた船岡山合戦が行われた地でもある。
そう考えるとかつてはあの世に近い場所であり、かつ古戦場でもあったわけですから数々の武者の血が流れていた場所だというのは想像できるはずです。
ネットニュースには無かったのだが改めて資料館等で調べたい心霊の曰くというのがあり、それが”首吊り自殺が多発している場所”だというもの。かつて自殺が本当に多かったところへ行ったことはありましたが、そういった地で目にするのは自殺防止のためのいのちの電話の連絡先が記載されているポスターぐらいで、実際に公園内を散策してみるも、いのちの電話の連絡先も無ければ、誰がどう見ても戦意喪失状態の落武者の霊がのらりくらり歩いているのがチラリ見えたぐらいで、自殺があったか非常に怪しいというのが正直な本音。落武者は出てきてもおかしくないが、ここで自らの命を絶った方がもしいらっしゃるなら彷徨っていてもおかしくないのに、落武者の霊のほかに見えたものがあったとしたら・・・。
30代ぐらいの警官の男性としか言えない。
山頂の広場に向かうまでの話。
警官の男性は公園脇のマンションの3階のベランダに立っていた。見張りかと思ったら、一瞬のうちにマンションの前の道路にいてこちらを見て振り返っている。どう考えても生きている人間の行動ではない。するとWARASHIが自動検知で赤点滅ポーン。「後ろに気を付けて」と話した後、警官の男性が後ろにいることに気付いた。
そこからは、警官の男性の不思議な行動が続く。
その男性は手招きをして、何処かへ案内しようとしている。
常にわたしの行動を気にしていて、先回りするように、こっちへおいでこっちへおいでと紹介したい場所があるようだ。ゆっくりと山頂広場から眺める絶景を眺めながら散策していると、強く違和感を感じた場所があった。
それはこの部分だけ気の乱れが生じていると感じるほど、あまり長居したいとは思えないほど居心地のいい場所ではなかった。そこでもばけたんをしてみたのだが結果は緑点滅だったが後で撮影した映像を見てみると謎の呻き声が録音されてしまった。場所はちょうど山頂広場の南側斜面に近い岩場でごつごつとしている場所だった。撮影当時はわたしと同様に山頂から眺める絶景を撮影している方ならいましたが、苦しみ悶え今にもSOSを求めている人などいませんでした。
そして呻き声が録音された南側の岩場の下を確認しようということになり向かうことにするのだが、そこには顕彰と書かれた石碑があった。近づけば近づくほどここだけが異空間で、先程までに感じたあの違和感は殺害現場特有の気の乱れが生じていることが分かった。よく心霊スポットで殺害現場になった場所ほど出てきやすいとお考えの方が多いので、肝試しをされる方がいらっしゃるかと思いますが、はっきり言って長居したいと思えないほどの居心地の悪さは勿論のこと、こういう場所ほど気の乱れが生じているのでありとあらゆるものが流れてくるために霊のたまり場になってしまうのです。中には自らの死に同情してくれていると思って憑いてくる全く関係のない霊もいますので、決して被害者の霊だけではなく注目されたいという欲望しかない霊もいますので、対処できる術がないと危険ですね。感受性の強い方はとりわけ、色々な霊を憑れて帰ってしまうことにもなりかねません。
では、山頂広場の南側斜面では過去何があったか、お話ししよう。
1984年(昭和59年)9月4日。
公園内の公衆電話から掛けられた通報を受け駆けつけた十二坊交番勤務のA巡査が山頂広場南側斜面で犯人に拳銃を奪われた末に殺害されてしまう(※警視庁指定115号事件であり、Wikipediaでは京都・大阪連続強盗殺人事件という記事名で事件の詳細が記載されていますので気になった方はぜひ検索してみてください。)という凄惨な事件があった場所になります。
撮影時はまさかここが現場だったとは知らなかったのですが、いざ足を踏み込んでみたらこの顕彰と書かれた石碑の付近だけが異様な空気に包まれていた。その時点でこれは殺害現場だと気づいた。数え切れぬほどの夥しい数の方々(勿論霊だが)が茂みからこちらを見ている、数々の落武者の霊がまるで警官の死を哀れむような眼差しで通り過ぎてゆく。一番忘れられないのが、先程まで先回りするように動いていた警官の男性が、この顕彰の石碑の前でずっと立ち止まり待っていた。
拝んでほしかったのか。
いや理解出来ない自らの死に今も現実を受け入れられないでいるのだろうか。
後日改めて訪れた際の事。
時間が時間で17時を過ぎていたというのもあって、辺りは真っ暗で、公園内ではボール遊びに興じている少年たちがいるぐらいのものだった。
応仁永正戦跡の石碑の付近でばけたんをしていたら、背後でふと誰かが近付く気配がしたのと同時にそのときに撮影した映像にははぁ、はぁと男性の息遣いの後にパタパタパタパタと謎の足音が、撮影時は聞こえなかったのかと聞かれそうなので言いますけど、当時はボール遊びをしている少年たちのボールの弾む音がここにも聞こえてきたのかと思っていたが改めて映像に収録されている音を聞いてここまで至近距離で聞こえてくるのはおかしいことに気付いた。
明らかに”何か”がいる。
散策を続けていくと、階段の下で手招きをする警官の男性がいた。
男性がいた場所で念のためにWARASHI検証を行うと結果は黄色で「気配は感じるんだけどね。」というと、場所を変えてばけたん検証を行うことにしたがもうボールが弾む音すら聞こえぬ位置であるにも関わらず、周囲にはわたししかいないのにパタパタパタパタと音が鳴り響く。
ここで恐怖だと思ってしまったら何の説得力にもならない。
根源を探るためにも、散策を続けることにした。
公園内には電灯があるが階段があるような場所は灯りが殆どなく懐中電灯で足元を照らさないと危ないといえるレベルだった。
そんな中でまた階段の下で警官の男性が手招きをする。
再度男性が手招きをした場所にまで下りてくると、右脇の茂みからコツンと誰かが歩く靴音が聞こえてきた。映像を撮り終えた後、「誰だ?!」と声を上げた後、あの警官の男性が階段を登った先でわたしを見ると公衆トイレの女子トイレの脇をすっと走り去っていく。真っ先に誰かいないかの確認のために声が聞こえた方向へと写ってしまってはまずいというのもあって説明したいために靴音の主を探したが、そこには人が立ち入ることは出来ないほど植物で生い茂っていた。
もしこの場を仮に歩いている人間がいたとしたらまずどうやって足を踏み入れたのか教えてほしいぐらいのレベルだった。
注意深くゆっくりとした歩調で山頂の広場にやってくると、再び警官の男性がいた。
待っていたかとばかりにわたしを見た。
そして南側斜面がある方向へと消えてく。
もうこの時点でわたしの中で警官の男性が恐怖ではなくその場にいて当たり前の存在になっていた。そんな状況元で以前伺った際に落武者の霊が多数しゃがみ込んでいた無縁仏が多数祀られている地へとやってくると、階段の下で再び警官の男性が手招きをしていることに気付いた。
落武者の霊がいない、そして何より自殺があったのかどうかを探るための霊視も、警官の男性の存在感の強さゆえ、辿り着くことも出来なかった。
色々と手探りの状態ではあったが最後に顕彰と書かれた石碑の前で再び足を運ぶと以前よりも増して茂みからの無数の視線を強く感じた。その瞬間に石碑の前に備え付けてあった線香入れに線香をお供えすると、一瞬のうちに消えてしまった。残るは、わたしと戸惑いの表情を隠せないでいる警官の男性だけだった。
先程から警官の男性がいたとは言いましたが、明らかに警邏中の方ではないとわかったのが日が落ちて公園内は真っ暗、ご存命の方ならば懐中電灯を持ち歩いた状態で職務に当たるはずだがその方は懐中電灯の一つも持たずに闊歩していた。
その瞬間に答えが分かった。
首吊り自殺が多いという噂も、謎のパタパタ音も全ての噂の根源は同じだった。
殺された警官の男性は無線でSOSを発進した際に呻き声を上げながら「助けてくれ」と緊急発信ボタンを押したとみられる緊急信号を最後に送信が途絶えてしまったという。その後搬送先の病院で死亡が確認されるのだが、ひょっとするとこの時に亡くなられた警官の男性が遺した最後の悲痛な叫びだったとしたら、その場にいる誰かに対して気付いてほしいという一心で両足で地面を蹴り続けていたのだとしたら、音源の正体は自殺ではなく殺人事件の被害者だった可能性が極めて高くなった。
ただこれはあくまでも憶測にすぎず、実際問題この警官の男性以外、自殺者と思われる方の霊は一度も見ていない。つまり、警官の男性が死ぬ間際に出したSOSを思い込みだけの誤った解釈でデマが広がってしまった可能性がある。時代が昭和、平成、令和と移り変わっても心の傷は癒えず、今もこの地で命を落としたという現実を受け入れられずに彷徨い、その場にいる人間に対し見えないSOSを発信している。
実際に自殺があったかどうかはWEBでは拾えなかった。
改めて資料館等で過去の事件・事故があったかについて調べる必要がありそうだ。
最後にこの地で命を落とされた全ての皆様に心よりご冥福をお祈りします。
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