「ふむ…引き受けたはいいが、泥棒ねぇ…しかし、極悪のお代官様とか悪の帝王ならまだしも綺麗なお嬢さんからときたもんだ。あぁ、いやだねぇ、やりたくないねぇ。」
男はそんな独り言を吐きながら、いとも容易く扉の鍵を開ける。
(今回の獲物はこの家にある石の仮面…)
なんでも付けた人間の力を何十倍にも増幅させるとんでもないものらしい。そんなものが極悪非道の大悪党にでも渡ったら、とんでもないことになるだろうが…
(今回の依頼主はどうやらそんなタマじゃないようだ。大方俺から仮面を受け取った後さらに高い金額でほかに売りつけるつもりだろう。)
男は物音を立てないように家に忍び込み、お目当ての仮面を探し始める。
(そんな大層な仮面っていうくらいだから壁とかに大事に大事に飾っているんだろう。情が湧かないように、できれば家主の顔を見ずにおわらせたいもんだが――)
音を殺していくつかの部屋を探し、次の部屋を目指して廊下を歩く。すると、扉が開いていて中から明かりが漏れている部屋を見つける。
(明かり…?外から見た時は明かりがついているようには見えなかったが…)
耳を澄ませて物音がないのを確認してからそっと中を覗いてみると、中には温かく光っている暖炉とその上に飾ってある灰色の仮面、そして仮面に向かい椅子に座りながら眠っている家主の姿があった。
(あれがお目当ての仮面か…まあ他にそれらしきものもなかったし、何よりレディの部屋をこれ以上探し回るのも野暮ってもんだ。さっさとくすねてズラかるか…)
もう一度部屋を覗く。だが、先ほど見たはずの家主の姿がないことに男は気が付いた。
(さっきのお嬢ちゃんは…?)
「なんだお前は?人の家に入る時は挨拶するのがマナーってもんだろう?」
背後から声がする。
「っ!?」
殺気を察知して咄嗟に飛びのき相手を見る。
部屋から漏れる光で顔が照らされ、長い黒髪が輝いている。
綺麗だ、そう思った。それ以外の感情はそこにはなかった。
忍び込み家主に見つかった。久しぶりに犯したこんな大失態を前にして、
抱いた感情が、『綺麗だ』。こんなに馬鹿な話はない。
(まずい…!騒がれる前に脱出を…)
「なんだ、口を利くことができないのか?人に用事がある時は簡潔に用件を言い、相手に失礼のないように振る舞うべきだろう。ずいぶん慌てているようだが、急ぎの用なのか?」
「あ…あぁいや、別に急いでいるわけじゃない。あんたと話がしたくて来たんだ。」
こんな話を誰が信じてくれるのか。いや嘘を言っているわけではない。盗むのではなく本人と話をして、目的のものを譲ってもらえるのであればそれが一番良い。しかしそれにはちょっとばかし時間帯と出会い方が悪すぎた。
(急いでほかの言い訳を…!)
「なんだそうか。それならば次からはしっかりとチャイムを鳴らして入ってくるんだぞ。これでは泥棒のようだ。」そう言って女は部屋へと案内してくれた。
「お、おいおいお嬢ちゃん、いくらなんでも人を疑うことを知らなさすぎないか?こんな夜中に忍び込んで来た見知らぬおっさんをのこのこ部屋に上げるなんて、無用人の極みだぞ?」
すると女は少しぽかんとしてから吹き出すように笑った。
「はっはっは!私の家に忍び込んで来たからどんな奴かと思ったら、なるほど、こいつは確かに大した男が来たものだ!」
女はそう言って笑いながら椅子と机、さらに鍋から一杯のスープを用意してくれた。…さっき部屋を見た時二つ目の椅子なんてあっただろうか?
「それで?いったいどんな話をしに来てくれたんだ?まさかマッチを売りに来たわけではあるまい?」
すべてを見透かしているかのような笑みを浮かべ問いかけてくる。どうやら嘘やごまかしは通じないようだ。出されたスープを一口飲む。
…まずい。はっきり言ってまずい。だがそれが悟られないように顔を作って慎重に本題に入る。
「単刀直入に言わせてもらう。その仮面を譲ってほしい。」
「…ふふ。本当に大した男だ。お前も言ったが、見ず知らずの女からのスープ、ふつう飲むか?…いいぞ、持って行け。」
おっと、さすがに想定外だ。今まで体験したことのない事態に頭が混乱する。
こんなこと本当にあるのか?泥棒に入って見つかってしまい、美人のお嬢ちゃんにもてなされ挙句には正直に頼んだら貰えた。これじゃあ人生イージーモードだ。
「なんだ?怪しいか?証拠にサインでも書こうか、なんなら信頼の証にキスでもしようか?」
「いや、いいさ。おっさんにはこんなお嬢ちゃんは眩しくて見てられねぇ。さっさと仮面を貰って退散するよ。」
「ふふふ…はっはっは!私を『お嬢ちゃん』とは、いやぁ恐れ入る…。しかしその仮面は少し曰く付きだが、本当にいいのか?」
「いいさ、どうせ欲しがってるのは俺じゃないし、曰くつき同士馬も合うだろう。」
「そうか、まぁそれはもうお前のものだ、好きにするがいい。次からはちゃんとチャイムを鳴らすんだぞ。」
「あぁ、またいつか必ず、今度は昼間にお邪魔するよ。」
そういって俺はその女の家を後にした。
次の日の昼に依頼主に仮面を渡した。
(金も入ったし、旅の支度をして次の仕事を探しに行くか…)
食料や水などを買い込んでいると、依頼主の屋敷の方から騒ぎが聞こえる。近くの村人に話を聞くと、
「あの屋敷の家主が怪物になって暴れているらしい!」とのこと。
…あいつ興味本位で仮面付けやがったな…?
まぁもう俺には関係のないことだ。さっさと次の仕事を探しに――行こうとしたはずが、村の出口とは真逆の方向に俺は走り出していた。
〈ふと脳裏に昨晩のことがちらつく。〉
あのとき出された何とも言えない不気味な味のスープも、あの快活な笑い方も…あの美しい女も、怪物に壊されるのはもったいない。
「俺もつくづく損な性格してるよなぁ。」
走っていると、ひらけた場所に出た。何かが暴れた形跡がある。その「何か」の巨大な足跡は、あの女の家の方へと続いていた。
「っ!まずい…!」
言うが早いか俺は風を切り走り出した。
さらに先の方、怪物を見つけた。まだ家にはたどり着いていない。俺はその行く先に立ちふさがった。
「どこ行こうってんだ?この先にいる女はお前にはもったいねえよ。」
俺は怪物に斬りかかる。こう見えてこいつ一本で今までやってきたんだ。多少の自信はある。向こうも両拳を俺に突き付けて来たが、
「(俺の方が速い…!)」
怪物の腕を斬り飛ばす。そのままの勢いで怪物の首を―――――、一閃。斬り落とした。
なんだ、こんなもんか。と一瞬気を緩めた瞬間、
体に激痛が走る。
景色が高速で流れる。怪物に殴り飛ばされ何かに激突した。上から崩れた壁が降ってくるのが微かに見える。
何故だ?腕を飛ばした、首を落とした。あれで死なない生き物がいるはずがない。
崩れた壁に埋もれながら、なんとか怪物の姿を見ると、俺が切った場所からは触手が生え、胸に顔が現れていた。あんなものが人間だったとは到底思えるはずもない。まさに物語に出てくる怪物だ。
なんてものに手を出してしまったんだろう、勝てるはずがない、黙って逃げればよかったのに……そう思えないのが俺の悪い所だ。
「俺の仕事は何でも屋ァ…!怪物退治もこなしてみせらぁ…!」
あばら三本は折れたであろう、痛む体に鞭を打ち、震える両足を地面に突き立てる。
「例え俺がくたばろうとも、あの女の元へは絶対に…!」
「あの女…とは、誰のことだ?案外モテるんだな、あんた。」
聞き覚えのある声がした。
その瞬間、怪物がその場に倒れこむ。何が起こったのか、理解が追い付かない。
「全く…時間指定は合っていたが、次はちゃんとチャイムを鳴らせと言っただろう?」
「あ……あんたはいったい…?何故ここに…?いや、それよりもどうやってあの怪物を…?」
「おいおい、質問が多いな。人にものを訪ねる時は簡潔に順序良く、それがマナーってもんだろう?」
「…っ!おい!あの怪物まだ!」
いつの間にか立ち上がっていた怪物の触手が伸びてくる。すさまじい勢いでそれが女に叩きつけられ…るはずが、その触手は女の前でピタリと止まる。見ると触手だけでなく、身体全体が蛇に睨まれた蛙のように固まり、痙攣している。
「だからあれには気をつけろと言ったのに全く…」そう言って女が軽く手を振ると怪物の触手が消し飛ぶ。
「おい!気をつけろ!あれは消し飛ばしたとしてもまた生えてくるんだ!あいつは殺しても死なない生き物だ!」
「殺しても死なない?怪物?あいつはもともと人間ではないのか?」
「そ、そうだが、あんたから貰った仮面の力で怪物に…!」
「…ふふふ、お前は本当に面白い男だ。人間が怪物に?そんなことあるわけないだろう、物語でもあるまいし。
人間はどこまで行っても人間、外見がどんなに変わっても人間であることに変わりはないのさ。教えておいてやろう、坊主。人間っていうのは殺したら死ぬ生き物なのさ。」
そう言うと、先ほど怪物に与えた傷口がみるみる膨張し、爆音とともに怪物の身体は粉々になった。そして追い打ちをかけるようにその肉片を一転に集め、跡形もなく消し去ってしまった。
その光景に呆気にとられていると、
「…で?急いできたようだが今日はどういった用で来たんだ?まさかマッチを売りに来たわけではあるまい?」
「……あぁ、いや別に大した用事じゃない。旅立つ前にお前の作ったスープがまた飲みたくなったんだよ。」
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