「ねぇ愛歌ちゃん」
魔王として改めて歓迎された夜から数日。
建築されたてほやほやの屋敷にて、進藤和也は神妙な面持ちで妹を呼んでいた。
「はいはい。御夕飯は野草カレーですよ」
「わーい。じゃなくてさ」
兄の滅多に見せない真剣な表情に妹、愛歌は姿勢を正した。
「彼なんだけど」
和也の前には彼にそっくりな男性が横になっていた。
彼の名は和也Jr(仮)
受肉寸前にまで顕現した呪詛神、朱禍獣命の内側から突然現れた何から何まで謎の男である。
「ええ、食事も排泄もせずにもう1週間近くになりますか。どういう理屈なのか、健康状態には問題ないようですね」
「俺って結構、女装似合うかも」
「は? 」
何言ってるんだ?
と愛歌が怪訝な顔で和也を見るが、彼は真面目な顔で自分と瓜二つな和也Jrを見詰めている。
「いや、Jrは俺にそっくりでしょ。それで観察してたら、意外と女の子に見える瞬間が何回かあってさ」
「は、はぁ……」
「頭の中で、女の子の服を着せてみると……割と似合った訳よ」
あぁ、兄は今日も馬鹿だな。
と愛歌の視線が優しくなる。
最近真面目な事が多くあったが、兄がいつも通りで少し安心した。
「それでさ、女装アリだなーって」
「なるほど。つまり、そっくりなこの方に女装をさせて擬似的に自分も女装を楽しもうと? 」
「そうそう! 」
「駄目でしょ。考えても見てください、お兄様が女性の服を……もし、も……」
和也の最後の外付けブレーキだ、と自負する愛歌はこのお馬鹿な提案を咎めようとして……
すやすやと眠る和也Jrの顔を見て。
魔が差してしまう。
「も、もしもお兄様が女装を……ヒラヒラの服やフリフリのお洋服を!? 」
長い前髪に隠れた彼女の瞳に、怪しげな光が宿る。
「愛歌ちゃん? 」
「み、巫女服だなんて! そんな! 」
そもそも愛歌は和也の妹。
和也の影響を最も強く受けた人間である。
いくら常識的に振舞おうと努力しても、根底には和也と同じ物がある。
「なるほどお兄様分かりました! では、Jr様に女装をさせ、似合う物を選別してお兄様も是非! 」
つまり、愛歌も愛歌で結構好き放題やる性格であった。
そういう事だった。
「しまった、ツッコミ待ちのボケだったんどけどな」
「こうしては居られません! 直ぐに持参した服を、爺や様にも他に服が無いかお聞きしましょう! 」
和也の熱量を圧倒的に上回るテンションで、愛歌は服をかき集め始める。
兄である自分の女装に乗り気な妹。
これには和也もドン引きであった。
「愛歌ちゃん。いいかい、ごめんね実はこれは冗談で……」
愛歌は和也のネタバラシ虚しく、村中から女性物の服を何着も集めてきた。
その手際と情熱は、当事者であるはずの和也の介入を全く許さない。
「異世界の技術が頻繁に流入しているお陰で、服飾関係も私達の世界とそう変わりませんね! さぁ、どれから試しましょう! 」
「僕はこの、ミニスカートとか良いと思うかな! 和也は足も細いしきっと似合うよ! 」
服を集める途中で紛れ込んだ麗らかな日和、似非元気僕っ娘が短いスカートを指差す。
「麗らかな日和! 流石に……ミニスカートは」
和也は必死で事態を鎮火しようとするが、そこに月を見る者も加わった。
もう誰にも止められない。
「なんだこのそっくりに服を着せるのかそれならこの紐はどうだ動きやすそうで涼やかださあ着せるぞその後にカズヤにも着せるのだぐへへ」
月を見る物は紐を掲げた。
正確には、紐にしか見えない極小マイクロビキニである。
何故こんなものがファンタジーの世界に?
「おぉい! 着れるか! 馬鹿! ていうかこんな技術は持ち込まなくていいだろアンバーさん……勇者教は意外と助平だったのか? 」
村の者が好き勝手に服を持ち寄り、もうお祭り騒ぎになってきた。
皆が和也に是非、と女物の服を持ち寄ってくる。
もう少しこの騒ぎを楽しみたい所だが、和也はそうもいかない。
窓の外を見ると、もう日が暮れ始めていた。
「あ! 悪いけどそろそろ帰ってくれ」
「お兄様何かご予定がありましたっけ? 巫女服を着ますか? 」
「着ないけど」
さあ帰った帰った!
と魔物達を無理矢理屋敷から追い出して、和也はガサガサと自分の荷物を漁る。
取り出したるは走り書きのメモが数枚、そして小さな白濁する水晶の欠片。
「これ、帝都から帰る時にロリエルさんから貰ったんだよね。処方箋……じゃないや、定期的に魔力の調整をする方法をメモして渡してくれたの」
「あぁ! 仰っていましたね、そう言えば。今度お会いしたらお礼を言わないと」
愛歌はしれっ、と巫女服の予備を和也のタンスに仕舞う。
「それで、魔力の調整はどうやるんですか? 私も少し興味があります」
「おうよ! まず……そう、満月の夜にしないといけないらしくてさ」
和也はカーテンを開けて、薄暗くなり始めた空を眺める。
今はまだ薄いが、空には丸い月が浮かんでいた。
「なになに……満月に手をかざして……」
可愛らしい丸文字で書かれたメモを判読しながら、それに従って行動する。
「水晶を、身に付けて? ポケットの中でいいかな」
窓から風が強く吹き込んでくる。
カーテンが揺らいで、森のざわめきが部屋の中まで届いてきた。
「呪文を唱えたらいいんだな。なんだか魔法使いっぽくてカッコイイな、やってる事は治療みたいなものだけど」
月に手をかざしたまま、メモの内容を読み上げる。
「在るべき物を、在るべき場所へ……」
メモの呪文の部分は特に力を入れて書かれたのか、滲んでいたり歪んでいたりしていた。
少し読みにくいが、その通りに口を動かす。
「願う物を、願う人へ……」
不穏な空気を感じ取り、愛歌が不安そうな表情になる。
「死なず、終わらず、許されない者よ」
「お兄様? なんだか様子が……その呪文で間違いありませんか? ……きゃっ! 」
メモを取り上げようとして、愛歌は和也に突き飛ばされた。
突然の事で驚くも、身体能力の高い彼女はすぐさま体勢を立て直す。
「お兄様!? 何を」
呪文を読み上げる和也は、虚ろな目でメモを決して手放さない。
再度組み付いた愛歌を無視して、まるで操られるように呪文を唱え続けた。
「魔の王よ……」
「お兄様! 手荒な事になりますがお許しください! 」
愛歌はメモを持つ腕を掴み、一瞬で肩、肘、手首の三ヶ所の関節をキメる。
ギリギリと嫌な音をさせながらも、メモを決して手放そうともしなかった。
「そんな! なんで……いつもなら泣いて謝るくらいなのに」
関節の激痛を意に介さず、和也は最後の一文を読み上げる。
「甦れ、まだお前は許されない……」
一際強い風が部屋に吹き込む。
灯りが消え、部屋の中の物が幾つか宙を舞った。
「きゃあ! 」
和也の腕をしっかりと握っていた愛歌は、何かに強く突き飛ばされて部屋の隅に叩き付けられる。
「この……進藤を舐めるなよ、喧嘩なら」
暗闇の中、悪態をついて立ち上がる愛歌の目に信じられない物が写り込んだ。
「お兄、様? 」
暗闇の中。
兄、進藤和也が2人いた。
1人は虚ろな目で中空を見詰めて微動だにせず。
もう1人は、強い意志を感じさせる瞳で月を眺めている。
「お兄様……では無いな! 誰だ貴様! お兄様に何をした! 」
暗闇も相まって錯覚してしまったが、間違いなく別人だ。
良く似ているが違う。
愛しい兄、進藤和也はこんな目を、苦しそうな目をしないと愛歌は知っている。
ならばこの謎の青年は一体何者だ。
「俺は……魔王」
大きな満月を背負うかのようにして、青年は名乗りを上げた。
「魔に属する者共の王……人だ、名前に意味は無いから好きに呼ぶといい」
短刀を抜き、血走った目で愛歌が唸る。
「よくやってくれた。みんな本当によくやってくれた。もう大丈夫だ、俺が来たから……」
「お兄様に何をしたかも答えろ! 」
飛びかかろうとした愛歌は、目に見えない謎の力で抑えつけられその場から動けなくなった。
「君はイレギュラーだった。だがもうい、君も良くやった、和也をよく守った。もういい」
魔王と名乗る青年は縫い付けられたように動けない愛歌を一瞥すると、それ以上何も言わずに部屋から出ていった。
「この……く、そ」
先程までの強風が嘘のように静まり返った部屋の中。
愛歌が動けるようになったのは数十分後、和也が床に倒れ込んだのとほぼ同時であった。
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