「レイ……」
慌てて涙を拭って名前を呼んだ星に、レイニールが徐に口を開く。
「――どこに行くつもりじゃ……主。我輩との約束は忘れてしまったのか?」
体を震わせながらその大きな瞳から涙を流しているレイニールの姿に、星は言葉を発することができなかった。苦しい時も楽しい時も、いつでも側にいて自分を支えてくれたレイニール。
そんなレイニールにどんな言葉を掛ければいいのか分からない。罵倒しようにも、今の星にはその言葉が全く浮かんでこない。代わりに浮かんでくるのは、レイニールとの楽しい日々だけだった。
星が口籠もってその場に立ち尽くしていると、先にレイニールが叫んだ。
「我輩といつでも、どんな時でも一緒にいるって約束したのじゃ! 忘れてしまったのか主!」
「…………覚えてるよ」
つい無意識に口から出てしまった。すると、レイニールは更に強い口調で叫ぶ。
「ならばなぜじゃ!! どうして我輩に一言もなく勝手に行こうとする!!」
「……言ったら止めるでしょ?」
俯きながらそう尋ねる星に向かって。
「当たり前じゃ! 我輩の主は、主だけなのだぞ! 主がいなくなるなら死んだ方がましじゃ!!」
その言葉に星は顔を上げると、真っ直ぐにレイニールの瞳を見つめる。だが、その瞳からは嘘を言っていないとすぐに察することができた。
このまま何も言わずに星がこの場を離れれば、レイニールはその言葉通りにその命を絶ってしまうかもしれない。そう考えた星は、意を決してレイニールに今回のことを説明しようと決めた。
大きく深呼吸して、ゆっくりと頷き意を決すると星はレイニールに向かって言った。
「――レイ。私の話を聞いてくれる?」
レイニールは頷くと、手で涙を拭いてゆっくりと星の方へと向かって飛んでくる。星もホッとした表情でそんなレイニールに歩いていく。
そしてお互いに距離を縮め、互いの顔をじっと見つめたまま止まる。それはお互いに干渉できないくらいの距離だった。
「あの……じつは……私はこれから、あの覆面の人に、直接会いに行くの……」
星は思ったことを言葉にして口から放ったが、それが上手く頭の中の考えを出せたのかは分からない。
すると、レイニールは声を大にして叫ぶ。
「我輩も行くのじゃ!」
「それはだめ!」
すぐにレイニールの意思を拒絶した星に、レイニールは納得いかない様子で「なんでじゃ!」と叫んだ。
星は表情を曇らせ、何度か言葉を発しようと口を開いては止めてを繰り返す。それは本当に言いたいことを我慢するように……。
本当はレイニールに「一緒に行こう」と言いたい。今までどんな時でも、協力してレイニールと戦ってきた。その回数はエミル達よりも遥かに多いだろう……苦しい戦いを強いられる場面でも、いつでもレイニールが側に居てくれたからこそ耐えられたというのが本心だった。だからこそ、今回だけは絶対に『一緒に戦おう』なんて言葉は言えない。言ってはいけないのだ――――。
そして無言のまましばらく沈黙し、ゆっくりとした時間がその場に流れると、我慢できずにレイニールの方が先に口を開いた。
「理由がないなら我輩が行っても――」
「――それはだめなの!」
レイニールの言葉を遮って星は叫んだ。その瞳からは、止めどなく抑えきれなくなった涙が溢れ出てくる。
泣きながら肩を小刻みに震わせた星は、揺れる唇で声を震わせながら告げた。
「一人でいかないとだめなの……そう言われたから、今度は一緒に連れていけないの……私はあの人と戦わないといけない。それは、エミルさん達やレイを守りたいからなの。レイが私に内緒でエミルさん達と戦ったのは知ってる……でも、あれも手加減されてたんだよ!」
「――――な、なんじゃと……? 嘘じゃ!」
「うそじゃない!」
すぐに星の言葉を否定しようとしたレイニールに、星が大声で叫んだ。
普段なら、絶対に相手の意見を否定しない星がそれをしたことで、レイニールはそれ以上の言葉を発することができなくなった。
再び訪れた沈黙に、星は腕で頬を伝う涙を拭うと言葉を続ける。
「手加減されてたの……そうじゃないと、私はあの人の所に行こうと思わなかった……きっと、あの人と戦うチャンスは、これを逃したら絶対にこないと思う。だから、私は戦うの、そして必ずみんなを元の世界に返してあげるの。それが私の……私にしかできないことだと思うから……」
星はゆっくりと歩き出すと、レイニールの顔の前まできて優しく耳元でささやく。
「……レイ。頭を少し下げて……」
「うむ……」
レイニールが頭を下げると、星が更に近付き額の辺りに優しくキスをする。彼女の柔らかい唇がレイニールの額に触れ、ゆっくりと離れるのを確認してからレイニールは閉じていた瞼を徐々に開いて星の顔を見た。
星はそんなレイニールに向かってにっこりと微笑んで徐に口を開いた。
「――エミルさんには髪飾りをプレゼントしたけど、レイにはまだ何も上げてなかったから……知ってる? 初めてのキスには大好きって意味があって、特別なんだって……レイ。私は約束を破ってないよ? だって、私がどんなに離れてもレイの事を大好きって気持ちにはうそはないから……」
「うむ。我輩も主が好きじゃ、大好きじゃ……だから、せめて行く前に我輩をぎゅっとしてほしいのじゃ……」
「……うん。いいよ」
そう言ったレイニールの体を抱き上げると、ゆっくりと自分の胸に押し当て抱きしめる。すると、レイニールの瞳から涙が止めどなく溢れ、顔を更に強く押し付け星も寄り添うように頬を寄せた。
それからどれくらい経っただろう……相当長い間。二人は抱き合っていた気がするが、正確な時間は分からない。しかし、一時間近く抱き合っていたような感覚はある。
二人はお互いの体をゆっくりと体を離すと、表情を曇らせた。そして星はコマンドを操作し、アイテム欄から金色に輝く野球ボールくらいの大きさの球体を取り出してそれをレイニールに手渡した。
「これを……エミルさんに渡して。後はエミルさんがなんとかしてくれる……」
「うむ。分かったのじゃ……」
不安そうな顔をするレイニールに、星が笑みを浮かべながら告げた。
「――大丈夫だよ。少し離れるだけだから……すぐに今まで通りに戻れるよ。あっ、エミルさんにごめんなさいって……あと、ありがとうございましたって伝えて」
「それはできない……この玉はエミルに必ず渡す。だが、お礼は帰ってきたら主が直接本人に言えばいいのじゃ!」
「……そうだね。それができたらいいんだけど、私は弱いから……あの人に負けるかもしれない。だから、もしもの時は――」
俯き加減に言った星がそこまで言葉を口にすると、レイニールが一喝して話に割り込む。
「――主! 主は強い。だからそんな心配はいらぬ! ずっと側で見てきた我輩が言うのじゃ、間違いなく主は最強なのじゃ!!」
表情を曇らせていた星はにっこりと微笑むと、レイニールの言葉に大きく頷いた。
「うん。そうだね! でも、もしもの時はお願いね……」
そう告げた直後、星は身を翻してレイニールに背を向けた。レイニールも瞳を潤ませながらも、涙を我慢すると星から貰った金色の玉をしっかりと抱きしめ、星とは反対方向に向かってパタパタと飛んで行く。
それを察したのか、星もゆっくりと歩き始めた。だが、レイニールと違うのは星の瞳から涙が止めどなく溢れていたことだ。レイニールに気付かれないように声は我慢していたものの、涙は抑えることはできなかった。星には分かっていたのだ――これが本当に最後になると……。
いたたまれなくなった星は突然走り出すと、レイニールは振り向いて星の後を追った。
「――主! やっぱり嫌じゃ! 我輩は主と一緒にいたいのじゃ!!」
「……ごめん」
そう言った瞬間。星の後を追いかけていたはずのレイニールの視界から、突然前を走っていた彼女の姿が消えた。
何が起きたのか分からないまま、追う目標を失ったレイニールは周囲をゆっくりと見渡し星がいないことを確認すると、途方に暮れたように地面に降り立って泣きながら主と呼び続けた。
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