突如として謝ってきた星に、驚いた表情を見せるイシェル。
イシェルは星の様子を見て、エミルと顔を見合わせると首を傾げながら小さな声で尋ねる。
「エミル。なんであの子は謝ってるん?」
「ああ、星ちゃんはとりあえず。なんでも謝っちゃう子なのよ。もう癖みたいなものね」
「また。けったいな話やねぇ……」
それを聞いて、イシェルはそう小さく呟いて眉をひそめた。その後、頭を下げている星の前で立ち止まる。
星は恐る恐る顔を見上げると、イシェルの顔色を窺いながら、不安そうな表情を向けている。しかし、イシェルは微笑んでいるだけで、その表情からは何も感じ取ることはできない――。
すると、イシェルは星と目線を合わせると、にっこりと微笑んで星の頬に両手を押し当てた。
「ふふっ。星ちゃん?」
「……えっ? はい」
星がイシェルの顔をじーっと見つめていると、急に両頬に痛みが走った。
(――なに!? ほっぺたがすごく痛い!!)
星は混乱しながらも、その痛みの原因はすぐに分かった。
「あはは、星ちゃんのほっぺはやわらかいな~。こない伸びるよ~」
そう。その痛みの原因は、イシェルが星の頬を引っ張っていたからだったのだ。
両手をバタつかせ、星は驚いた様子で目を見開いている。
「いはいへふ。ははしてくあはい~」
星は「痛いです放して下さい」と言ったつもりだったのだが、頬を引っ張られていたことによって上手く言葉にできていない。
楽しそうに星の頬を引っ張っているイシェル。
彼女の突然の行動に驚いたエミルが、慌てて声を荒らげながら叫んだ。
「ちょっとイシェ! 星ちゃんが痛がってるでしょ! 放しなさい!!」
「……そないに怒らんでもええやん」
エミルは強い口調でそう言い放つと、イシェルは口を尖らせながら渋々その手を放した。
手を放された直後、イシェルから離れるように少し距離を開ける。
「うぅ~。痛かった……」
星はヒリヒリと少し腫れた頬を撫でていると、目の前にエミルが現れた。
「ごめんなさい。後でイシェにはきつく言っておくから」
エミルのその本当に申し訳無さそうな顔を見て、星はにっこりと微笑み返した。
「いえ、私が笑ったのがいけなかったんです。イシェルさん本当にごめんなさい」
落ち込んだ様子で星は、イシェルに向かって深く頭を下げた。
そんな星を見てイシェルが困った顔をして言った。
「……ううん、星ちゃんは悪くない。うちが悪いんよ……星ちゃん見てたら急にいじわるしたくなってな。ほんまにごめんなさい!」
イシェルがそう言って深く頭を下げた。
星は彼女の『いじわるしたくなった』という言葉を聞いて、ふと、夢の中の出来事を思い出す。
(そうか……やっぱりいじめられるきっかけを作ってるのは私なんだ……)
星の頭の中でそう考えると、その表情を一気に曇らせる。
「……いえ。全て私がいけないんです。ごめんなさい!」
その直後、涙が込み上げて来るのを感じ、慌てて走り出してしまった。
相当ショックだったのか、星は振り返ることもなく一直線に走り去ってしまう。
「ちょっと待って星ちゃん!」
それを慌てて止めようとしたエミルの声も走り去って行く星の耳には届かなかった。
小さくなっていく星の背中を、エミルは寂しそうに見つめる。
「……星ちゃん」
「ごめんなエミル。うちが衝動を押さえられんかったばかりに」
「いいえ、イシェはあの子の事あまり良く知らないんですもの。仕方ないわ」
エミルはしょげかえっているイシェルにそう言うと、少し間を空けて徐ろに口を開いた。
「――まあ、レイニールちゃんもついてることだし。きっと大丈夫よ……でも、そろそろしっかりとあの子の事を、イシェにも話しておかないといけないわね……」
「私も気になるわ~。星ちゃんの事……」
エミルがそう呟くと、どこからか聞き慣れた声が聞こえてきた。
すると、すぐ隣に急に屈強な男の顔が現れエミルが少し仰け反る。
「――サラザさん!? いつからそこにッ!?」
横から急に顔を出してきたサラザに驚いた様子に、エミルは目を丸くしている。まあ、突然筋肉質なオカマが現れれば驚くのも無理はないだろう。
その反応が不満だったのか、サラザは腕を組んだまま不機嫌そうに口を尖らせている。
「なによ~。人をバケモノみたいに……」
「――いや、事実バケモノだろう」
小声で毒突くデイビッドの顔を、サラザの獣の様な瞳が鋭く睨みつける。
自分の後ろに立っているサラザの殺気に気付いて、デイビッドは慌てて視線を逸らすというお決まりの行動を終えると、再びエミルが話し始めた。
「デイビッドとエリエは知っていると思うけど、あの子は一度私の元を去ろうとしたことがあったの。その日はちょっとした出来事があって、それも関係していたのだけど……その時に薄々気が付いていたけど……あの子は無意識のうちに、人と深く関わることを避ける傾向があるのよ」
それを聞いたカレンは自分にも思い当たるところがあるのか、その重い口を開く。
「でも、俺には、エミルさんの元を離れようとした星ちゃんの気持ちが分かるような気がします……」
その発言を聞いて、その場に居た全員がカレンの方に視線を向ける。
星の考えていることが分かる気がする。突然そんなことを言われれば、誰でも気になるだろう。だが、星のことを一番特別に思っているエミルがそれは一番大きいのだろう……今までにないほどに熱い視線をカレンに向けていた。
皆の視線を受けるカレンが、徐に口を開く。
「――エミルさんの言ったちょっとした出来事は俺には分からないけど……星ちゃんは自分が傷付くのも人が傷付くのも嫌なんだと思います。俺の親友もそうでした――自分のせいで周りに迷惑をかけることを極端に嫌い。いや、恐れてるんですよ……あの子も同じで優しい子ですからね」
「そうね……」
カレンのその言葉を聞いてエミルはそう呟く。
だが、それを聞いてもエミルの心の中にある不安は消えてなかった。
自分より人を優先にする危うさを、ここに居る誰よりもエミルは良く分かっていた。
(でも、星ちゃんはいつかどこか遠くに行ってしまいそうな――そんな気がする。岬のように……)
エミルはそう考えながら、不安げな瞳で空を見上げて、どこか遠い目をしている。
悲しそうな彼女の様子を見ていたエリエは不安そうな表情になった。
その頃、走り去っていった星はというと……。
エミル達から離れた場所に立っている巨大な木の近くに腰を下ろしてすすり泣いていた。その傍らには、それを心配そうに見つめているレイニールの姿があった。
「――主。もう皆の所に戻らないと……こんなところで敵に襲われたら、ひとたまりもないぞ?」
そう優しい声で諭すように言ったレイニールに、膝を抱えたままうずくまって泣いていた星がゆっくりと口を開く。
「……ぐすっ……わかってる。けど……こんな顔じゃ、皆の所には戻れないよ……」
星はそう小さく呟くと、膝を抱えながら再び泣き始める。
そんな星を困り果てた表情で、レイニールが見つめていた。
それからしばらく経っても、一向に泣き止む気配のない星にしびれを切らしたレイニールが肩からパタパタと翼をはためかせ飛び上がる。
「我輩はちょっと仲間達の様子を見に行ってくる。主はここを動かず待っているのじゃぞ?」
「……うん」
レイニールはそう言い残し、エミル達のいる方へと向かって飛んでいった。
徐々に遠くなるその姿を目だけで見送ると、星はまた顔を自分の膝に埋める。
ずっと側にいたレイニールが居なくなったことで、今まで以上に星の心の中で孤独感が増してきた。しかし、同時に湧き上がってくる感情がある。
(また1人だ……皆と一緒は楽しい……けど、1人の方が誰にも遠慮しなくていい……)
そう思った瞬間、星は表情を更に曇らせた。
一人で居ると確かに心細くなる。だが、同時に誰にも遠慮しなくていいという安心感も湧き上がってくるのを感じていた。
その感情が、今の傷付いた星の心を更に締め付け困惑させる。
(……私。なに考えてるんだろう。1人の方がいいなんて……今まではそれがいやで友達が欲しいって思ってたのに……できたら1人がいいなんて…………私。最低だ……)
星はそう心の中で呟くと、涙と一緒に昔の記憶も蘇ってきた。
そう。星がいじめられるようになったきっかけは、今からだいぶ前の話になる――。
* * *
それは熱い日差しが照り付ける8月の始め頃の話だ――。
星は苦手なプールの授業が終わり、ほっと胸を撫で下ろして自分の教室に戻った時のことだった。
その日は運悪く担任の教師が休みを取っていて、代わりに他の教師が授業を受け持っていた。その教師は学校内でも厳しいことで有名で、水に顔を付けられない生徒だけを残し星も例外なく居残りさせられて、休み時間ぎりぎりまで練習させられていたのだが、他の生徒はなんとか水に顔を付けるまで。っという目標を達成し、次々に去っていく中。いつの間にか最後まで水に顔を付けられなかった生徒は星だけになっていた。
そんな星もタイムアウトでなんとか先生に許してもらい。教室に戻れることになったのだが、その時には、すでに休み時間の半分以上を消費してしまっていた。
(もう休み時間終わるまで時間がない! 急がないと!)
星はプールの時に使うタオルを体に巻き付けて、全力で階段を駆け上がっていた。
星の教室は3階にあり、そこまで結構な距離がある。
「はぁ……はぁ……間に合った……」
息を切らせながら、なんとか教室に戻ってきた星は、ふと時計で時刻を確認する。
(良かった……まだ6分くらいある)
星はほっとして自分の席に戻り、着替え始めようとパンツを探した時、それがないことに気が付く。
同じクラスの生徒達はすでに着替え終わっていて、皆、思い思いに時間を潰していた。
そんな中、星は凍りついたようにその場に立ち尽くしている。
(パンツがない! 確かにスカートの下に置いておいたはずなのに…………だめ、ここで慌てたら、パンツがないことが皆にバレちゃう!)
星は一瞬で冷静さを取り戻し、パンツはないものの。何事もなかったかのように服に着替えて椅子に座った。
「……ひゃっ!」
直後、すぐに立ち上がると、慌ててスカートの端を両手で押さえた。
それもそのはずだ。星の席は窓際にあり、長時間直射日光を浴び続けた椅子はとてつもなく熱くなっていたのだ。
それはとてもじゃないが、地肌で我慢できるものではなかった。
(どうしよう……でも後5分しかない。確か保健室に代えのパンツがあるはず。保健室は2階、急いで行けばまだ間に合う!)
そう考えた星はスカートが捲れない様に最善の注意を配りながら、急いで教室を飛び出すと、保健室を目指した。
星のクラスの教室は3階で、保健室は中央階段を降っていって、右側に進んで2部屋目にある。
だが、そこに辿り着くには最大の難関が待ち構えていた――。
「この階段を降ればすぐ……」
星はスカートを必死に押さえながらゆっくり、だが急いで降って行った。
そして何事もなく保健室の前に着いた。
星は安堵の表情でほっと胸を撫で下ろす。
「はぁ~。誰にも気付かれなくて良かった」
星が保健室の扉を開けようと、スカートから手を放したその時。油断していた星の後ろから男子の声とともに風が吹き抜けていく。
「おーい。夜空もう授業が始まるぞー。そーれって…………」
男子は走りながら星のスカートを捲って目を丸くしている。だが、それは星も同じだった――。
(見られた……絶対に……見られた……)
動揺しつつも素早くスカートの裾を両手で押さえつけ、男子生徒の方を向き直す。
星は頬を真っ赤に染めながらぼそっと呟いた。
「――今……なにか見た?」
「……ああ、何も!」
男子達は顔を真っ赤に染めると、体の向きを変えてその場を足早に去っていった。
その表情から、男子生徒が星のスカートの中身を見たのは明らかだったのだが。
「そっか、見てないんだ。良かった……」
その時の星はまだ、彼等が言ったその言葉を信じていて、事の重大性を分かっていなかった。
その日は何事もなく終わり。自宅に帰ったのだが……。
次の日から、クラス中では『ノーパン女』と蔑まれる日々が始まったのだった。
* * *
膝を抱えたまま、憂いに満ちた瞳で前を見つめていた。
「あの時から私はずっと1人だった……今はどうなんだろう……」
そう呟いた直後、星は自分の膝に顔を埋めた……。
確かに今は一人ではない。だがそれは近くに誰かが居ると言うだけで、学校に居る時と何ら変わらないのだ。
少なくとも心のどこか奥底では、未だに心を許せないでいる自分がいた。
っと言うことは、見方を変えればまだ孤独なままなのかもしれない。本当に信頼している関係ではなく、ただ行動を共にしているだけの関係――心のどこかでそう思っている。
しかし、それは相手に対してとても失礼なことだ。衣食住と身の安全を保証してもらっている。そのことも理解しているからこそ、自分はそんな人達を本当に信頼していないという事実が星には辛かった。
顔を上げた星は眉をひそめながら、更に憂鬱な気分で空を見上げていた。
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