水の都市、千代の中心に大きくそびえ立つ千代城――都市全体を大小様々な川が流れているその都市のギルドの全てが、それぞれのギルドホールをその千代城内に有していた。
それはメルディウス率いている『THE STRONG』も例外ではない。
ギルドホールはそれぞれのギルドのランクや規模によって、使えるフロアが限られている。また、ギルドのランクは強敵モンスターの討伐やクエスト受注率で変わる。
即ち。所属人数と高レベルプレイヤーの数が、そのまま直接的なギルドのランクとして現れているのである。そして、そのトップに君臨している『THE STRONG』は、この城の天守からした3分の1を自分達の領域としていたのだ。
街を見下ろすように建てられた千代城の大きな特徴は、戦国時代の城の外見とは異なり。城中は整備されていて、まるで高級ホテルの様な構造になっていたことだ――。
その快適さ故に、毎日の領土争いも熾烈を極めていた。
今日も紅蓮がマスターとメルディウスを残して狩りに行ったのも、この住みやすいギルドホールを維持する目的が最大の理由で間違いない。
彼女からしてみれば、メルディウスとマスターの戦闘に介入するよりギルドメンバーの生活の安全を確保する方が重要だったということだろう。
千代城に着いたマスターとメルディウスは、自分達のギルドホールのある天守の最上部に向かっていた。
「ほう。話には聞いていたが外見と中身は正反対のようだな」
マスターは廊下の床に敷かれたアイボリーカラーのカーペットの上を歩きながら、辺りを見渡した。
清潔感のある白い壁に備え付けられた洋風のライトが廊下を柔らかい光りで照らしていた。
メルディウスはそんなマスターに自慢気に言い放つ。
「当たり前だろ。こんなんでも海外のゲームだ。見た目は日本の城を模してはいるが、中身は向こうの人間が暮らしやすいように工夫されてるのさ。風呂やカジノなんかもこの城にはある。その収益はギルドの資金としても利用できるんだ」
「なるほどな。それで紅蓮はどこに居るのだ?」
「ああ、もうすぐ会える。じじいは黙って若い奴の後を着いてくれば良いんだよ」
マスターに肩を貸しながら、不機嫌そうに前だけを向いて歩いている。
その時、目の前から先程とは違う白い着物をまとった紅蓮が、銀色の長髪をなびかせながら歩いてきた。
「あら? あ……2人共怪我をしたんですか? ならメルディウスは自室へ。マスターは私がお連れします」
「ああ、紅蓮すまんな。だが、もう歩ける」
「……そうですか」
紅蓮はマスターの顔を見上げると「マスター。こちらです」と、終始落ち着いた様子でマスターを先導して歩き出す。
そんな彼女にメルディウスが慌て「どこに行くんだ!」と叫ぶと、紅蓮は何食わぬ顔で「私の部屋ですけど、なにか不都合でも?」と返して、何事もなかったかのようにまた歩き出した。
メルディウスは呆気に取られているのか、ぽかんと口を開けたままその場に立ち尽くしている。
前を歩いていた紅蓮が赤い扉の前で立ち止まった。
「ここが私の部屋です。マスター」
紅蓮はそう言って部屋の扉を開けた。
中は彼女の子供っぽい見た目とは違い、シックな大人な感じの内装になっていた。
アンティークの木製の家具に、奥には左右にランプが置かれたベッドの端には観葉植物なんかが置かれている。
マスターを中に招き入れた紅蓮は、部屋の中に置いてある茶色い丸テーブルに着く様に促す。
頷き席に着いたマスターを横目に、紅蓮はケトルでお湯を沸かし何かを作っている。
終えると彼のもとに歩いてきて、テーブルの上に手に持っていたコーヒーカップを置いた。
「コーヒーでよろしいですか? マスター」
「ああ、すまんな。いただこう」
小首を傾げる紅蓮にマスターはカップに手をかけ、中に入ったコーヒーを1口飲む。
一息ついて視線を前に移すと、向かいに座っていた紅蓮の顔が視界に入ってきた。
その彼女の表情はどこか悲しそうに見える。
そんな彼女を心配してか、マスターは持っていたカップをゆっくりとテーブルに戻した。
微かに表情を歪ませる彼を見て、紅蓮が口を開く。
「あの……お口に合いませんでしたか? マスター」
その不安そうな表情を見て、マスターは笑って首を振った。
「いや、そんなことはない。儂もコーヒーにはうるさいのだがな。この味ならば、何も文句はない」
「そうですか、それは良かった」
その会話を最後に2人は沈黙したまま、目の前に置かれたコーヒーをすすっていた。
長い沈黙の中、部屋の外から物凄い音とともに数人の話し声が聞こえてきた。
「おい。兄貴! さすがに姉さんの部屋に無断で入るのはダメだよ!」
「そうです! ギルマス。紅蓮様にもプライベートがございますから!」
「うるせぇー!! 紅蓮とあのじじいを同じ部屋に置いておくわけにはいかねぇー!!」
少年と少女の声の後に、熱り立ったメルディウスの怒鳴り声が聞こえてきた。その直後、勢い良く扉が開き、中にベルセルクを担いだメルディウスが飛び込んでくる。
奇妙なことに、メルディウスの腰には鉄の鎧を着た少年と皮鎧を着た少女が必死に巻き付いていた。
「あなた達どうしてメルディウスに抱きついてるのですか?」
それを見た紅蓮は、その状況に不思議そうに首を傾げた。
「兄貴が止まってくれないからっすよ~」
「メルディウス様が。話を聞いてくれなくて~」
紅蓮のその質問に腰に抱きついている2人は瞳を潤ませながらそう訴えると、紅蓮は2人の前で膝を折った。
表情に変化はないものの、紅蓮は2人に向かって優しい声音で告げた。
「2人ともお疲れ様でした。後は私に任せて下さい」
「「はい!」」
それを聞いて少年と少女は、嬉しそうににっこりと笑って部屋を後にした。見ていたマスターが微笑みながら紅蓮に声を掛けた。
「随分仲間達に慕われているようだな紅蓮」
「いえ。マスターほどでは……」
謙遜しながら紅蓮が頬を赤く染めると、恥ずかしそうにマスターから視線を逸らした。
そんな2人を見ていたメルディウスが更に激昂しながら叫び声を上げる。
「てめぇー! 紅蓮と楽しそうに話してるんじゃねぇー!!」
メルディウスと紅蓮の間に割って入ると、マスターを鋭く睨みつけている。
すると、突然背中に鈍い痛みが走り、彼の体は跳び上がる。
「――いてててっ……なっ! なんだ!?」
メルディウスがふと後ろを見ると、紅蓮の小さな手が鎧の隙間から自分の背中をつねっているのが見えた。
「紅蓮お前……」
「……メルディウス。マスターに失礼な事を言ってはだめです」
「俺は事実を――いっ、いてえええええええええ!!」
なおも言葉を続けようとしたメルディウスの背中を、紅蓮の指が更に強くつねった。
メルディウスがギブアップを宣言すると、紅蓮は徐ろにマスターの前までいくとぺこりと頭を下げた。
それを見て、マスターとメルディウスが驚いた表情を見せる。
「――うちのギルドマスターが失礼をして申し訳ありません」
「いや、なにも失礼な事などされておらん。ただ戯れていただけの事だ、お前が気に病む必要などない」
マスターは紅蓮の頭を撫でながら、心の中では罪悪感でいっぱいだった。
(儂が去ってこれほど変わってしまったのか……この娘には本当に悪い事をしてしまったな……)
昔はもう少し様々な表情を見せてくれた紅蓮だったが、日常の硬い表情から、彼女がこれまでどれほど苦労してきたかが窺い知れる。そんな彼女を見ていると、マスターの心に申し訳なかったという後悔の念が湧き上がってくる。
マスターは紅蓮の頭を撫でながら、ぼそっと呟くように言った。
「謝るのは儂の方だ……本当にすまなかった」
「……えっ? マスター。今なんて……?」
紅蓮は驚きのあまり目を丸くしている。
そんな紅蓮に向かってマスターは言葉を続けた。
「……あの時の儂はただ己が強くなることしか考えておらんかったのだ……今のお前を見ていると、儂のやっていた事が身勝手だったと良く分かった。本当にすまなかったな。紅蓮」
「マスター……」
その言葉を聞いた紅蓮は瞳を潤ませたかと思うと、今度はその頬が真っ赤に染まっていく。
紅蓮は慌てて俯くと、マスターから目を背けた。
その直後、紅蓮は着ていた着物の帯を外し、彼女の白く絹の様に滑らかな肩が露わになる。
マスターは慌てて紅蓮から目を逸して声を上げる。
「紅蓮。一体なにを考えておるのだ! 儂らのいる前で着替えるなど!」
少し強い口調でそう言ったマスターに、紅蓮は振り返ることなく答えた。
「顔を洗うついでに、お風呂に入ろうと思いまして……それに、大丈夫ですマスター。私の体を見て欲情する人などいません」
「ふむ、だが……そうでもなさそうだぞ?」
マスターはそう告げると、指を刺して紅蓮にその方向を見るように促す。
首を傾げていた紅蓮がその方向を見ると、そこにはメルディウスが鼻血を流しながら倒れていた。
「――わ、私はお風呂に入ってきます!!」
それを見た途端。紅蓮は脱ぎかけた着物を羽織り、顔を真っ赤に染めながら部屋を飛び出していった。
それからしばらくして、薄紫色の浴衣を着た紅蓮が戻ってきた。
「――お待たせして申し訳ありませでした。マスター」
「いや、紅蓮も大変だったであろう。儂らの事は気にしなくて良い」
紅蓮は小さく頷くと、落ち着きを取り戻したメルディウスに向かって口を開いた。
「……メルディウス、あなたも汚れています。マスターと一緒にお風呂に入ってきてください」
「おっ? ああ、分かった」
メルディウスはその言葉を聞いて頷いてみせると、隣りにいたマスターの腕を強引に掴むと、そのまま大浴場へと向かって歩き出す。
その時、ふと振り返ったマスターの瞳には紅蓮が僅かに笑った気がした。
大浴場の入口は紅蓮の部屋を出て左に2部屋の所にある。部屋に入ると大きな脱衣室があり、その先に脱衣室よりも遥かに広い浴室があった。
紅蓮が突然脱ぎ出したのも、大浴場が近くにあり。この階には自分とメルディウスとマスターの3人しかいないと知っていたからなのだろう。ちなみに紅蓮の部屋と大浴場の間の部屋は、ギルドマスターであるメルディウスの部屋だ――。
2人は西洋風の大浴場の中で湯船に浸かって、堪えきれずに大きく息を吐き出す。
今日の疲労が一気に吹き飛びそうなほどの気持ちよさが2人を襲い。互いに目を瞑って肩まで湯船に浸かっている。
大理石で作られた高級感あふれる内装に、大きなシャワーやジャグジー付きの浴槽。更にはサウナなどの設備も整っている。
今浸かっている湯船のマスター達の後ろには大きな屈強な男性の像が、右手で頭を抑え左手で股間を押さえるようなポーズで立っていた。
「――あまりくっつくなよ。じじい」
「ふん。裸になれば普段の事を忘れるものよ……裸の付き合いに敵味方も関係ない。まだまだ若いな、メルディウスよ」
「ふん! 勝手に言ってろ老いぼれ!」
メルディウスは不機嫌そうに言ってそっぽを向く。
それから2人の間に沈黙の時間が流れる。その長い沈黙を破るように、メルディウスが徐ろに口を開いた。
「――おい、じじい。勝負の結果、俺達が力を貸すのは了解したんだが、四天王の他の奴も誘うのか?」
「ああ、そのつもりだ」
それを聞いた直後、メルディウスの表情が少し曇った。
「俺としては紅蓮を連れて行くのは少し気が引ける……あいつは自分の固有スキルのせいで色々あったからな。それにできる事なら、あいつは危険な目に合わせたくない」
メルディウスがそう告げると、その言葉にマスターはゆっくりとした声で言った。
「安心しろ、それは儂も同じだ。だが女という者は連れて行かなくても、過度な心配をするものだ……ならば、連れて行って儂等で守ってやれば良いだけのことではないのか?」
「……なるほどな。珍しくお前をすごい奴だと思ったぜ!」
メルディウスは納得した様に、ポンっと手の平を叩いた。
そんな彼を少し呆れた顔で見ると、マスターは湯船から上がった。それを追いかけるようにして、メルディウスも「ちょっと待てよ!」と勢い良く湯の中から飛び出す。
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