オンライン・メモリーズ

~VRMMOの世界に閉じ込められた。内気な小学生の女の子が頑張るダークファンタジー~
北条氏成
北条氏成

学校3

公開日時: 2021年10月12日(火) 00:01
文字数:2,930

 食事を終えると、星は食休み学校の図書室から借りてきた本をソファーで読みながらお風呂が沸くのを待った。お風呂が沸いたことを知らせるアラームが鳴ったのを確認して読んでいた本をソファーの上に置き、脱衣所に向かって歩き出した。


 脱衣所で来ていた服を全て脱いで長い髪をゴムで縛って浴室に入った星はプラスチックの椅子に腰掛けて体を洗い。浴槽の中に体を沈める。

 肩まで浸かったところで大きく息を吐き出すと、両手を組んで前に突き出して伸びをしてそのまま頭上に持ってきて絡めていた指を離しつつ下ろした。


「……はぁ~。久しぶりの学校は疲れたなぁ……」


 目を細めて天井を見上げた星は、今日の出来事を思い出して脱力する。


 星にとって約二ヶ月ぶり学校は、まるで別の次元に迷い込んだのではないかと思うほど別の世界だった……。


 普段とは明らかに違うクラスメイト。そして自分に唯一優しかった図書室の先生も、まるで別人のように素っ気ない態度。しかも、コンビニに行けば知らない人物に尾行されるというおまけ付きだ。


 今までは九條が星は何者かに命を狙われているというだけで、星自身は全くその危険性を認識できずにいた。しかし、今日のコンビニの帰り道に見知らぬ誰かに追い掛けられるという経験は自分が何かに命を狙われていると実感させるのには十分だった。


 お湯の中に使っているはずなのに寒気を感じて肩を抱いて体を震わせる。しばらくして震えが治まると、星は悲しそうな顔をしながら浴室の中を一度見渡してボソッと呟く。


「――うちのお風呂ってこんなに広かったんだ……」


 ふと口から出たその言葉。今まで全くそんなことを思わなかったのにそう感じるようになったのは、間違いなく星が人と関わるようになったからだろう。


 ゲーム世界では、エミルが……そして現実世界では九條が……お風呂に一緒に入ってくれた。前はそれが特別なことだった――本来ならば、自分の裸を人に見られるということはとても恥ずかしい行為である。だが、それを許してしまえば、それが逆に心を満たしてくれて心地良ささえ感じるのである。


 それを知ってしまった星には、もう誰とも関わることのないこの空間が広く虚しいものに変わってしまっていた……。

 

 お風呂から上がった星はリビングのソファーに腰を下ろして大きなため息を漏らして瞼を閉じる。


「……九條さんが居なくなって、ため息を出すことが多くなったかなぁ……」


 小さく口から出たその言葉を飲み込むように口を一文字に結ぶと、ソファーから立ち上がって「照明OFF」と言って電気を消すと、暗い廊下を歩いて自分の部屋の扉を開けて中に入りベッドの上に身を投げた。


 うつ伏せに顔を布団に埋めると、しばらくして体を反転させて真っ暗な部屋の天井を見上げて呟く。


「このままで本当にいいのかなぁ……」


 不安そうに眉をひそめて天井の一点だけを見つめる。


 おそらく。その言葉は不意に出た星の本心だったのだろう……九條も居なくなり。学校に行ってもまるで別の世界のよう――このまま、本当に帰って来るかも分からない母親を待ち続けていて本当にいいのか……。


 今の星の心を支配しているのは孤独と不安。そして先の見えない恐怖……小学生の女の子が突然一人暮らしを始めることになったのだ。それに伴う不安と恐怖はその小さな身体には重過ぎる。


 もしもゲーム世界にログインできてエミル達と会っていたら、この不安も恐怖も一瞬で掻き消してくれることだろう。しかし、現実はそれほど甘くはなく未曾有の大事件を起こした元凶を放置してはくれなかった。


「……もうみんなには会えないのかなぁ……」


 そう星が口にした直後、彼女の瞳から一筋の涙が溢れ落ちた。


 口を噤み右腕で溢れそうになる涙を抑え込むように目の上に押し付ける。


「エミルさんにまた会いたいよぉ……」


 静かに泣いていると、いつの間にか星は眠っていた。



 次に星が目を覚ました時には朝になっていて、時計を見ると時間は6時半を指している。布団から起きた星は朝食を取ると、パジャマから服を着替えて前日調べてきた時間割表の通りに教科書とノートをランドセルの中に入れる。


 食パンをオーブントースターに入れ温めて扉を閉めて開始ボタンを押すと、自動で中身を確認してベストの温度まで加熱してくれる。


 その間に星は神妙な面持ちでIHの上にフライパンを加熱している。踏み台に乗った星は軽くフライパンに油を引くと、パチパチと脂が跳ねるのに驚きながら少し距離を取った。星のその手には卵が握られていて、卵を持ったその手は震えていた。

 

 星は料理経験が殆どない。目玉焼きを作ろうと思ったのも九條の影響が大きいだろう。しかも目玉焼きなら卵一つで簡単に作ることができると考えてチョイスしたのだが……いざ熱を持ったフライパンを前にすると、どうしてもたじろいでしまう。

 

 星は意を決して卵の殻を打ち付けて殻にひびを入れると、器の上で両手で持ってひびに押し付けた親指に力を入れて卵を割りにはいく。


 だが、いくら力を入れてもなかなか卵が割れない。


「……硬い」


 星が更に力を入れると卵が急に割れて器の中に落ちた。しかし綺麗に割れるとは程遠く、割れた卵には細かい殻が入り黄身が潰れてしまっていた。


 それを見た星は少しがっかりしたように肩を落としたが、すぐに立ち直り卵の中に入ってしまった細かい殻を取り除いて熱々に熱せられたフライパンの上に滑らせる。


 フライパンに敷いていた油が跳ねて、じゅうじゅうと焼ける目玉焼きの上にフタをして、踏み台に乗ってフタに付いたガラスの覗き穴から中の目玉焼きを食い入るように見つめる。


 時間が経つにつれて白く硬くなる白身を見つめながら、星は一人でする初めての料理の確かな手応えを感じていた。


 数分間待った上でフライパンに被せていたフタを取ると、しっかりとした目玉焼きになっていた。まあ、黄身は崩れまんまるとはいかず少し形は悪いが、初めて一人で作ったにしては、焦げ付きもせずに良く出来た方だろう。


 フライ返しで皿に移すと、加熱していた食パンをやけどしないように慎重にオーブントースターから皿に移して両手に皿を持ってテーブルへと運ぶ。最後に温めたミルクにココアパウダーを入れてミルクココアを作って両手で溢さないように慎重にテーブルに運んで朝食が完成した。


 椅子に座って「いただきます」と言ってパンにバターを塗るとそれを口に運び、作った目玉焼きの上にしょうゆを掛けて箸で一口大に切り口に含んだ。


 とても簡単な料理だったが自分で苦労して作った目玉焼きはまた格別な味がする。朝食を食べ終えると、ランドセルを背負って家を出た。


 昨日は別の世界に見えた通学路も今日は少し慣れてきた気がする。朝の日光を受けてキラキラ光る道路も、道の端で長い影を作っている看板やガードレール。地面の端の土の間から顔を出す草も短い影を必死に伸ばしている。

 

 その中にランドセルの星の影も加わり、まるでその風景だけは別の次元に住む自分とは異なる別人の営みに感じてしまう……。


 通学路を歩き学校に着くと、数多くの生徒達の声が響き次々と子供達が校門の中へと入っていく。

 その多くの子供達の中に自然に溶け込む星だったが、昨日と同じく不思議な違和感を感じているのも確かだった。

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