車から降りた星は自分の住むマンションを前にして感慨深げにそれを見上げている。そんな星の肩に手を乗せたエミルがにっこりと微笑むと、星にマンションの入り口へと向かうようにと促した。
通り慣れたマンションのエントランスを通り抜けて自分の家のある階へとエレベーターで進んでいく。
目的の階に到着し、エレベーターから降りて自分の家の前まで来ると、不思議な緊張感が周囲に走る。
そういえば、星が自分の家に人を連れて来るのは初めてのことだ。頭の中では家の中が散らかっていなかったか、散らかっていなかったとしてもメイド達が忙しなく屋敷の中を埃一つないように綺麗にしているエミルの家には敵わない。そんな家の中を見たエミルはどう思うだろうか……。
そんな心配が頭を過る。不安な心が星を支配し、なかなか家のドアを開けるまでいかない。
家の前で立ったまま、微動だにしない星を見ていたエミルが心配したような声で話し掛けてくる。
「どうしたの?」
「――ッ!!」
その声で我に返った星がハッとして思い出したように自分のズボンのポケットに手を伸ばした。しかし、伸ばした手に触れたのは馴染みのない生地の感覚だった。
そう。その時、星はエミルから借りた服を着ていることに気が付いたのだ――。
(鍵が……鍵がない!?)
星は焦った様に着ていた服に付いていたポケットに手を突っ込んだり首筋を手で探ったりしながら鍵を探した。
ここまできて鍵がなくて家に入れないなんて言えるはずがない。顔を青ざめさせた星の背筋を今までの人生で味わったことのない悪寒が走った。
そんな時、後ろからエミルが星の肩をポンと軽く叩くと、ビクッと体を震わせて恐る恐る振り返る。
「鍵を開けるからちょっと下がっていてもらえる?」
「え? は、はい……」
驚き素早くその場から離れてエミルの後ろの方に駆けていく。
星が自分の後ろにきたことを確認したエミルはドアの鍵穴に鍵を差し込み、後ろにいた星に「開けるわよ?」と許可を取って開けた。
少しずつ開くドアを見つめ、ドキドキと高鳴っていく胸元を押さえながら生唾を飲み込んだ。
家の中に母親が帰ってきているかもしれないという期待からくるものかもしれない……。
家のドアが開いたが、中には誰もいない。どうやら、母親も九條も帰ってはきていないようで、家の中は星が出た時のまま、何一つ変わっていなかった。
それを見た星はがっかりしたように肩を落とすと、家の中へと入っていく。そんな彼女に続くように、エミルと白髪の男性も家に入った。
だが、エミル達が入ったのは玄関までで、星に荷物をまとめるように言うと、白髪の男性がどこかに連絡を入れた。
星はエミルに促されるままに自分の部屋に行くと思わず表情がやわらいだ。
「……ただいま」
部屋にきてやっと自分の家に帰ってきたんだと実感が湧きはじめてきた。
普段から使っている自分の机を撫でて微笑みを浮かべた。
その後、用意したリュックの中に本などを詰めていく、そこには九條からもらった封を開けていないラッピングされた包み紙も一緒に入れた。しかし、教科書やノートなどはそこには含まれていない。
学校での出来事もあったが、なによりも教科書やノートに書かれた落書きや悪口などをエミルに見られて心配をさせるのが嫌だったからだ――。
部屋を出た星はリビングへと向かって母親が持っていた自分が写っていない写真が入っている写真立てをリュックに入れて玄関で待っていたエミル達の元へと走って帰る。
エミルは笑顔で星を迎えると、玄関のドアを開けた。
「さて、それじゃ行きましょうか」
「……え? もうですか?」
首を傾げてそう言った星にエミルが頷く。
「ええ、荷物を取りにくるのが目的だったし。後は星ちゃんのお母さんが、いつ帰ってきてもいいように使用人を向かわせているから」
「使用人……」
星は不思議そうな顔でぼーっとエミルを見ていた。
まあ、それも無理はない。普段、使用人なんて言葉を聞いたりしない上に、エミルがとんでもないお嬢様であるのは屋敷や専属の執事がいることから疑う余地などないが。星には、まだそれが現実か夢なのかの区別がつかないでいる。
夢か現実か分からず混乱している星の手を引くと、家の中から出たエミルは急ぎ足で外に停めてある車へと戻った。
星のリュック降ろさせて持ったエミルは予想外の重さに地面に落としそうになったが、リュックの底が地面に触れる寸前で引き戻す。
「おっもッ!! いったい何を入れてきたの!?」
「本です」
「なるほどね。この中に本がいっぱい入ってるわけね」
リュックが重い理由を理解したエミルは車のトランクにリュックを詰めると、頷き「よし!」と叫んで星を車に押し込んでその隣に座ると、前のめりになって運転席に乗り込んだ白髪の男性に尋ねる。
「小林。ここから千葉までどのくらいまで掛かる?」
「ここからですと約1時間弱と言ったところですね」
「そう。出来るだけ急いで頂戴」
「はい」
運転席にしっかりと座りシートベルトを締める白髪の男性を確認したエミルも座席にしっかりと座ってシートベルトを締めた。それを見た星も同じくシートベルトを締めた。
車が発車して1時間。すっかり暗くなってから車が到着した場所は人で溢れかえっている。
車から降りた星とエミルが人でごった返していた長い通路を進んで行くと、大きなゲートが見えてきてその先にはライトアップされた巨大なお城が見えていた。
エミルに手を引かれていた星がその光景を見て口を開けていると、隣に立っていたエミルが告げた。
「星ちゃんは遊園地に行くの初めてでしょ? それに、こっちに戻ってきてから色々あって気が休まる暇も無かっただろうし。だから、今日は貴女をどうしても遊園地に連れてきたかったの」
「……エミルさん」
そんなエミルの言葉を聞いた星の瞳には微かに涙が浮かんでいた。
瞳を潤ませている星の頭を優しく撫でると、にっこりと微笑んだ。
2人はゲート近くにいる衣装を着た従業員の所に行くと、エミルが財布から金色のカードを取り出す。
取り出した金色のカードを見た従業員は慌てた様子で頭を下げると、急いでゲート横の部屋へと駆け込んでいく。すると、すぐにスーツ姿の中肉中背の中年男性が先程の従業員と共にエミルと星の元に戻ってきた。
「お待たせして申し訳ありません。VIPパスポートのお客様、ようこそお越し下さいました。私が本日の園内を案内させて頂きます橋本と申します」
丁寧にエミル達に頭を下げたスーツを着た男性。頭を下げるその男性に、エミルが言葉を返した。
「いえ、案内は結構よ。以前にも何度かきているから」
「そうでしたか。でしたらごゆっくりお楽しみ下さい。何かご用がございましたら、こちらの端末をご使用下さい」
スーツ姿の男性はもう一人の従業員が持っていた腕時計型のデジタル端末を受け取り、それをエミルと星に手渡した。
「こちらの端末にはGPSと通信機能、アトラクションのVIP優先権の登録がされており。ストレスなくお客様にご遊園を楽しんで頂けるようになっております。通常のトイレも本来ならば混雑しますので、近くのスタッフにお声がけ頂ければ専用のトイレにご案内できますし、お客様がもし離れ離れになったとしても、端末で園内のマップを表示、GPSによる互いの現在地表示で見つける事ができます。夜間の遊園ですので、お気を付けて行ってらっしゃいませ」
2人が腕にデジタル端末を巻いたのを確認して、スーツ姿の男性が誰も並んでいないゲートの方に手を向けて言った。
星の手を取ったエミルがにっこりと笑って。
「行きましょう!」
「はい!」
わくわくしながら頻りに体を揺らしていた星も大きく頷いてエミルの手を握り返すと隣をゆっくりと歩いていく。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!