今まで星は人の為、周りの空気を壊さない為にそれだけを全てだと考えて生きてきた。
自分の目の前で、他人の表情が曇るのを見たくない。誰かが不幸になるなら、自分がその不幸を被ることが現状で星にできる精一杯の方法だった。
その為には、問題の矛先が自分に向くように仕向けて自分が全てを溜め込み我慢する『人柱』の様な役割になるしかない。それが自分の存在価値――そう考えていた。
今でもその考えに違いはなく。正しい行いだと信じていたが、心の何処かではいつかは誰かが……まるで物語の主人公の様に自分を助けてくれる。そんな甘い思い込みと理想がないわけでもなかった。
そして決してそんな人間は現れるはずがない。これはファンタジーでもフィクションでもない現実なのだ――そう理解する現実性の高い思考力。
始めの頃はそんな考えが交互に襲ってきていたが。今ではそんなことはなく、限りなく現実だけが、小学生の女の子でしかない星に無慈悲にリアルを突き付ける。
学校生活で日常的に感じる孤独。また、クラスメイト達からの軽蔑の冷たい眼差しや、己の自己防衛だけを第一に考え手を差し伸べてくれるはずのない教師達の冷めた対応の数々。
家に帰れば1人だけの静かな部屋に、自分を押し流すかの如く襲ってくる孤独と不安という感情の大波。
毎日が同じことの繰り返しで、日々蓄積されるストレスを『自分より酷い人は世の中にたくさん居る。だからこのぐらいの事で弱音を吐いていてはだめ、もっと頑張らないといけない』という自己暗示によって、星は闇に落ちそうになる精神を辛うじて保っていたのだ。
しかし、普段から星を取り巻く環境は冷たく。そして冷酷だった……。
改善するどころか悪化の一途を辿るそんな中で、手を差し伸べる者も手を取ってくれる者もいなかった。
このゲームの世界に来てからの星の心を支配していたのは『孤独』ではなく『恐怖』だろう。
いつになれば元の世界に戻れるのか分からない『恐怖』
いつ死ぬか分からない『恐怖』
他人と触れ合うという『恐怖』
現実世界に戻った時に元の何もない生活に戻って、自分の心が耐えられるかという不安と『恐怖』
そして今は……この事件で得たものをすべて失う『恐怖』
それが星の心を荒縄の様に――いや、鉄の鎖。いいや、更に強固なステンレス製の鎖に雁字搦めに縛り付けられているのだ。
そのあるはずもない鎖より、抱き締められているエミルの腕の方が物理的に苦しいはずだった。なのだが……今、自分を抱き寄せるその腕がとても温かく、エミルの胸の柔らかさに安らぎを感じた。
だとしても、星の瞳から涙が溢れて止まらないのは、それが理由の全てじゃないことも事実だった。
(……お母さん)
もし、これが自分の母親なら、きっと何よりも嬉しかっただろう『生まれてきて良かった……』そう思えたのだろう。瞳を閉じれば、エミルを母親だと錯覚できるかもしれない。
だが、そんなことをするのはエミルに失礼だということも分かっていた。何故なら彼女は星の為に、こんなことをしてくれているのだから……。
声を殺して泣きながらエミルの胸に顔を埋めている星の頭を、なおも撫で続けている彼女に。
「……どうして優しくするんですか?」
「星ちゃんに優しくするのに、どうして理由が必要なの?」
「……だって、私は何も返せないし。優しくしてもらえるような事もしてません……」
少し意地悪だっただろうが、星のその言葉は真実から口にしたものだ。
これまでの出来事を考えても、これからの出来事を考えても戦闘でも生活面でも何をとっても、星にエミルを超えられるものが存在しない。
どんなに好意を向けられても、星にはそれを彼女に返せるものがないし。物を上げるにしても、初心者プレイヤーが上級者プレイヤーにあげて喜ばれる物など殆どないだろう。
今の星には、エミルに喜んでもらえる様な物など一つもない。彼女の胸から顔を放し俯く。
自分が彼女に与えられるものはない。何度も助けられ、今もこうして彼女の城で面倒を見てもらっている。
それはとてもフェアな状況とは言えたものではない。人と人との関係とは、与えられたらその分を返さなくては人間関係は崩壊する。
それもそうだろう。必要とするだけでは、大概の人間は自分に得る物がないにも関わらず、擦り寄って来る人間を良くは思わないはずだ。
特にそれが同性となれば、責任を取って結婚するということもできないのだから始末に負えない。
暗い部屋の中で微かに浮かび上がるキラキラとした星の紫色の潤んだ瞳を、困惑した表情を見せていたエミルに向ける。
エミルは一度瞼を閉じてから、真っ直ぐに星の瞳を見つめ。
「……そうね。確かに他人に対して何の見返りも求めない。聖者みたいな人間はいないわ」
「あっ……」
その直後、星の項にエミルの手が入り込み、一度離れた体をもう一度自分の胸元へと引き戻す。
そして、優しく柔らかい声音でエミルがささやく。
「……星ちゃんは気付いていないみたいだけど、私は貴方に妹の影を重ねているの。それって、あなたを家族だと思っているって事なのよ?」
「でも……家族でも、やっぱり他人です……」
星はすぐに反論した。その言葉も常に星が心で感じている本心。
「そうね。でもね、家族は自分が生まれてから死ぬまで、ずっと付き合わなければいけない。または、ずっと付き合うのが当たり前な他人の中でも選ばれた人達なのよ? 私の妹はね。数ヶ月前に亡くなったの……」
「…………」
彼女のその話を聞いて、無言のまま表情を曇らせる星。
さっきよりも強く抱き締められた体に、エミルの手から伝わる震えが痛いほど伝わってくる。
それは未だにエミルの心の中で、亡くなった妹への拭い切れない思いがあることを意味していた。
「一度失ったから分かるの……家族の為――ううん、妹の為なら私は全部を懸けられる。唯一無二の姉妹だもの、自分の体同然よ……自分の為に苦労を惜しまないし、見返りとかを望む人間なんて、この世に存在しないわ。そう思わない? 星ちゃん」
エミルのささやいたその言葉は邪道だ――どんなに言葉を繕っても、星とエミルは血が繋がっていない。どんなに実の妹の様だと言っても、そこに血の繋がりがない以上は家族とも言い難い。だが、今の星にはそれ以上反論できることができない。
一度理から外れた議論は、プロレスで言うなら場外乱闘と同じで、場数――人生経験がものを言う。
ここで下手に本の知識などで反論すると、人生経験が多い相手にズルズルと引っ張られてしまうのだ。
それになにより、数ヶ月前に実の妹が亡くなったと告げられた上に、自分を妹の様に思っているとまで言われてしまえば、反論することが如何に常識外れかということは星にも理解できた。つまりこの時点で、すでに星には反論はできない。
もちろん。星の口から出る言葉は……。
「……はい」
「うん。よろしい!」
エミルの満足そうな声とともに、星は頭を優しく撫でられた。
本当に嬉しそうに微笑むエミルの顔を見ていると、普段から流されやすい性格だが。今だけは、その性格も悪いとは思わなかった。
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