自分で選んだ黒と黒の服を手に更衣室へと入ると、重苦しい雰囲気の中で服を脱いで着替える。
以前にも、2人の間に入れないと思ったことはあった。だが、面と向かって言われると、どうしても胸のところが苦しくなる。
しかも、イシェルにとっての自分はエミルの付属品でしかなく、彼女は星自身を認めていない。
(……きっと。エミルさんにとっての私は岬さん変わり……なんだろうな……)
以前隣で眠るエミルの口にした妹の名前を、星は思い出していた。
自分は誰にも特別ではなく。単なる模造品、劣化品でしかない――そう思うと、なんだか悲しい気持ちになって胸が苦しくなる。
しかし『自分が誰かの特別になりたい』そんなことはおこがましい願いだと、分かっていたはずだった。
実の母親でもその考えは同じだ。朝早く出掛けて夜遅くに帰ってくる為、朝は作り置きしてくれた朝食を食べ、夜はお弁当を買って1人で食べる。
そんな生活がもう3年以上続いていた……それでも、夜遅くに帰ってくる母親の音が寂しさで押し潰されそうになる心を落ち着けてくれて、1人ではないのだと実感させてくれた。
(一緒に居てもらえるだけで……近くに置いてもらえてるだけで……)
それだけで十分だ――そう思っていた。この生活に慣れてきたこともあってか。この頃、強欲になってきた気がする。
更衣室の中に備えられた大きな鏡に映る姿をまじまじと見つめ、表情を曇らせている長い黒髪に紫色の瞳の全身黒に包まれたその姿は、イシェルの言ったように舞台袖から現れてすぐに消えていく黒子の様だ。見た目同様に、その本質は無個性であり空っぽだった……。
こんな自分が、誰かと対等の立場になれるはずがない。同じように隣に立つことなどありえない。まるで光に照らされて生み出された影の様に、人の後ろを張り付いてその人物に合わせて形を変える。
だが、振り向いて影をしっかり見て話し掛けてくれる者などいないし、影もそれを望まない。
いや、影は長い間無視され続け、諦めたと言うべきだろう。いくら求めて手を伸ばしても、太陽や人口の光源の放つ光に掻き消されてしまう。
そんな自分を本気で相手してくれる人はいない。ただ、影のままでも人の側に居られればそれだけで満足なのだと……。
星は下を向いて自分の手を見つめながら、エミルに抱きしめられた時のこと。そして富士のダンジョンのテントの中で眠っているエミルが涙して呟いていた「岬……」という言葉を思い出す。
あの時に発したあのエミルの言葉も、行動も、星に向けられたものではない。
「……そう。あれも全部……妹の代わりで、私じゃない別の人……結局私は、誰にも必要とされていない……」
悲しく虚ろな瞳のまま、ゆっくりと開いたり閉じたりしている手の平を見つめる。しかし、何故かその時には不思議と涙は出てこなかった。
ゲームの中なのに、急に現実に引き戻される――そんな気がした。だが、そんなことはいつでも分かっていたことで、当たり前のことだ。
今までの短い人生を振り返って見ても、心に残っている思い出はいつも1人でいる悲しい記憶ばかり。とてもお世辞だって楽しかった……なんて言えたものではない。
一つ一つ積み重ねてきたはずの人生より、この一時的な出来事でしかないゲームの中の方が、今までは感じることのできなかった楽しかったと思えることはたくさんあった。しかも、何者かによって外との接触も帰還も許されない監獄の中だとしても、星は今この瞬間も終わってほしくないと願っている。
(……この記憶を、この楽しい時間を壊さないために私にできること……それは、自分じゃない自分を演じること……大丈夫。いつも通り、周りを傷付けずに自分が傷付くだけ……ちょっと、自分の心が苦しくなるだけだよ……)
黒い服を脱ぎ捨て、目の前に掛けておいたエミルからもらった服に着替える。
今までの人生で得た教訓は、星の心の中でリピートされ、自然と口に出していた。
「…………人を変えることはできないから。だから、自分が我慢すればいいだけ……分かってるでしょ? 星」
そう呟き鏡に映ったスカートを穿いて可愛く着飾った自分に、にっこりと笑みを浮かべた。
鏡の中で微笑んでくれる自分には一切の迷いもなければ、戸惑いもない様子だった。
我ながらしっかりできていると、星も関心するレベルで完璧に作り出されていた。
しっかりと笑顔ができているのを確認して星が更衣室から出ると、何やらエミルとイシェルが服を持って揉めているのが目に入ってきた。
イシェルの手に握られたのは、黒に白いレースやフリルのたくさん付いた。いわゆるゴスロリと呼ばれる服だ。それとは対称的に、エミルが持っているのは控えめなフリル付きのピンクのワンピースを持っている。
イシェルが選んできた服は論外だが、エミルは少なくとも星のことを考えての選定らしい。まあ、どちらにしても星の好みではない……。
だが、その星の意志とは無関係に、2人は互いに譲らず激しい視線をぶつけ合わせている。
「エミルもこないなの着せてみたい言うとったやん」
イシェルが手に持ったゴスロリの服を、エミルに見せる様に突き出す。
「そうだけど……本人が派手なのを嫌がってるんだし、これぐらいが丁度いいのよ」
「どうせ無理無理着せるんやし、地味なんよりもかわええほうがええやん!」
本人がいないのをいいことに、イシェルの言い分は酷いものがある。
それに対してエミルは呆れ顔で首を横に振ると。
「だから、イシェ。何度も言ってるでしょ? 事には順序ってものがあるの!」
彼女達の口論を聞いていれば、服のことで揉めているのは明らかだった。
それを見た時には星はすでに歩き出していた。
もう何の躊躇もなくイシェルの側までいくと、その服を手に取った。その後、星は満面の笑みでイシェルに微笑む。
「私はこっちが着たいです」
「でも、星ちゃん……それは」
その意外な言葉に、エミルは目を丸くしている。
それもそのはずだろう。星はこういう服は好き好んで着ないはずなのだ。
もちろん。本音を言えば星はどちらが選んだ服も着たくはないのだが。
しかし、ここままでは店内で更に声を荒らげる最悪のシナリオが予想出来る。その為、星は自分の気持ちを押し殺してエミルも着せたいと言っていたらしいイシェルの服を選んだ。
客観的に、その時の自分はまるで操り人形の様だと星は感じていた。
自分の意志とは正反対にその場の状況に応じて、臨機応変に自分を作り上げる。本当に自分は影の様だと痛感した瞬間でもあった。
絶対に無理だと思っていたのだろう。エミルはそんな服を自分から着たいと言い出したことに、困惑の色を隠しきれない。
服を持ってもう一度、にっこりと星が微笑むと。
「それじゃ、着てきます」
「あ、ちょっと……」
止める暇もなく、再び更衣室に駆け込んで行く星。
その後、姿を見送って唖然としているエミルに、イシェルが呟く。
「ええやん。オシャレに興味が出たって事で、うちはええことやと思うよ」
「――そうね。それが本人の本当の意志なら……ね」
エミルは何かを悟ったかの様に星の入って行った更衣室を見据えていた。
更衣室に戻ると、忙しなく服を脱いで黒と白のゴスロリ服に袖を通す。
本当はこんな女の子みたいな服を着たくない。というのが本音だった。まあ、女の子と言っても一部のだが……。
(でも……私のせいで、他の人がケンカしたりするのはいや……それが私の好きな人で、その人の気持ちが嘘だったとしても……)
たとえ偽りでも、今の星のその思いに嘘偽りはない。それだけで十分だった……。
服を着終えると、一度崩れた表情を星は鏡に向かって笑顔を作るとそのままの顔でカーテンを開けた。
そこにはエミルとイシェルが立っていて、さすがに羞恥心は抑えられないのか、星の頬が赤く染まる。だが、その反応とは正反対に、星のゴスロリ姿を見て2人が黄色い悲鳴を上げた。
「ええわ~。かわええわ~。まるでお人形さんみたいやわ~」
「ええ、とてもかわいいわよ。星ちゃん!」
「……あ、ありがとうございます」
頬を赤らめながら上目遣いで遠慮気味にそう告げると、イシェルが星の頭にヘッドドレスを付け加える。
黒地に白のレースをふんだんにあしらわれたそのドレスは、星の黒くて長い髪に思いの外と言うかとても良く似合っていた。
白く赤みを帯びた頬に、潤みを含んだ紫色の瞳がまるで宝石の様に輝き。また、頭に揺らめく白いレースの部分が星が恥じらう度に揺れてとてもいい。
「これで、完成やね! 凄くええよ~。全身を黒く染めるならこれぐらいせんと!」
自信満々に言い放つイシェルの言葉とは裏腹に、星は不安そうに目の前で頬に手を当てうっとりとした瞳で自分を見つめているエミルに尋ねた。
「あ、あの……どうですか?」
「……ええいいわ~。ゴスロリなら金髪と銀髪とかしか似合わないと思ってたけど……いざ目の当たりにしてみると、黒髪とゴスロリの組み合わせが、最強――いや、殺人的だと言わざるを得ないわね……」
そう呟いたエミルの鼻からは、鮮血がポタポタと滴り落ちていた。だが、本人は星を見るのに必死なのか、鼻を押さえる気配すらない。
そんな彼女に変わって、その鼻をイシェルがハンカチで押さえる。
「ほら、鼻血出とるよ。エミル」
エミルはイシェルの手を振り解くと、大声で叫んだ。
「この状況で鼻血なんて気にしていられないわ! もう眼福とかそんなチンケな言葉では表せない! そうこれは!!」
目を見開いて拳を突き上げて言った。
「私の人生に一片の悔いなし……」
声高らかに宣言した直後、鮮血を飛び散らせながらエミルの体はその場に崩れ落ちるように倒れた。
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