大きな盾と鎧が店の看板に掲げられている防具屋に入るなり、男は店内に並べられている色々な物を星に勧めてきた。しかし、星はそれの全てに首を横に振って必死に拒んだ。
始めて会った人から何かを貰ったりするのは学校で禁止されているし、自分でも良くないことだと思っていたのもあるが、それ以上に彼の笑顔がどうも胡散臭く感じたのが要因として大きかったかもしれない。
「やっぱり私。そういう物は受け取れません。すみません。し、失礼します!」
「あっ! ちょっと待ってよ!」
星が男に丁寧にお辞儀して、勢い良く防具屋の扉に向かって走り出す。だが、男の方も簡単には引き下がるつもりもないらしい。
急に走り出した星の耳に男の声が飛び込んできた。
「このゲームから出るための唯一の方法を知りたくないかい?」
彼のその言葉に反応して、星の足がピタッと止まる。
星にとって、いや……今は誰にとってもその情報は有益なものだろう。誰も、ゲームの世界で一生暮らしたいと感じる者はいない。
男はにこっこりと微笑みながら歩み寄り、星の耳元でささやくように言った。
「……君はこのゲームから出る方法を探しているんだろう? 実は、僕は唯一ここからログアウトできるんだ……」
その場に棒立ちになった星は驚き目を丸くすると、男の顔を見つめた。
まさか探していた答えが、こんなに早く見つかるなんて誰が予想していただろう――。
嬉しさのあまり、星は男の大きな手を両手で挟み込むようにして握る。
星は男に言われるがままに、街の端に位置する寂れた建物が立ち並ぶ場所へと連れて来られた。彼に連れて来られた場所は人通りも全くなくNPCの姿もなかった。
街の繁華街から離れたこんな辺境な場所に見知らぬ男に連れて来られ、少し不安になったのか星は前を歩く男に声を掛ける。
「あの……本当にこんな所に元に戻れる装置があるんですか?」
だが、不安そうに眉をひそめる星に、男はにっこりと微笑み返すだけで一向に口を開こうとしない。
明らかに様子のおかしい男に不信感を抱いた星が、ゆっくりと後退りをして逃げようと全力で後ろに向かって走ろうとしたその時、星の踏み出した右足の太ももに鋭い痛みが走った。
「――きゃあああああああああッ!!」
叫び声を上げた星は何が起きたのかも分からず。急に襲ってきた激痛に耐えかねて、その場に倒れ込んだ。
まるで足を切り落とされたかのような、その激しい痛みに意識が遠退いていく。
『いったい何が起きたのだろう……』そう思って、自分の右足を見た星はあまりのことに言葉を失った。
「な……に……これ……」
それもそのはずだ。その視線の先には、一本の矢が自分の右足の太股部分を貫いた状態で刺さっていたのだ。
この矢がどこから飛んできたのかは分からないが、前を歩いていた男ではないことだけは、今の混乱している頭でも分かる。
(助けを呼ばないと……)
そう考えた星は、歩みを止め無言で星に背中を向けて立ち尽くしている男に向かって助けを求めた。
「……あの……たすけ……て……」
今出せる最大限の声を出したつもりだった。しかしその声は弱々しく、とても声になっていたかは分からない。
そんな星に男が振り向き、ニヤリと不気味な笑みを浮かべる。
すると、近くの木の上から茶色いローブを身を隠し、マスクをかけたエルフの男が飛び降りてきた。
「おい。剣に当たったらどうすんだよ!」
「俺を誰だと思ってる。狙った獲物は逃さないさ。武器も女もな……」
エルフの男は星を連れて来た男と、親しそうに話をしている。
それを見て初めて、星は自分が騙されたことに気が付く。
自分が騙されたことが分かると、星は悔しそうに唇を噛み締めた。それは、上手くいって喜んでいる彼等に対してせめてもの抵抗なのだろう。
だが、そんな彼女を差し置いて、男達は話しを続けている。
「でも今回は大物だぞ、あの剣は竜王の剣だ。一点物で取引すりゃ少なくても20万はいくだろうな」
「現物を拝むのは始めてだが、期間限定の高難度クエストの始めてクリアした一人だけに与えられる産物だ。50はいくな」
彼等の会話を聞いた星は土を握り締め、痛みと怒りで震える声を振り絞った。
「うそ……だっ……たんで……すね……」
星は瞳に涙を浮かべながら男を鋭く睨みつけた。
地面にうつ伏せになった彼女に、男は微塵も悪びれる素振りも見せずに答える。
「ああ、学校で知らない人についていっちゃいけませ~んって教わらなかったの? 全く、そんないい装備をどこで手に入れたかは知らないけどさ。それじゃカモがネギじゃなく、宝石持って歩いてるようなものだよ? お嬢ちゃん」
「――くっ……ゆ、ゆるさ……ない!」
悔しさで瞳から涙が流れ落ち、自分の不甲斐なさに胸の辺りが焼ける様に熱くなる。
星が体に力を入れて立ち上がろうとしたのだが、思うように体が動かない。
慌てて表示されているものを確認すると、輪の様になっていたHPバーが青から赤に変わり、その中に通常時は15と表示されていた数値も1になっている。しかも、その横には小さく人型が震えたような表示が出ていた。
(なんだろうこのマーク。でも、なんだか体がびりびりして……これって。もしかして!?)
そのマークの意味が分かった瞬間、星の顔から血の気が引いた。
星が気付いた通り、このマークは麻痺状態などの異常状態時に発生する表示で、人形がその時の体の状況を表してくれる。
PVPのシステム上【OVER KILL】状態なら勝敗は付かない。それは今の星は足に刺さっている矢を抜かなければ、ダメージを受け続け一時的な不死身の状態となるということなのだ――。
ここで何とかして男を倒せれば星の勝利となり、男達も退散する可能性もあるだろうと星は考えていた。だが、それは現実的に不可能に近い。
何故なら、足にはエルフの男の放った矢が刺さり。しかも、刺さっている箇所はまるで焼けるような激痛を伴っている。
その状態で、更に2対1の状況だけではなく。しかも、男達とは体格差もかなりある。これだけでも星に勝ち目が薄いのに、そこに麻痺まで加わっているとなると、勝機は絶望的と言わざるを得ない。
この絶望的な状況で星に取れる唯一の方法は、ただ逃げることのみ。
「はぁ……はぁ……に、逃げな……きゃ……」
この男達の狙いが剣だということは、これを渡せば助かるかもしれない。しかし、それは絶対にできない。
渡しても逃してもらえるか分からないし。これは元々はエミルの物だ、こんな卑劣な人達に奪われるわけにはいかないと思ったからだ。
男達は何やら指でコマンドを操作し、誰かと連絡を取っているようだ。
(……逃げ出すなら、今しかない!)
星は薄れゆく意識の中で、必死に腕を伸ばし少しでも離れようと試みたその時、右足に再び鋭い痛みが走った。
その痛みの原因は逃げようと這っていた星に対して、エルフの男は、矢の刺さったままになっていたその右足を強く踏みつけていたのだ。
「――いっ! いやああああああああああッ!!」
星は悲鳴を上げると、そのあまりの痛みに地面を引っ掻き、苦痛で額から汗を流し顔を歪ませている。
しかし、エルフの男は苦しむ星を見ても表情1つ変えない。まるで、感情など元より持ち合わせていないかのように……。
その時、耳元から星を嘲り笑う男の声が聞こえてきた。
「どうだお嬢ちゃん。痛いだろ? 助かるのは簡単だ……君自ら、その剣を装備欄から外して、俺に渡してくれればいい」
「……い、いや……です!」
彼の要求を拒むと微笑みを浮かべながら、星の足に刺さっている矢を握り抉るように動かす。
「うあああああああああああッ!!」
叫び声を上げた星に向かって男が、再度優しい口調で話し掛けてくる。
「ほら……意地張ったって仕方ないんだから、早く楽になれよ。このゲームでは、プレイヤーから直接武器を奪えないんだ。だから、君に渡してもらうしか方法がないんだよ。分かるだろ?」
「いや……絶対に……」
「チッ! なら仕方ない……エイジ抑えておけ。渡したくなるように、こいつの足を切り落としてるッ!!」
男は苛立ちながら告げると、ズボンの裾に隠していたサバイバルナイフを抜いた。彼の支持に従う様にエルフの男が星の左足に手を掛け、動かない様に固定する。
もうダメだと覚悟した瞬間、男達に何かが高速でぶつかり、星の上から彼等を突き飛ばした。
星の視界の前に、突如現れた白銀の甲冑を纏った長く青い髪の女性。
「――星ちゃん。まだ大丈夫ね?」
聞き覚えのあるその声に、星は涙を流しながらもすぐに腕で涙を拭う。
そこには心配そうに星の方を見つめるエミルの姿があった。エミルの姿を見て安堵した様に、星は体の力を抜いてほっと胸を撫で下ろす。
「……は、はい」
「そう。良かった……星ちゃん。ちょっとの間だけ、目を閉じて耳を塞いでてもらえる?」
エミルはにっこりと微笑んでそう告げると、腰に差した長い剣の柄に手を掛ける。
星はそのエミルの声音にどこか底知れぬ恐怖を感じ、頷くと言われた通りに瞼を強く閉じる。
星が目と耳を閉じたのを確認すると、男達を鋭い眼光で睨んだ。彼女の体から滲み出る殺気が、オーラとなって目に見える気がする。
「――よくもこの子に手を出してくれたわね……絶対に許さない! 覚悟しなさい!!」
「何だ? お前。せっかくの獲物を逃すわけにはいかないんだよ!」
剣を持った男が勢い良くエミルに襲い掛かってきた。
男は手に持った剣を振り上げ、怒号と共に勢い良く振り下ろす。しかし、エミルはその一撃を軽々と剣で受け止めると、ニヤリと口元に不敵な笑みを浮かべている。
「なんだこの女。2対1で本気で勝てると思ってるのか? お前のレベルは分からないが、連れが激弱なら、お前もそこそこに決まってるよなっ!」
「――ふん。それはどうかしら……ねっ!」
競り合っていた男を力任せに押し退けると、エミルが体制を崩した男に切り込もうとした直後、透かさずエルフの男が弓で攻撃してきた。
死角から放たれた矢が視界に入り、既の所で咄嗟に素早く後方に跳んだ。
エミルは鎧の布の部分を切らせる程度で、その矢を紙一重でかわす。
「ナイスだ! エイジ!」
矢を避けたことで一瞬体制を崩したエミルに、今度は男の剣が襲い掛かる。
剣を構えて受け止めたエミルの剣と男の剣が火花を散らしながらぶつかり合う。
「おら! どうだ女!」
「……くっ!」
男の剣を顔ギリギリの所で受け止めたエミルが、険しい表情を見せる。
(このままじゃ厳しいわね……この剣の男が壁になり、あの弓の奴が私の死角から正確に射撃してくる。認めたくないけど、いいコンビネーションだわ。でも……)
エミルは力で彼の剣を押し返すと、距離を取ろうとそのまま後方に跳ぶ。その瞬間、男の影からエルフの男が弓を射った。
数本の矢が真っ直ぐにエミルの着地点に向かって飛んできて、空中で体を捻って着地点を少しずらしてなんとか回避する。
っと、エミルはニヤッと余裕の笑みを浮かべると、その手には、昨日のドラゴンを呼び出した巻物が握られていた。
おそらく。あの一瞬の間に、コマンドを開いてアイテム欄から巻物を取り出したのだろう。
「コンビネーションが良すぎるのも考えものね……次の攻撃パターンが読みやすくて助かるわ」
エミルはほくそ笑んで空中で素早く巻物を開くと、その紐に付いている笛を鳴らした。
すると、煙が立ち昇り彼女の姿を覆い隠した。
「なに!? なんだあのスキルは……」
「煙幕なんてスキルがあるなんて聞いてないぞ!?」
突然の事に驚きを隠せない様子の男達はその煙を見て、目を丸くしながら身動きが取れなかった。
しばらくして煙が消えると、そこには岩が鱗のように体中にびっしりと張り付いたドラゴンがエミルを守っていた。
「――これはストーンドラゴン。地底ダンジョンの最深部にしかいない鋼鉄より硬い岩の鱗を持った鉄壁のドラゴンよ……さて、ここからは本気で行くから覚悟なさい。星ちゃんをいじめた罪は重いわよ?」
エミルは悪魔的な笑みを浮かべ牽制しつつ、ストーンドラゴンに星を守るように命令すると、エミル自身は剣を持っている男の方へと向かって走り出した。
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