「実は……エミル姉は先月。リアルの世界で妹さんを病気で亡くしたばかりなんだよ……」
エリエはそう言って表情を曇らせると、デイビッドも俯き加減に呟く。
「ああ、エミルはそれからというもの、何をするにも上の空でな……その時に現れたのが彼女と言うわけだ」
実はエミルは先月、長い間病院に入院していた最愛の妹を病気で亡くしていたのだ。星のことを人一倍気にかけていたのも、このことがあったからなのかもしれない。
デイビッドは感慨深げに焚き火の炎を見つめ、深く息を吐いた。
「――よく、妹のお見舞いに行くって言ってたもんな……きっと、相当仲が良かったんだろう。あれ以来あまり笑わなくなったし……俺も気にはしてたんだ。だから、星ちゃんと会った時は嬉しそうに話しててほっとしたよ」
「なるほどな……それならば納得だな。今回の戦闘で、以前のエミルと違って全く覇気がなかったのはその為か……」
それを聞いてマスターは納得したように仕切りに頷いている。
俯いていたエリエが徐に顔を上げると、頷いているマスターに声を掛けた。
「――それでね、マスター。エミル姉の前ではこの話は……」
「……分かっておる。儂も人の傷口を抉るような真似はしないさ」
エリエが話し終わるより前にマスターが微笑み返す。
その頃、テントの中では……。
「うっ……こ、ここは――天国……?」
今まで気を失っていた星がやっと目を覚まし、注意深く辺りを見渡す。
周りにはぬいぐるみが多く置かれた見覚えのある空間が広がっていた。
(ここは、エリエさんのテント? 確か私は……)
星は自分が今自分がどんな状況で、どうしてここに居るのか全然分からない。ただ分かっているのは、エミルを守ろうとして大蛇の前に飛び出したことだけだ。
記憶が曖昧で思い出そうとしても、肝心なところがぽっかりと抜けている感じで、まったく整理できていなかったが。
しかし、それで生きているということは星はまた、人に迷惑を掛けてしまったという事実だけは混乱した頭でも理解できた。
(そうか……また、皆に迷惑をかけてしまったんだ……)
顔を両手で覆い項垂れると、不意に口から大きなため息が漏れた。
このゲームを始める前は自分は一人前なったつもりでいたのだが、ここまで周りに迷惑を掛けていては、やっと芽生えてきた自信が根底から揺らいでくる。
こうして未知の世界を経験していると、自分がいかにちっぽけで無力なのだと痛感させられてしまう。
星にとってそれが一番嫌だった……もちろん。自分が嫌いなのは昔も今も変わりないが、ただ今はいっそのこと消えてなくなりたいとまで思っていた。
自己嫌悪に苛まれながらも、横で寝ているエミルの顔が視界に入ってほっと胸を撫で下ろす。
(……良かった)
結果はどうであれ、エミルが助かったことが本当に嬉しい――星はそう思いながらゆっくり瞼を閉じた。すると、外から何やら人の話す声が聞こえてくる。
星が耳を澄ますと、どうやらその中には聞いたことのない声も混じっているようだ。
(ダンジョンに入った時には5人だったはず。でも、もう1人聞いたことない声の人がいるみたい……)
そんなことを考えながら、気になった星がそーっとテントの入口を少し開けて、外の様子を窺う。
そこには、エリエやデイビッドと楽しそうに会話をしている見知らぬ白髪の老人と少女が、皆で焚き火を囲むように座っているのが見えた。
「……ふむ。どうやらさっきの娘が目を覚ましたようだぞ?」
マスターが隠れている星の方を向いてにこっと微笑んだ。覗いていることがバレた星は、思わず亀の様に顔を引っ込めた。
エリエはそれに気付くと、嬉しそうに星の元に駆けていく。
「星、目を覚ましたんだ。どう? 体はどこか痛いところとかない?」
膝を折ってそう尋ねるエリエに、星がテントの影から姿を表した。
「……えっ? い、いえ。私は大丈夫です」
「そう。良かった!」
エリエはにっこりと微笑むと、星の頭を優しく撫でた。
見知らぬ人にもその光景を見られ、恥ずかしそうに頬を赤らめる星が視線を逸らす。その後、星はエリエに、起きてからずっと抱いていた疑問をぶつけてみる。
「あの、エリエさんが私を助けてくれたんですか?」
星は首を傾げながら聞くと、エリエは首を横に振り「あそこに座ってるおじいちゃんが助けてくれたんだよ」とマスターの方を指差した。
それを聞いた星は、少し驚いた様子でマスターを見つめている。彼女の目にはマスターはどこからどう見ても、ただの老人にしか見えない。
とてもこの老人に、あの大蛇に襲われそうになった自分を助けられるなんて、俄かには考えられなかったのだろう。
星はそのエリエの言葉を疑いながらも、とりあえずはマスターの方に向かって丁寧に頭を下げた。
真意が分からない時には、ひとまず頭を下げておけばいいということを、星は日常生活で無意識のうちに覚えていた。そうすれば、当たり障りなく物事を収めることができる。
すると、それを見たマスターは満足そうに微笑んでいる。その様子に星がほっとしたのも束の間……。
マスターの横に座っていたカレンが、星のことを鋭く睨みつけている。
星には初対面のカレンが、どうして自分のことを睨みつけているのかが全く理解できなかったが、とりあえずカレンにもう一度ペコリと頭を下げた。
だが、彼女は表情1つ変えずに、なおも星を睨んでくる。
彼女の視線に耐えかね、星は俯くようにして視線を逸らす。
もちろん。今起きたばかりの星にはどうして自分が睨まれているのかが分からない。だが、まだダンジョンという人生で初めての未知の領域に踏み込んでいる以上は、あまり波風を立てる訳にもいかない。
星はエリエに導かれ、焚き火を囲む輪の中に入る。だが、カレンへの恐怖心からか視線を上げられずにいた。
その様子を察したエリエが手を合わせると、にこにこしながら星の顔を覗き込んだ。
「そうだ。星にいい物を上げるね!」
「――いい物……ですか?」
星は不思議そうに首を傾げてエリエに聞き返す。
エリエは「うん」と頷くと、徐ろにコマンドのアイテム欄からアイテムを取り出した。そのエリエの手には、白い綺麗な羽衣が乗っていた。星はその羽衣を目をキラキラさせながら見つめている。
「これが今回探していたトレジャーアイテム『天女の羽衣』だよ~!」
「へぇ~。すっごく綺麗ですね!」
瞳を輝かせながら、エリエの手に乗っている絹の様な素材の羽衣を見つめている星に、エリエは「チッチッチッ!」と人差し指を振っている
その後、エリエは自慢げに『天女の羽衣』の説明を始めた。
「綺麗なだけじゃないよ。なんと、このアイテムは防具の特性をそのまま服に移し換える機能まで付いているのだよ!」
「なるほどー」
2人がそう言って楽しそうに会話をしているのを見ていたカレンが、突然声を荒らげて立ち上がった。
「あなた達! それは師匠がボスを倒してゲットした物です。おもちゃじゃない!! 師匠は認めても、やはり俺は認められません!!」
そう言ったカレンは、星を鋭く睨みつけるとビシッと指差す。
突如怒り出したカレンに驚き、星は怯えたようにその場に俯いてしまう。その様子を見たエリエが徐に立ち上がり、カレンに向かって反論した。
「マスターがいいって言うんだからいいでしょ! それにさっきからなに? 星を睨み付けて、あなたの方がすっごく感じ悪いんだけど!」
「なんだと!? 俺のどこが感じ悪いって言うんだよ! それに、その子……弱いくせにダンジョンに来て、今までビビって気を失っておいてアイテムだけ貰うってただの寄生だろ? 感じが悪いと言うなら、そいつの方じゃないのか?」
カレンの発した【寄生】という言葉に、エリエの顔色が一変する。
オンラインゲームで【寄生】とは、他のプレイヤーに付いて戦わずしてドロップアイテムや経験値などの利益を得る者のことを言う。
もちろん。これは故意にやっていることで、その理由の殆どが『めんどくさいから』や『クリアできないから相手に任せる』などという身勝手な理由が殆どだ――無論、星の場合は自分の意思ではなく。連れて来られているわけだから、故意にしているとは言い切れないのだが。
「き、寄生なんて……弱い時に強い人と一緒に居て何が悪いのよ! 星が寄生って言うならあなただって、マスターにべったりの現在進行で寄生でしょ? 偉そうなこと言わなでよねっ!!」
2人は顔を向き合わせながら、お互いの顔を睨み付けている。
今にも噛み付きそうな勢いで、互いに顔を突き合わせているエリエとカレン。
「――やめい!!」
その様子を黙って見ていたマスターが声を荒らげた。
突然の大声に2人は「ひっ!」と小さく悲鳴を上げ、驚き目を丸くしながらマスターの顔を見つめている。
マスターは徐ろに立ち上がると、カレンの前まで行って止まる。カレンは怯えた様子でマスターの顔を見上げていると。
「そんな小さな事で争うんじゃない。このばかたれが!」
っと、怒鳴ったマスターのげんこつがカレンの頭を直撃した。
カレンはあまりの衝撃に、その場に頭を抑えながらしゃがみ込んだ。それを心配そうに見つめる星に向かってマスターが優しい声音で告げた。
「――星と言ったな。お前はどうしてこの場所に来た?」
「えっ? そ、それは……」
突然のマスターの質問に困惑し、思わず言葉を詰まらせる星。
そんな星に再びマスターの質問を投げかける。
「ならば、どうしてあの時。エミルの前に立ち塞がったのだ?」
「そ、それは……エミルさんを守る為です!」
星はその質問に決意に満ちた眼差しで、マスターの顔を見上げ答える。
すると、その答えを聞いたマスターは突然声を荒らげた。
「……守るだと? このばかものが! お前くらいの力で一体何になる。自分の身を盾にすれば、守れるとでも思っていたのか!!」
「――ひっ! ……ご、ごめんなさい」
それに驚いた星が頭を押さえ条件反射的に謝ると、マスターは優しくも厳しい口調で語り始めた。
「良いか? お前のHPが例え『0』になったとしても、あの攻撃でエミルも確実に死んでいた。そうしたらお前とエミル。両方失った仲間者達が取る行動は、玉砕覚悟の敵討だということが分からぬわけではないだろう……お前が仲間を守りたいと思うように、皆がお前を守りたいと思っているのだぞ?」
「……皆が?」
その言葉を聞いて、星は不安そうな表情でエリエ達の顔を見ると、仲間達は優しく微笑みながら頷いている。
「そうだな。例えエミルが助かったとしても、エミルの寝てる間に星ちゃんにもしもの事があれば、起きた時にエミルに何て言われるか分かんないからな」
「私もよ~。エリーの友達を死なせたなんて現実世界に戻ってから目覚めが悪いもの~」
「そうだよ~。だから、星はあまり無理したらダメなんだからね!」
「はい!」
皆のその言葉に星は返事を返すと、感極まり瞳に涙を浮かべながらにこっと微笑んだ。
その様子にマスターも満足そうに頷いている。
「さて、落ち着いたところで――今日ももう遅い。明日に備えて早く寝るとしよう」
マスターにそう言われ、星は視界の右上の方に小さく出ている時間を見ると、時間は23時を回っていた。
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