次に星の耳にエミルの言葉が飛び込んできた時には、激しい西日が横顔を照らしていた。星が練習を始めて、すでに数時間を経過している。
「星ちゃん、そろそろ終わりにしましょう。さすがにオーバーワーク過ぎよ? 急いだって、すぐに上手くなるわけじゃないわ……」
心配そうに星の顔を覗き込んでエミルが告げたのだが、星は剣を振る手を止めようとはせずに、丸太にカンカンと木の剣を打ち付けている。
「はぁ、はぁ……先に、言ってて下さい。もう少しだけ……」
肩で息を繰り返し、流れる汗を拭うと星は得物をもう一度構え直す。
視線を逸らすことなく木の剣で丸太を叩きながら、星がそう言葉を返すと、エミルは「また、呼びにくるわね」とだけ言い残して、浮かない表情のまま城へと戻っていく。
その途中、木の上に座って星の練習風景を眺めていたレイニールに声を掛けた。
「レイニールちゃんも、星ちゃんに何か変化がないか気にかけておいてね。もし、なにかあったら、すぐに彼女を止めて私に知らせてちょうだい」
木に凭れ掛かるように、木の枝に寝そべっていたレイニールは背筋を正した。
「うむ。分かった……だが、主も初日から無理しないと思うぞ? きっと疲れたら止めるのじゃ」
「……そうね。そうだといいんだけど……」
エミルは一抹の不安を覚えながら、剣を振り続ける星を一瞬だけ見て、重い足取りで城の方へと戻っていく。
部屋に戻ると、いつの間にか戻ってきていたミレイニとエリエがキッチンでホットケーキを焼いていた。
もちろん。焼くのはエリエで、ミレイニは隣のボールで生クリームをかき混ぜている。
どうやら料理スキルを使わず、一から作っている様だが、時間が掛かるというデメリットはあるもののそれ以上にメリットが大きい。
その一番のメリットが味だ――日常で使うスキルにはレベルがない。その為、誰が作っても同じ味になる。しかし、実際に食材を使って料理をすれば、そのプレイヤーの力量に応じたできになる。その理由はオートで作る場合にも表示される分量の数字、これを設定しているとそれ以上の分量を入れることはできないことになっている。
だが、自分で料理することによって、それぞれの素材や調味料の分量を自在に変更することができる。それによって、腕に応じた味の料理を作り出すことができるのだ――それは料理に限ったことではなく、鍛冶や乗馬など様々なスキルに応用できる。プレイヤーの技量で戦闘能力が変化するのと同じように、慣れてくればオートでやるよりも更に高い能力を発揮できるのが、このゲームが【FREEDOM】という日本語訳で『自由』という文字を使っている理由でもある。
エミルは戻ってくるなり大きなため息を漏らすと、テーブルに座っていたイシェルの横に腰を下ろす。
心配そうにイシェルがエミルに話し掛けた。
「どうしたん? やっぱり。星ちゃんに戦ってほしくないん?」
「……それはもういいんだけど、星ちゃんがちょっと、困ったことになってるのよね……」
窓を指差すエミルに促され、イシェルは窓から外を覗いた。
覗き込んだ窓からは、木製の剣を丸太に向かって振り続ける星の姿が見え、時折剣を飛ばされながらも、それにめげることなく練習を続けている。
「すごいなぁ~。星ちゃん気合い入っとるやん」
感心した様にイシェルがエミルの方を振り返って微笑みかけると、複雑そうな顔で俯き加減に額を押さえている彼女の姿が見えた。
イシェルが心配そうに表情を曇らせると、それに気が付いたエミルが徐に口を開く。
「――確かに星ちゃんはレベルも60台に入って、ゲームでは中堅プレイヤーになっているわ……でも、それは私達と一緒にいるから経験値が入っているだけで、彼女は強くなっているわけじゃない。それでも、攻撃力や筋力などのパラメーターは上昇して、自分自身が強くなったと錯覚するのもこの時期なのよ」
「まあなぁ~」
「成長が急過ぎるし。あの子の固有スキルはライラの入れ込みようからして、オリジナル――それに星ちゃんの性格だと、きっと周囲の期待に応えようと能力以上に無理をすると思うの……。それがいつか、取り返しのつかない事になりそうで……」
不安の現れなのだろう……眉をひそめ表情を曇らせるエミルにイシェルが「考え過ぎやよ」と告げると、エミルは微かに微笑んだがその表情からは不安は隠しきれない。
レベル制のMMOではプレイヤースキルや装備とは別に、絶対的にレベル差が大きく影響する。プレイヤーレベルが10も違えば、その差は絶対的なものになるのがレベル制MMOというものなのだ。だからこそ、多くのプレイヤーは日々互いにレベル上げに勤しみ。上限の100に達すれば、今度は装備やプレイヤースキルを磨いて更に強さを求めて極めていく、それは他者よりも、己の方が強いという優越感に浸る為に――。
エミル達がそんな話をしていることなど露知らず、外で熱心に剣の特訓をしている星に向かって、木の上から主の様子を見守っていたレイニールがパタパタと羽音を響かせながら声を掛けてきた。
「主。少しは休憩しないと体に悪いぞ?」
「はぁ……はぁ……うん。もう少し、したらね……」
相槌を打つように素っ気なく答える星に、レイニールも不機嫌そうに少し強めに言い返した。
「もう少ししたらって、ずっと前から剣を振り続けてるではないか! がむしゃらに剣を振っているだけで、強くなれるはずなどないのじゃ!」
「…………」
その言葉に反応したのか、今まで剣を振り続けていた星の手がピタリと止まった。
さすがに言い過ぎたと感じたレイニールが小さく「すまん」と呟くと、星は無言のまま再び剣を振る。
空中で翼をはためかせながら、落ち込んだ様子で木の上に戻ろうとするレイニールに星が顔を向けることなく呟いた。
「……分かってる。すぐに強くなれないのは、でも……なにもしなかったら、また後ろで見ているだけだから……」
真剣な眼差しで、握る剣の柄にぎゅっと力を込める星。
彼女の表情からは『もう、弱い自分と決別したい』という強い意志が滲み出ていた。だが、レイニールが言った言葉も一理ある。何より、ここは現実世界ではなくゲームの世界――作り出された仮想現実の世界なのだ。
現実ならば、剣を振ればその回数に応じてそれに必要な筋肉などの体組織も強化できる為、剣を重くして振れば振るほど斬撃の威力は大きくなっていくだろう。
しかしながら、ここは数値によってパラメーターを決められた世界で、そのパラメーターはレベルを上げるか装備の変更によってのみ強化できる。
つまり、いくらこの世界で剣を振ったところでパラメーターに変更はない。あるとしても、ステータスとは関係ない、太刀筋がほんの少しだけ鋭くなるだけのものだ。
星もそのことは自然と感じ取っている。だが、それでも……いや、それ以上に皆の役に立ちたい。強くなりたいという気持ちの方が強いのだろう。それが彼女にとっては、剣を何時間も振り続ける理由になるのだろう……。
それから結局休憩を取ることなく、ぶっ通しで木の剣を振り続けている間に辺りは日も落ち、すっかり暗くなっていた。
汗を流しながら必死に剣の練習をしていた星の目の前に、見慣れたウェーブのかかった茶髪の女性が立っている。それは紛れもなく、一度は星達の前から姿を消したはずのライラだった。
ライラは意味ありげに微笑みを浮かべ、星の元へとゆっくりと歩いて来て。
「あら~。剣の練習なんてすごいわね~♪」
「……ライラさん」
今までのこともあってか、星は少し警戒したような硬い表情で持っていた木の剣を胸の辺りで握り締めている。
少し怯えた表情の星を察して、レイニールが慌ててライラと星の間に割って入った。
威嚇するように鋭く睨みつけるレイニールに、ライラは「あらあら」と呟きながらも微笑みを崩さない。
やはり彼女が何を考えているのか分からず、彼女が掴み所がない人物であることを再確認する。
張り詰めた空気の中。静寂を破る様に、レイニールがビシッと指差して告げる。
「我輩は前々から、お前は危険だと思っていたのじゃ!」
「あら~。そうなの? そんな事を言われるなんて、お姉さん悲しいわ~」
発せられたレイニールの言葉とは裏腹に、ライラの返答はとてもいい加減に感じたが。
その表情からは彼女が何を考えているのか、その真意を読み取ることが全くと言っていいほどできない。
彼女の表情を見るに、ポーカーフェイスと言うような生易しいものではなく、元よりそんな能力など持ち合わせていないように感じるほどだ。
それが星には不気味に感じられ、背筋に悪寒が走る。次の瞬間、にんまりとライラが不敵な笑みを浮かべたと思った時には、すでに彼女の姿は目の前から消えていた。
息を吸うほどの刹那に、今まで目の前を飛んでいたはずのレイニールの姿は消え。
「……ふふっ、ごめんなさいね」
「………………えっ?」
急に眼前に現れたライラ。
驚き瞬きをした星の腹部を冷たい何かが通り過ぎていった……その一瞬の感覚がとても長く、永遠の様な錯覚に襲われ。星は徐に腹部を突き通ったその固くて冷たい物体を触り、それが剣であると確認した直後。今度は全身を炎に包まれたかと思うほどの激痛が、星の小さな身体を駆け巡る。
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