「あら~。いらっしゃ~い」
エリエの後ろに隠れた星の耳元に飛び込んできたその独特の声に、星は聴き覚えがある。その声の主を確認すべく、星が恐る恐るエリエの後ろから顔を覗かせた。
星の姿を見つけると、その声の主は歓喜の声を上げる。
「あら~。星ちゃんじゃない。来てくれてうれしいわ~」
「――サラザ。急に近付いちゃダメだよ。星が怯えてるから!」
星の顔を見つめ、両手を前に突き出して今にも飛びついてきそうな体制でにっこりと微笑んでいるサラザに向かってエリエが言った。
星は急に目の前に現れたサラザに、体を小刻みに震わせ、まるで怯えた子犬のような瞳を向けている。
まあ、目の前に筋肉で武装したオカマがいれば、大の大人の男であっても恐怖を覚える。体格差のある星には、人を通り越してデーモンに見えているに違いない。
「もう。いい加減に私にも懐いてほしいわ~」
「――星だってそのうち慣れるよ。それより、ちょっと話があるんだけどさ」
「ああ、分かってるわ~。さっきメッセージで言ってたやつね!」
サラザは微笑むと、エリエは険しい表情で頷く。
星はそんな2人の会話している様子を見て、首を傾げている。その場の状況を理解できてない星に、エリエが優しく話し掛けた。
「星。悪いんだけど、少しサラザと大事な話をしないとダメだから、ちょっとだけそこのテーブルでレイニールと待っててもらっていい?」
店の入り口に立っていたエリエが星の肩を指で優しくトントンと突くと、店のテーブルを指差した。
店内にはバーカウンターとテーブル席が用意されていて、カウンターの後ろの棚にはライトによって照らし出された数多くのボトルが宝石の様に様々な色に輝いていた。
視線をテーブルの方に移すと、足元に埋め込まれ店内の至る場所に設置されたピンクや紫のライトが薄暗い店内全体を照らしている。
店の奥には紫色の薄いカーテンがかかったステージが設けてあり、その上のミラーボールが怪しいく光を反射している。
何というか、まるでバブル期のダンスホールの様だ――。
(ここって何をする場所なんだろう……)
そんなことを考えながら、ミラーボールをじっと見つめていた星はの耳に飛び込んできた自分とレイニールを呼ぶエリエの声に慌てて返事をする。
「は、はい!」
「どうして我輩の名を呼び捨てにしてるのじゃ! 我輩を呼び捨てにして良いのは主だけじゃ!」
星は空中で激昂して両手を振っているレイニールを抱きかかえると、お店の隅の大きなテーブルに腰を下ろした。
怒りを抑えられない様子のレイニールはブツブツと文句を言っていると、サラザが両手にジュースの入ったジョッキグラスを2人の前に置いた。
「ごめんなさいね~。すぐに終わるから、ちょっとこれでも飲んで待ってて~」
「あっ、はい。ありがとうございます」
「うむ。頂くのじゃ!」
星とレイニールは目の前のグラスを手に取ると、サラザは微笑んで小さく手を振ると、バーカウンターに座っているエリエの方へと戻っていく。
目の前に置かれたジョッキグラスを両手で持ってジュースを飲んで「おいしいね」と、微笑み合っている2人を遠目で見ていたエリエが微笑みを浮かべている。そんな彼女に、サラザが神妙な面持ちで尋ねる。
「それで、エミルは本気でダークブレットを攻めるつもりなの?」
「……うん。今朝、星があそこの連中に襲われたらしくて……それが原因だと思う。でも、話では2回目らしいんだよね。星が襲われるのが」
エリエは表情を曇らせて小さく呟く。
それを聞いたサラザは星をちらっと見ると、エリエに顔を近付けて徐ろに口を開いた。
「――でも、あそこの規模は世界でも5本の指に入る組織よ? それを本気で潰せると思ってるのかしら……」
「そうなんだよね~」
エリエはその言葉を聞いて一瞬は難しい顔をしたものの、すぐに脱力しテーブルに両手を投げ出すようにべたーっと倒れ込む。
お手上げと言わんばかりに両手を放り出している彼女の前にサラザがミルクの入ったグラスを置く。
グラスの方をちらっと見遣ったエリエが、再び大きなため息を漏らす。サラザはそんなエリエを見て不安そうな表情を浮かべている。
エリエはサラザに今にも泣き出しそうな瞳を向け、掻き消えそうな声で尋ねた。
「……ねぇ~。私どうしたらいいのかな……? サラザ」
「う~ん」
グラスを持ってエリエの隣の席に来て唸っているサラザに、エリエは話しを続ける。
「エミル姉は無理に付き合わなくていいって言うんだけど……エミル姉を見捨てるのは嫌だし。でも、星を守り切れる自信もないの……困っちゃっうよね……」
「……エリー」
無理に微笑んで見せているエリエの頭を覆うように、サラザのたくましく大きな手が優しく撫でる。
エリエは視線だけをサラザに向け、軽く首を傾げた。
「馬鹿ねぇ~。1人で思い詰める必要ないのよ? 私がいるじゃな~い。あなたの為なら、命なんか惜しくないわ~」
「……サラザ。でも――」
サラザの口から出たその心強い言葉に瞳を潤ませたエリエが口を開こうとした時、それを遮るようにエリエの唇にサラザの人差し指が触れた。
「――ふふっ、大丈夫。私が負けるのは恋だけなんだから。必ずエリーも皆も守ってあ・げ・る♪」
「うぅ~。ありがとうサラザ~!!」
エリエは微笑むサラザの首に抱きつく様に腕を回すと、瞳を潤ませながらサラザに頬擦りしていた。
すると、サラザはエリエの肩にがっしりとした腕を回して、ぶら下がるかたちになった彼女の体を支える。
そんな時、店のドアが勢い良く開いた。
「今日も来たわよ~。サラザ!」
「いいお肉が入ったんだって~?」
勢い良く開いた扉から、世にも奇妙な2人のオカマが入店してきた。
1人はサラザと同じくらいのムキムキの体でリーゼントに茶色い瞳のオカマで、2人目はまるで相撲取りのような恰幅の良い体格で、毛先をツンツンと逆立った緑色の短髪に黄色い瞳のオカマだった。
「あらお客さん? 珍しいわね~」
「あら~、ガーベラにカルビじゃな~い。いらっしゃ~い」
サラザが顔だけ入口に向けて笑顔で迎える。
おそらくはサラザの店の常連なのだろう。全く物怖じせずにサラザの趣味全開の奇抜な店に入ってくるその姿は、逆に異様な雰囲気を醸し出していた。
何というか一言で言うならば、まさにこの店にピッタリな客と言ったところだろうか……。
2人はその声に従うようにサラザ達の前まできた。
気付いた星が軽く会釈をして形式的に「おじゃましてます」と小さな声で挨拶をする。
それを見た2人は動きを止め、ぎこちなく笑みを浮かべている星を目を見開いて、物凄い眼力のある瞳でじっと見つめている。その瞳はまるで、獲物を捕らえる前の肉食獣の様な印象を受ける。
2人のただならぬ雰囲気に、星はビクッと肩を震わせると。
「あ、あの……どうしましたか?」
(……い、いやな予感がする……)
そう思いながらも、凄い視線を向けてる2人に星が首を傾げながら尋ねた。
次の瞬間。星の予想が的中し、彼女の元に2人が物凄い勢いで小走りで駆け寄ってきた。
突然のことに驚いたのと恐怖で、星の体がまるで金縛りにあっているのかの様に動かなくなっていたが、そんなことなどお構いなしに近寄ってきた2人は歓喜の声を上げた。
「――ちょっと何よこの子! すっごくかわいいんだけど~」
「――このゲームでこんな小さな子を見るの初めて! あたい。この子をお持ち帰りするわ!」
いつの間にか星の左右を封じた2人が、ジリジリと両サイドから挟むと、怯える星に強引に頬擦りしている。
顔に当たる髭と堅い頬骨、そして反対側からは弾力のあるモチモチとしたハリのある肌が押し付けられる度に波打っている。
「あっ、ちょっと……うっ、お酒臭い……レイ~」
星は今にも泣き出しそうな瞳で、一目散に離脱した空中のレイニールに助けを求めた。
動けなかった星とは違い。レイニールは本能で彼等が迫って来る危険を察知し、逸早く上空へと避難したのだ。
「――う~む。主のピンチじゃ……しかし、これを飲み干してしまわなければ助けられんのじゃ!」
レイニールは星を見下ろすと、両手に持ったジョッキグラスを交互に見ている。
どうやら、レイニールは咄嗟に共に避難したジョッキグラス達を手放す選択ができないようだ。
っと言うよりも、中に注がれたドリンクの方が重要なのだろう――。
その時、星の頬を挟んでいる2人の顔をサラザが強引に引き剥がして。
「ちょっと~。星ちゃんが嫌がってるじゃないの~。離れなさいよ~」
そう叫ぶサラザの姿を見て、星は初めてサラザの取った行動でほっと胸を撫で下ろした。まだ違和感のある両頬の辺りを、難しい顔をした星が頻りに撫でている。
レイニールも同じで、ほっとした表情を浮かべると両手にジョッキグラスを握り締めたまま、星の頭の上に着地した。その直後、星の頭がガクンと大きく下がる。
「……レイ。すっごく重い……」
「ああ、すまぬ。そいえばこれを持っていたのを忘れていたのじゃ!」
「いいから……早く降りて……」
顔を赤くしながら星が言うと、レイニールはパタパタとテーブルの上に着地して、両手に持っていたジョッキグラスを置いた。
星は少し不機嫌そうにそっぽを向いている。その理由はもちろん――。
「……レイは私より。ジュースの方が大事なのね!」
そう吐き捨てるように告げる星の言葉を聞いたレイニールが慌てて星の機嫌を取ろうと顔芸を始めたが、星はなおも不機嫌な表情で膨れっ面をして顔を合わせようとしない。
そんな星に、申し訳なさそうにサラザが話し掛けてきた。
「ごめんなさいね~。オカマって綺麗な物には嫉妬するんだけど、可愛い物は愛でるのよ~。勘弁してあげて~」
「……は、はい。でも私、可愛くなんて……」
星はその話を聞いて頬を微かに赤く染め、俯き加減にそう呟いた。まあ、オカマの生態を知った所で活用する場面がないだろうが……。
2人は自分達の衝動を抑えられなかったことを気にしているのか、俯きながら申し訳なさそうな表情で眉をひそめたまま、手を前に組んでもじもじしている。
その時、サラザの後ろからひょっこり出てきたエリエが言葉を発する。
「あんまり自分を低く見たらだめだよ、星。それは自分に自信をなくす事になるんだから……もっと自分に自信をもたないと!」
「……うぅ~」
照れ隠しのつもりがエリエに怒られてしまい。星はしょんぼりと肩を落としている。
落ち込んだ様子の星にレイニールが。
「とりあえず。飲んで忘れよう! 主」
っとジュースの入ったジョッキグラスを顔の前に突き出した。
その言葉のせいか、レイニールの持っているジョッキグラスの中身が、自然とお酒に見えてくるから不思議だ――。
それから数時間。新たに加わったオカマ2人と共に、楽しい時間を過ごした星達は名残惜しそうにサラザの店を後にした。
「……エリエさん。楽しい人達でしたね」
「うん。人は見た目で判断しちゃいけないって事だよね~」
「はい!」
2人は微笑み合うと、石畳の道をゆっくりと歩いて行く。
彼女の人は見た目によらないという言葉を聞いて、星は素直にその言葉に共感していた。
最初はガチムチのガーベラと巨漢のカルビに戸惑っていた星だったが、話をしてみると意外と気さくな人間だった。
「星はカルビさんに飛行機ごっこしてもらったもんね。楽しかった?」
「はい! レイの気持ちが分かりました!」
嬉しそうに両手を大きく広げた星を見て、エリエも嬉しそうに頷く。
「ふふっ。そっか! ならまた行こうね~」
「はい!」
星はにっこりと微笑んで答えると、エリエも満足そうに笑みを浮かべた。
だが、それを面白く思っていないのか、レイニールが不機嫌そうにそっぽを向いて。
「……我輩に頼めばいつでも空を飛べると言っておるのに。主のバカもの……」
レイニールはそう吐き捨てると、いじけたようにそのまま上空に上がっていってしまう。
星は困った顔をして、不貞腐れて空へと昇っていくレイニールのその背中を見つめていた。その時、隣に居たエリエが星を見下ろして話し掛けてきた。
「――ねぇ、星。……星はもし私達が居なくなったらどうする?」
「……えっ?」
今にも泣き出しそうな顔で見つめてきた星に、慌てた様子で両手を左右に振って否定したエリエが口を開く。
「えっ? あっ、今のなし! そんな事あるわけないじゃん。もしもの話だからもしもの!」
「……もしもの?」
それを聞いて、なおも星は瞳を潤ませながらエリエの瞳をじっと見上げる。
その星の表情を見て、エリエは『この子は1人にしたら自殺しかねない』と本気で思った――。
今度は首も両手と一緒にブンブンと振って、エリエが全力で今の発言を否定する。
「ああ、もしももないから、大丈夫だよ星。私はいつまでもずっと星と一緒にいるから!」
「……はぁ~。良かったです」
「あはは……星は心配性なんだから……」
彼女の言葉を聞いた星はほっとした様子でにっこりと微笑みを浮かべた。そんな星の顔を見て、エリエは思わず苦笑いを浮かべた。
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