森の中を必死に走っていた星は、後ろからレイニールが追ってきていないことにやっと気が付く。視界に表示されているマップを確認すると、どうやらさっきの場所から結構遠い場所まできてしまったらしい。
星は辺りを見渡したが、木に覆われているだけで人の気配もなければ光源になりそうなものもなく、頼りになるのは月から降り注ぐ月明かりだけだ。
意味も分からず、星がその場に立ち尽くしていると、風が木々を揺らす音だけが周囲に響いていた。
その時、周囲でざわめいていいた木々の葉が揺れる音が突然止まる。星が周囲を見渡すと風が止んだわけではなく木々の葉は風で流されたまま止まっていた。それはまるで、時間でも止められているかのように……。
「……なんだろう。嫌な感じがする」
不気味な状況に胸騒ぎを覚えていると、突然目の前に人影が現れる。
身長は高くなく、大人と言うよりも子供と言った方が正しいかもしれない。星の身長よりも、少し低いくらいの人影で髪は長く少女であるのは間違いなさそうだ――。
「誰なの!?」
星が尋ねると、その人影がゆっくり歩き出し、月明かりに照らされている場所に出た。
その姿に、驚きを隠せない様子で星は目を丸くさせて彼女を見た。
「……あなたはッ!!」
驚いている星の前に現れたのは、長い黒髪を後ろで束ねた小学二年生位の女の子でその瞳は赤く、真っ直ぐに星を見ている。
だが、その視線は友好的とはいえず。どちらかと言えば、憎悪と殺意が込められている感じがした。
そして星は彼女を見たことがある。それは、この世界に来て見た母親と知らない男性と娘と生活しているという目を覆いたくなる悪夢を見た時だ――今は髪を結んでいるが間違いなく、あの夢に出てきた女の子だろう……。
あまりのことに声も出せずにいた星に、突然少女が話し掛けてくる。
「あなたは戦いに行くのを止めるつもりはないの?」
星は自分の目的を思い出して、はっと我に返ると静かに大きく頷いた。
「……ないよ。それが私の役目――やらなきゃいけないことだと思うから……」
「――くだらない」
「……え?」
少女の言葉に、星は驚き不思議そうに彼女を見つめる。
当然だ。この世界にいるということは、彼女もまたこのゲーム世界に閉じ込められた言わば被害者なのだ。
っとなれば、本来なら彼女は喜ぶと思って疑わなかった。夢の中だけで、彼女と直接的な接触は初めて。それならば尚の事、星が諸悪の根源とも言える狼の覆面の男と戦うのは喜ばしいはずだ――もし星が負けても、彼女にはなんのデメリットもなく、勝てれば閉じ込められているこの世界から抜け出せるのだから……。
「どうしてですか? あなたは元の世界に帰りたくないんですか?」
星がなおも少女に尋ねたが彼女からの返答はなく、その代わりに彼女の手には現れた漆黒の鞘に収まった漆黒の剣が握られた。
さすがにこれには星も警戒せざるを得ず、右手を挿している剣の柄に置いた。
しかし、剣を取り出した彼女は攻撃の意思を示したにも関わらず。それから動く気配がなく、そんな彼女に向かって星が徐に口を開く。
「――そこを通して下さい。私にはやらないといけない事があるんです……」
「そう……でも、私にはそんなこと関係ない。仲間達に止められた時に諦めていれば……私が直接手を下す必要はなかったのに!」
そう言った彼女がダンッ!っと地面を蹴ると、次の瞬間には星の目の前まできていた。
少女が剣を振り上げたのを見て、星は素早く剣を引き抜くと、振り下ろされた漆黒の剣の刃を受け止める。
踏み込みの割には、彼女の力はそれほど強くはなく、戦闘経験を積んだ今の星ならば余裕で押さえられる。
(……いける。これなら負けない!)
そう心の中で思った直後、星の体が突如として後方に勢い良く吹き飛ぶ。
宙を舞った星は木に体を強く打ち付けられ、手から剣を手放し力無く地面に崩れ落ちた。
何が起こったのかも分からず混乱する頭で、何をされたのか必死に情報を整理する。
腹部にジンジンとした鈍痛があることから、おそらく刃を交えた直後に蹴り飛ばされたのだろう。だが、それが分かったところで、星にはトリッキーなその攻撃にどう対処すればいいのか分からない。
いくら戦闘経験を積んだとはいえ、それはAIに忠実に従うモンスター相手であり。こんな予測不能な動きはしてこなかったし、まず同じ速度で戦っていなかった。
再び剣を構えた少女の姿を見て、星は慌てて地面に落ちていた剣を拾い上げると、それを体の前で構える。
地面を駆けながら向かってくる少女に、星は剣を腹部の下の方で両手で構えて待ち構えている。
さっきは片手で防いだから腹部が無防備になってしまったが、両手で持つことで左右から腕でしっかりと挟み込まれ。これならば、がら空きになっていた腹部はカバーできる。しかも、両手で受け止めれば衝撃を最大限まで吸収することも可能だ――。
その星の目論見通り正面に切り込まれた剣の刃の衝撃をエクスカリバーがしっかりと受け止めた。だがその直後、今度は左脇腹に強烈な痛みと衝撃が襲ってきた。
吹き飛ばされ地面に倒れた星だったが、その手には剣がしっかりと握られている。
(――痛いけど、ぎりぎりで跳んだから攻撃は弱まったはず……)
どうやら星は攻撃が当たる直前に横に跳んで、攻撃の勢いを殺したようだ。以前の星ならばできなかっただろうが、それだけこの短期間で彼女が成長したということだ――。
星は手に握られている剣を見てほっと胸を撫で下ろして少女の方を見る。だが、そこには少女の姿はなかった。
っと星の視界から消えていた少女が、空から星の前に着地した。冷めた目で自分を見下ろす少女に、星の全身に悪寒が走る。その直後、少女は倒れて無防備になっている腹部を勢い良く蹴り上げた。
「――かはっ!」
地面を勢い良く転がると、数十メートル飛ばされた場所で背中を丸めて体を震わせながら腹部を押さえて倒れている。
突然の出来事とその攻撃の物凄い衝撃に、星は受け身を取る暇もなかった。腹部を押さえて悶える星のその痛みは想像を絶するものだ――もしも実際の体であれば、肋骨の殆どを骨折していただろう。
そして何より、彼女の攻撃の一撃一撃には殺意が乗っている。いや、殺意というよりも憎悪と悲しみの入り混じった感情だろうか……。
少女は足元に落ちている星のエクスカリバーを拾うと、星に向かって投げる。
星の近くの地面にグサッと刺さったエクスカリバーを見て、星は少女に問い掛ける。
「……ど、どうして? どうして、あなたと私が戦わないといけないんですか……」
「…………どうして?」
星の言葉を聞いてボソッと少女がそう口にした直後、彼女が放っていた殺気が一気に強まる。
ゆっくりと倒れている星に向かって歩いてくる少女に、苦痛に表情を歪めながらも剣を取ってゆっくりと体を起こす。そんなボロボロの星を見て、少女は口元に笑みを浮かべると徐に告げる。
「――どうしても何も、私はあなたの姉で、あなたは私の居場所を奪った張本人……つまり、敵だからよ」
星は彼女の言葉を聞いて、不思議そうに首を傾げて言った。
「……姉? 私は一人っ子で、お姉ちゃんはいません。そう、私はいつでも一人……」
現実世界のことを思い出し、星の表情は暗く重くなっていく。だが、そう言った星を鼻で笑うと、少女は感情を消した様な声で告げた。
「――お前が私を知っていても知らなくてもどっちでもいい。私はただ……お前が私の居場所を奪った事が許せない! お前が生まれたから私は死んだ! あいつらに殺されたんだ!!」
彼女の感情が高ぶり殺気によって周囲の木々が一斉に動いてざわめく、どうやらさっきまで止まっていた時間は、今は動いているようだ――。
俯き加減で細かく呼吸を繰り返し、落ち着きを取り戻した少女が再び話し始めた。
「あんたは私の命と時間。そして居場所を奪ったんだ……だから、今度はあんたの時間を奪ってやる。その体にメモリーズで私の意識を植え付けて、今度こそ私は幸せになってやるんだ!」
「…………」
無言のまま彼女の話を聞いていた星は、瞳に涙を浮かべ俯きながら唇を噛み締めていた。
それもそうだろう。急に目の前に自分の姉を名乗る人物が表れ、その人物は明らかに星よりも年下なのだ――彼女が嘘をついているようには思えない。
っとなれば、星が生まれたことで彼女を不幸にしてしまったということになる。そして、星には彼女が言っていることが嘘ではないという、確信にも似たなにかを感じていたのだ――。
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