徐々に遠ざかるレイニールの後ろ姿を見送ると、エレベーターに入って大きく手を振るレイニールに星も再び手を振って応える。
エレベーターのドアが閉まるのを確認して、星が頭を押さえて地面に両膝を突く。
「……頭が割れる様に痛い。街の人達の声が頭の中に響く……」
そして咄嗟に起こった吐き気に慌てて口を押さえると、大きく咳き込んだ。
地面をはいながら部屋に戻ると、壁を支えにゆっくりと立ち上がり再び口を押さえて咳き込む。
よろよろと歩いてベッドに倒れ込むようにして口を付けると、何度も咳き込んで再び顔を上げた。
(――苦しい。今まででこんなのは初めて……もうあれをやらなかったら、きっとこの苦しさも消える。でも……)
そんなことを考えながら瞳を閉じると、今まで聞こえてきた多くの声が更に大きくなって頭の中で反響して聞こえる。
その声は皆楽しそうで、皆喜んでいる。これも自分の固有スキルを使用したことによるものだと思うと、星の中に浮かんできた迷いが嘘のように消えていた。
固有スキルを使えば使うほど、自分は疲労している。だが、その行為が誰かの為になっていると考えると、苦しいよりも嬉しいという感情が溢れてくる。
(頑張らなきゃ……自分にできることを一生懸命に頑張るって決めたんだから……頑張らなきゃ……がんばらな……きゃ………………)
星の意識はそこまでで完全に途絶える。
星に掛かる負担をシステムがこれ以上は危険と判断したのだろう。本来は強制ログアウトして危機的状況を回避させるのだが、それができない以上は初期防衛行動である気絶という方法を用いるしかない。
気を失った星が次に目覚めたのは、敵の攻撃を知らせる鐘が鳴り響く音が街中にこだました時だった。
朝だったはずの外はすでに夜になっていて、窓からは丸い月が姿を現していた。ゆっくりと体を起こすと、今朝よりはよっぽど体が軽い気がする。
星は壁に立て掛けていた剣を取ると、ゆっくりと自分の胸に押し当てた。
「……大丈夫、きっと上手くいく。戦わないと守れないから……私は勝つ為に戦ってるんじゃない。みんなを守る為に戦ってるんだから……」
体調の悪さと失敗の恐怖から震える体を、大きく深呼吸をして落ち着かせると胸に押し当てていた剣を見つめた。
「――行くよ」
ゆっくりと歩み始めた足が、部屋を飛び出した直後には力強く床を蹴って進んでいた。まさに閃光の如く進む星の瞳は真っ直ぐ前だけしか見ていない。
自分が戦わなければ全てが奪われてしまう。街に住むプレイヤーも、大切な仲間も、白雪が星に頭を下げてまで頼んだのは星にしかできないからで、他の誰にも頼れないことだからだ――。
一回りも歳の離れた星に、彼女は頭を下げたのだ――プライドを捨ててまで、自分の無力さを呪いながら。
それはきっと子供の星には理解できないくらいの感情だろう。しかし、星は生まれて初めて自分にしかできない役目をもらった。
いつも強い仲間達に劣等感を覚えながら、心の中でずっと必死に自分にできることを探し――そんなものはないと、諦め続けて、仲間達の勝利を祈り続けた日々。
今までエミル達の後ろで守られるしかなかった自分が、やっと戦えるのだ――歯痒い思いをしていた弱い自分から、苦しくても耐えて戦える少し強くなった自分に……。
剣を握り締めギルドホールから街に飛び出した星は、金色に輝くその体を揺らしながら城門の前までやってきた。
城門前にはすでに多くのプレイヤーが集まり、再び攻めてきたモンスターの軍勢を見て、この世の終わりのような表情で向かって来る敵を眺めているしかなかった。
前の戦闘とは違い。星の固有スキルの制限時間の24時間を迎えていない為、ステータスが固定された状態ではあらがう術を持ち合わせていない。今はただただ、2日間代わりに戦ってくれた『剣聖』の二つ名を付けた幼い少女を待っているしかない。
「まさか、また敵が攻めて来るなんて……」「剣聖は。剣聖はまだ来ないのかよ!」「……俺達。このまま死ぬのか?」「もうダメだ。おしまいだぁ……」
星が現れたことで、今まではまるでこの世の終わりの様な言葉を吐いていたプレイヤー達が、息を吹き返したように歓声を上げて現れた星を歓迎する。
地面を蹴って軽々と宙を舞って、その人集りごと城門を飛び越えて地面に着地した。
街の外に出ると見渡す限り赤黒い炎に体を焼かれたモンスターの軍勢で埋め尽くされ、例に漏れず中央には同じく赤黒い炎に包まれたルシファーが悠々と歩いている。
星は体の前に構えた剣の柄を両手でギュッと握り、敵を睨み付けると小さく息を吐き出す。
敵の前に出ると、集中しているからなのか吐き気と頭痛も治まり。その代わりに、恐ろしいほどの冷静さが頭の中を支配していた。
静寂の中、先に動いたのは星の方だった――。
目にも留まらぬ速度で敵の先頭と肉薄した星は、放たれる刃を掻い潜りモンスターを次々と撃破していく。
誰が見ても星は敵の横を通り過ぎているだけの様に見えるのだが、通り過ぎた直後にモンスターの体が真っ二つに斬り裂かれ崩れ落ちて地面に落ちてから光に変わって空に昇る。
間一髪で彼女が戦っていると分かるのは、動く度に近くに火花が飛んでいるからだろう。
しかし、今回は前回とは明らかに違う。前回は5万程度の部隊だったが、今回は倍の10万はいる。しかも、街を囲むように展開しているわけではなく、明らかに街の東門を突破する為に部隊を集結させていた。
しかし、敵の本当の目的は星の体力を疲弊させることにあるのだろう。星が気を失っている間に、紅蓮達が再び整備して使えるようにした落とし穴の方には近付いてもこない。
落とし穴は投石機と違って効果範囲を移動することができない。つまり、穴の位置を変更するには再び巨大な穴を掘るという労力が必要となる。それならば誰でも、もう一つ穴を掘った方が早いと気が付く。
モンスター全ての行動を操作できない以上。進行させれば必ず穴に落ちてしまう、しかしそれは逆に言えば穴に近付かせなければ問題はないということだ――。
だとしても、穴に近付けないということは街に一定以上近付けないということでもあり、敵は本気で攻撃を仕掛けて来る気がないということの現れでもある。
だが、まだ戦闘経験の薄い星が判断するのは難しいだろう。前回の戦闘で、星の周りにいた仲間達が戦闘に参加しないということは確認している。
彼女の性格を考慮すれば、仲間達を危険に晒さないようにと自分一人でくるのは分かっていた。まあ、レイニールは星と共にいる為、彼女の装備としか見ていない。
しかし、以前の始まりの街の戦闘ではレイニールと星で10万のモンスターを撃破している。それを踏まえて相手は撃破できると判断して10万のモンスターを用意したのだろうが、今はいつも張り付いているレイニールは居ない。この点においては、敵に取って有利な状況と言えるかもしれない。
星は敵に勇猛果敢に戦闘を仕掛けてモンスターを破竹の勢いで撃破している。だが、星は数多くのモンスターを撃破する中で、一つだけ不可解なことに気が付いていた。
「……あの大きい天使が全然動いていない」
天に向かって赤黒い炎を纏っているルシファーが一定の間隔を開けたまま、全く動いていないのだ――足元の周辺には他よりも多くのモンスターが密集していて、赤黒い炎を伝染させられている。
まあ、エクスカリバーは属性攻撃武器だから、属性攻撃しか効かない赤黒い炎を纏っているモンスターも撃破できるのだが。しかし、問題なのはやはりその数だろう……肉体強化しているとは言え、ここ数日間まともに休めていない星にはこの連戦はさすがにきつい。
それが現れているのか、先程まで軽快に撃破できていたモンスターの攻撃が星の体に当たるようになってきた。まあ、攻撃をされたところで、深刻なダメージを受けることはないのだが。そんなことよりも、攻撃されたということが問題なのだ――。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!