ゲーム世界からログアウトした星が瞼を開けると、そこには見慣れない白い天井が広がっていた。
重い体をゆっくりと起こして辺りを見渡すと、部屋の中は仕切りなどはなく開放的な印象を受けるのに、窓などもなく家具は中央に置かれたベッドだけととても人が生活するような場所ではなかった。
ベッドから出た星は地面に足を着ける。その瞬間、全身の力が抜けたように崩れ落ちて地面にペタンと座り込んでしまう。
「あれ? 力が……入らない」
不思議そうに首を傾げた星は再び足に力を込めるが、立ち上がることができない。
だが、それも無理はない。二ヶ月もの間、現実の体は食事もまともに取らずに寝たきりの状態で放置されていたのだ――。
再び立とうと両手を地面に付いた時、視界に入ってきた光景に星は自分の体を見て目を疑う。
それもそのはずだ。星の体はパンツだけしか身に付けておらず、上半身には衣服の代わりに多くのコードが付いた吸盤の様な機材が貼り付けられていた。
そして左腕には注射針が刺さっていてその先の管は銀色の移動式のスタンドに吊されている点滴へと繋がっている。逆にどうしてこれまで気が付かなかったのか不思議なくらいだ。
それを確認した直後、星の視界がぐわっと大きく揺らいでその凄いめまいに焦点が全く合わない。
その時、部屋の扉が開いて2人のナース服を着た女性が入ってきた。2人はベッドの横に座り込んでいた星の体を抱えてベッドに戻すと頭の上の方に置かれている機器の数字を確認しながら、脈を測ったり体温を測ったりと忙しなく動き回っている。
その様子を横目に、星はどうしてここにいるのかを考えていた。
それもそうだろう。星は元々自分の家でブレスレット型のハードを起動させたはずだった。しかし、目を覚ましてみると、そこはどう考えても自宅でもなく。かと言って病院というには窓もなければ生活に必要な家具もない。
星の知っている病院は近くに多くの患者さんが居て、周りには収納スペースがあり光を多く取り入れる作りになっているはずなのだが……。
突然部屋に入ってきたナース達は、星の体に付いている吸盤状の器具を外して腕に付いていた注射針を外す。
すると、一人が部屋を出てもう一人がナース服のポケットからワイヤレスイヤホンの様な物を取り出して、星の耳に挿した。
その直後、彼女は不思議そうに首を傾げている星に優しい声で言った。
「気分はどうですか?」
「はい。不思議な感じですけど、体は大丈夫です」
「そうですか。それは良かった」
にっこりと微笑みを浮かべる女性に、星もぎこちなくだが笑顔を見せた。
だが、星は彼女達が入ってきた時に薄々感付いたことがある。それは、ここが日本ではない可能性があるということだ――。
入ってきたナース達は二人とも金髪に青い瞳をしていて、しかも星の耳に入っているイヤホンからは日本語で聞こえるものの、イヤホンが挿されていない方からは英語らしき言葉が入ってきていた。
だが、確かに星は自室のベッドに寝ていた。しかし、現在は見知らぬ部屋の中でナースが側にいる。普通に考えたら、病院に搬送されたと考えられるが。それならば、周囲に他の人間が入院していなければおかしい。
そうでなければなんらかの組織に拉致されたとも考えられるが、ただの小学生でしかない星を誘拐する人物への心当たりは一人しか思いつかない。
(――まさか生きていた? でもそんなはず……あの高さから落ちて生きてるはずない)
星は狼の覆面の男の最後を思い出して、彼が生存している可能性を拭い去る。
だが、だとするといったい誰が星をこんな場所に呼んだのだろうか……。
するとそこに、先程出ていったもう一人が戻ってくる。戻ってきた彼女のその手には洋服を持っている。
星の前まできた彼女は持っていた服を星に手渡す。
「ひとまずこれを着てください」
「……は、はい」
服を受け取った星は、ナースの戻ってきた白いワンピースを見て表情を曇らせる。
本来なら絶対に着ないだろう服だったが、今のほぼ全裸の状態よりはよっぽどマシだ。
彼女の持ってきたワンピースに袖を通した後、ダメ元で星が近くのナースさんに尋ねた。
「あの……ここはどこなんですか?」
「それは私達に聞くよりも、今から会いに行く人に聞いた方がいいですね」
予想外の言葉に、星は少し躊躇した様子で眉をひそめた。
それもそうだろう。今からこの謎の施設に自分を連れてきたであろう人物に直接会うというのだ――しかも、今はエミル達は居ない。その状態で敵かもしれない相手に会うというのは、小学生である星には荷が重すぎる。だが、だからと言ってなにもしないまま、問題を先送りにしたところで進展はない。
星は頷くとナース服の女性に手を差し出した。すると、彼女はにっこりと微笑んで星の手を掴むと、その手を引いてベッドから星を下ろす。
地面に足を着けた瞬間。大きくバランスを崩したが、その体をナースの女性が支えてくれたことでなんとか事なきを得た。やはり二ヶ月も足を使っていないと、どうしても筋力の減少が大きいらしい。ちょっとした段差から生じる衝撃にも、体を支えきれないほど消耗してしまっていた。
体をナースの女性に支えられながら、星はゆっくりと歩き出した。二人のナース服を着た女性に連れられて部屋を出る時、扉を見た星は驚き目を丸くさせた。その理由は壁の厚さだ――普通の壁の厚さの二倍から三倍の厚さがあり、それは扉も例外ではない。
部屋を出ると今度は開放的なガラス張りの研究施設の様な空間が広がっていた。通路はマジックミラーで外が見えるようになっていて、内側からは外の様子が窺えるようになっていた。どこかな研究機関であることは分かるものの、それがなにを研究する機関なのかまでは分からなかった。
ガラスに囲まれた通路を歩いて行くと、通路の先に両開きの鉄の扉が現れる。すると、星の体を支えながら左右を歩いてナース服の女性が扉の前で止まると、内側に両方の扉が開いた。
部屋の中で待っていたのは、フリーダムのゲーム内で会った狼の覆面の男の素顔であるメガネを掛けた赤い短髪の男性ではなく、茶髪で短い髪に白衣を着た男性だった。
それは星がゲーム世界でモニター越しに見た自分の叔父を名乗っていた男性だった。実際に記憶を取り戻す時にも、星は母親と彼と一緒にファミリーレストランで会った時に見ている。
正直。もしも狼の覆面の男がこの世界に戻ってきていれば、星と同じくゲーム世界から戻ってきたプレイヤー達がどんな目に遭うか分からない。それは、星と関係の深いエミル達も例外ではないだろう……。
彼の顔を見た瞬間、星の中で張り詰めた糸が切れた様に全身から力が抜けた。
体が大きく崩れ落ちそうになるのを、彼が慌てて駆け寄って地面に落ちる前に星の体を支えた。
「大丈夫かい!?」
「……ごめんなさい。気が抜けちゃって……」
そう言った星に彼は、ほっとした様子で息を吐く。
その後、軽々と体を抱えて椅子まで運ぶと星の頭に手を置いて微笑む。
「まあ、無理もない。君は頑張ったからね……さすがは姉さんの子だ」
彼の言葉を聞いた星は大事なことを思い出す。
「あの……お母さんは?」
それを聞いた瞬間、男性の顔が明らかに曇る。それはナース服の女性達も同じで、皆口を閉ざしたま時間だけが過ぎる。
長い沈黙の後、星は悟ったように頷きながら答えた。
「……そうですか。私はお母さんに捨てられたんですね」
そう口に出した星は不思議と悲しくなく、逆に当然だと感じていてその心は穏やかだった。例えるなら波紋のひとつも立たない湖のように……。
きっと心のどこかでは、こんな日が来ると分かっていたのかもしれない。母親は星に関心がなかった。分かっていながら、少しでも振り向いて欲しくて日々いい子であり続けてきた。
家事も禁じられている料理以外は全部やっていたし、勉強もして常に良い成績を取り続けた。全ては母親に振り向いてもらう為だ――だが、そんな毎日に嫌気がさしていた自分もいた。
星にとって内緒でゲームをやったのは、母親に対する反抗心かもしれない。その結果、事件に巻き込まれて今日見知らぬ場所で目覚めたのだ。
もしも捨てられたとしても、星には文句は言えなかったし、言う権利もないのだろう。何故なら、勢いで行動に移してしまったのは星なのだから……。
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