星が次に瞳を開こうとしたのだが、不思議と瞼が重くて開くことができなかった。
だが、耳には確実にレイニールが自分を呼んで叫ぶ声が聞こえる。
「あ……ある……あるじ!」
しかもよくよく感じてみると、なにやら顔の上に何か生温かい物が乗っている感覚があった。
「これって……」
星は半信半疑のまま顔の上の物を掴みそのまま持ち上げると、重かった瞼が軽くなりゆっくりと瞼を開いて、さっきまで顔の上に乗っていた物を確認する。
星の手に掴まれていたもの……それは紛れもなくレイニールだった。
さっき瞼を開けなかったのは、レイニールが顔の上に乗っていたからだったのだ。
手に持たれたレイニールは、なんだか心配そうに星の顔を見つめていた。
「――大丈夫か? 主。だいぶうなされていたようじゃが……」
「……えっ?」
レイニールにそう言われ、ベッドから体を起こすと星はやっと自分がびっしょりと汗を掻いていることに気が付く。
なおも心配そうな表情で星の言葉を待っているレイニールに「うん。大丈夫だよ」と優しく微笑み返す、レイニールはほっとした様子で「そうか。なら良いのじゃ」と呟いた。
星は表情を曇らせながら、ある質問をぶつけてみる。
「……レイ。もし、私が現実世界で弱い人間だとしたら……レイは私のことを嫌いになる?」
突然星の口から飛び出したその言葉に、レイニールには不思議な顔で小首を傾げる。
急に重苦しくなった空気の中。固唾を呑んでさっきの質問の返答を待つ星に、レイニールは少し間を空けて口を開いた。
「――はっはっはっ! 何を今更当たり前の事を言っておる。主が弱いから我輩がおるのではないか!」
「そう……だよね……」
呟くようにそう言うと、期待していた返答じゃないことに、星はしょんぼりとする。そんな星の姿に、レイニールは不思議そうに首を傾げた。
それに気付いた星はそんなレイニールにぎこちなく微笑む。
「お腹空いたね。何か作りにキッチンに行こうか」
「やった~! 我輩もそれがいいと思うのじゃ主よ!」
レイニールは星のその言葉を聞いて元気に羽をはためかせると、嬉しそうに星の頭の上に乗ってきた。
星はレイニールに微笑み掛けると。
「うん。なら行こうか」
「うむ!」
だが、ご機嫌なレイニールとは対照的で、星の心の中では今日見た夢のことが頭の片隅にずっと引っかかってもやもやしていた。
星はレイニールを乗せたままキッチンへ向かって歩き出す。
キッチンに着くと、そこにはまだ朝早いというのにエプロン姿のイシェルが立っていた。だが、なにやら大きな鍋を覗きながらにやにやしている。
星はそれを見てその場を立ち去ろうとすると、頭の上のレイニールがイシェルに向かって。
「おう。まだ早いというのに、何をやっておるのだ?」
何の考えもなしに話し掛けるレイニール。
(あ! レイのばか、そういうのは聞いちゃだめなのに!)
星がレイニールの突然の行動に驚いていると、イシェルは呆気なくその質問に答えた。
「ああ、おはようさん。これは今日の朝食なんよ」
「おお! なるほどな~。通りで美味しそうな匂いがするわけじゃ!」
「あの……イシェルさん。ひとついいですか?」
「んっ? どうしたん?」
イシェルは返事をすると、星の方を向いて微笑んだ。
その優しそうな声に、星は少し話しやすくなった気がした。
「その……どうして料理する時に普通にしてるんですか?」
それを聞いたイシェルは驚いたように目を丸くしている。
だが、星の質問も最もだ。なぜならここは現実世界ではない。
星も以前料理スキルを使用してチーズトーストを作ったが、この世界では驚くほど料理も簡略化されているはずなのに、それをわざわざ数時間も早く前に起きて作る必要性はないはずだ。
わざわざ手のかかる方法を選択する理由は、単に味だけを気にしているわけではない気がしていた。すると、イシェルは目を閉じてゆっくりと話し始めた。
「そうやね。普通なら数分で終わる事を、一時間近く掛けてやるんは理解できひんかもしれん。でもな……こうでもしとらんと、いつもの自分を保っていられんのよ……」
「……イシェルさん」
イシェルは寂しそうな吐息を漏らし、鍋の方に視線を戻した。
星はその瞳にきらりと光る何かを見た気がした。
「ごめんな~。もう少しで一段落つくから待っとってな~」
「……はい」
イシェルは振り返らずにそう言ったが、星にはその声からはどこか明るく振る舞おうと、無理をしているように思えて仕方がなかった。
星はそんな彼女の反応を見て理解した。自分だけではなく、皆現実世界での生活がある。こんな状況下だが、現実世界には家族も友達もいる。寂しくないわけがないのだ――。
しかし、星自身は今日の夢で確信した『自分はそれほど現実世界に帰りたいと感じていないのだ』と、友達はいない。家族も母親ただ一人。しかも、毎日会話をすることの方が少ない。
そんな皆と正反対の自分が仲間達の中で、最も歪んだ思考であることに……。
キッチンにイシェルを残し、星達は言われた通りにリビングのテーブルに座っていた。
「楽しみだなぁ~。なあ、主よ! ……主。どうかしたのか?」
「――えっ? うん……そうだね。楽しみだね!」
余程楽しみなのか自分の大きさほどの長さがあるスプーンを手に、レイニールがそう言って笑うと、上の空でいた星は慌てて返事を返した。
「なんだか今日の主はおかしいぞ? 今朝のうなされていた事と、何か関係があるのか?」
眉間にしわを寄せ、訝しげに星の顔を見上げる。
「うっ……そんな事、ないよ?」
「ふ~ん。まあ良いのじゃ」
レイニールは前を向き直して、鼻歌を口ずさむほど上機嫌だ。
(レイっていつも鈍いのに、こういう時は鋭いんだよね……)
星は動揺を隠しながら、心の中でそう呟く。
レイニールは不思議そうな顔をしながらも、持っていたスプーンでテーブルをコンコンっと叩いている。
星はそんなレイニールを見つめながら、今朝の夢のことを考えていた。
(あの時の夢は夢と思えないほど鮮明で、はっきりとしたものだった……)
星はそう思っていた。
フリーダムの中で見る夢はどこか不可解で、それはまるで、現実の出来事を予兆させるようなものばかりだからだ。
星はダンジョンの中でも変な夢を見ているし、更には今日のこれだ。そして不思議なのは、ニ回とも夢を見る時はなぜか悪夢のような夢を見るということだ――今思い返してみれば、エミルに一晩中抱きつかれていた夜も、彼女は悪夢を見ていたのかもしれない……。
だが、星にはもう一つ。ショックを受けていることがある。
それは――。
(あっちの世界が現実なのにこっちに居ると分かった時、すごく安心しちゃった……ダメだな、私……)
星は分かってしまったのだ――こっちでは友達がいるが、現実世界ではまた1人ぼっちの生活が待っているということに……。
星が自己嫌悪に陥っていると、キッチンの方からイシェルが歩いてきた。
その手にはたくさんの卵焼きが乗った皿を持っている。
さっきは鍋で何かを作っていた様だったから、待たせるのも悪いと気を利かせて作ってくれたのだろう。
「ごめんな~。まだ皆起きてこんからこれでも食べて我慢しててな~」
「おお~。見たこと無い食べ物じゃが、これは美味そうな匂いじゃ!」
レイニールは目の前に置かれた卵焼きを見て、歓喜の声を上げる。
だが、皿の上に乗った黄金に煌めく様に見えた卵焼きに、星は何か違和感を感じていた。
(……あれ? ドラゴンって確かたまごから……)
星はその卵焼きを見て、そんなことを思い出す。
「さぁ~。召し上がれ♪」
「いっただきま~す!」
イシェルは微笑みながらレイニールの前に卵焼きを置いた、レイニールはスプーンを皿の上の卵焼きに向けた。
「だめぇー!!」
星はレイニールのスプーンが卵焼きに届く前に、慌ててその卵焼きの皿を奪い取る。その直後、無常にもレイニールの突き出したスプーンの先がコツンとテーブルに当たった。
だが、急に目の前の食べ物を奪われれば、ドラゴンでも頭に来るわけで――。
「……主。いったいどういうつもりだ?」
「――えっ? あ、あのね……その……」
レイニールの怒りに満ちたその声に、星は思わず黙り込んでしまう。
小さな金色のドラゴンの全身から放つ迫力に星は一瞬物怖じしながらも、目を瞑り再び目を開くと決意に満ちた声で叫んだ。
「――たまごはダメなの! これは共食いだから!」
星の言葉を聞いて、何故かレイニールの声が更に怒りを帯びた声音に変わる。
「なるほどな……今度は我輩の星龍としての誇りまで、愚弄するつもりのようじゃな……」
レイニールはぼそっと呟くと星を睨んだ。
「星龍は我輩1体しかおらんのじゃ!」
「えっ!? そうなの!?」
星はそれを聞いて驚いたように目を丸くさせると、レイニールはスプーンを置いてパタパタと空中に浮いた。
「――なるほど……惚けたふりをして、主1人でその食べ物をいただこうという考えだな。そうはいかぬのじゃ!!」
「きゃああああああッ!!」
レイニールの鋭い視線が星の姿を捉えると、星に向かって突進してきた。
突如、向かってくるレイニールに星は悲鳴を上げると、卵焼きを持ったまま部屋中を逃げ回る。
イシェルはその様子を「あらあら、朝から元気やね~」と微笑みながら見つめている。
その時騒ぎに気が付いたエミルが部屋の中に飛び込んできた。
「星ちゃん! どうしたの!?」
その声を聞いて星を追い駆けまわしていたレイニールが、突然空中でピタッと止まってエミルに向かって敬礼する。
星は息を荒げながら、追いかけるのを止めたレイニールにほっとしたように胸を撫で下ろした。
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