困惑するだけだったが、隣で服を脱いでいくエミルに促されるかたちで首を時折捻りながらも、星も着ていた服を脱ぐ。
なによりも引っ掛かったのは、ご飯の前にお風呂に入ろうと彼女が言ったことだ――しかも、すでに食事は注文している。にも拘わらず、どうしてお風呂が先なのかが星には分からなかった。
普通は注文した物がきて食べ終えてからお風呂に入るのが一般的だ。そうでなければ、せっかく持ってきてもらった料理が冷めてしまう。まあ、ゲームなのだから食事が冷めることはないのだが、その辺りを気にしなくなっているのは、ゲーム世界に長くいるせいで現実的な思考がずれてきているのかもしれない。だが、それは他のプレイヤーならばありえる話だ。普段から礼儀作法にうるさいエミルらしくはない。それが彼女らしくないと星は感じたのだ――。
先に浴室に入っていくエミルが星に向かって微笑む。星も後を追いかけるように浴室に入ると、エミルはまず星に椅子に座るようにと促す。
星も渋々椅子に腰をおろした。エミルは普段からお風呂に入る前に、決まって体や髪を洗う。
水が苦手な星にとって、それはお風呂に入る前の難関と言ってもいい。自宅にいた時は1人だった為、体は洗うが頭はあえて洗わないということも多かったが、ここではエミルがいるからそうはいかない。
椅子に腰を下ろした星はシャワーの音を聞くなり。瞼を強く瞑ると、水が入らないように両耳を手で押さえる。強張らせた肩は水に対しての恐怖からか微かに震えている。
エミルは慣れたもので、シャワー震える星のおしりの方からゆっくりとお湯をおかけて慣らしていくと、星の黒い長い髪の先から丁寧にお湯で濡らす。
さすがに頭の上からお湯をかけられた時には、緊張でまるで怯えた犬の様に全体を小刻みに激しく痙攣させる。
髪を全体的に濡らすと、星がほっとするのも束の間。今度は手の平で泡立てたシャンプー液を星の髪に馴染ませると、優しい手付きで丁寧に髪を洗っていく。
本来ならばアバターである体に、皮脂などの老廃物で髪が汚れることはなく。殆どは外部から付いた砂埃などで、星は数日間ずっとベッドの上で寝ていたのだから髪を洗う必要はない。
ただ、ゲームの仕様に合わせてしまうと習慣になり、現実世界に戻ってから苦労することになる。特に星は年齢が低い分、習慣化してしまうことをエミルは気にしているのだろう。まあ、それだけではないのだろうが……。
「――はぁ~、星ちゃんの髪を洗っていると
、何だかすごく安心するわ」
シャンプーで滑りの良くなった長い髪を手櫛でとかしながら、エミルは満足そうに微笑みを浮かべている。
おそらく。こっちがエミルがたいしてする必要もない星の髪を洗っている本当の理由なのだろう。
今までエミルは丸一日ほど寝てないにも拘わらず、星の前では普段通りに接しているのも、余計な心配をかけたくないのだろう。まだ確証はないが、勘の鋭い星は何かを感じとっているようでエミルも気が気ではない。
いつも星に無理なことはするなと言っている手前、自分が柄にもなく無謀な作戦を決行していたことがバレるのはまずい。もしバレそうになった時、どうやって言い訳をしようかと考えているうちに星の髪を洗い終わってしまった。
耳を必死に押さえていた手を離すと、緊張から解き放たれた星は、今まで口の中に溜めていた空気を「ふぅー」と息を吐き出す。
今度はボディーソープをスポンジに付けて泡立てると、その泡を手に取って星の体を洗おうとした時、星がエミルの方を振り向いて徐に尋ねる。
「――エミルさん。何か悩み事がありますか?」
「……えっ? どうしてそう思うの?」
心配そうにエミルを見つめる星に、内心動揺しながらもそれを表に出さないようにしながら聞き返す。
しかし、星は一度もエミルの方を振り返ってはいないはず――っと、エミルは目の前にあった鏡に映し出された自分の顔が目に入り。どうして星がそんなことを言ったのかが理解できた。
映し出された顔は酷いもので、疲れ切ったその表情はまるで今日世界の終わりが訪れるような感じだった。
これでは誰でも悩んでいると思って当然だ――。
「…………」
「……エミルさん?」
黙り込んでいたエミルに向かって、星が再び話し掛ける。
はっとして「なんでもないのよ」とすぐに笑顔を作るが、すでにそんな笑顔でごまかせるわけでもない。
立ち上がった星はエミルの方に向きを返ると、真剣な面持ちでエミルの瞳をじっと見つめ、無言のまま自分の瞳を真っ直ぐに見つめ返すエミルに告げた。
「――言ってくれないと、エミルさんのこと……嫌いになります」
不意に出た星の一言でさすがのエミルも諦めたのか、大きく肩を落としてため息を吐く。
敵の軍勢に対して行ったエミルの奇襲殲滅作戦が失敗した以上、すぐバレる嘘をつき続けるのにも限界がある。
「はぁ……分かったわ。でも、これだけは言わせて。私は全て星ちゃんの事を思ってしたことなの……」
そう言ったエミルに、星は笑みを浮かべて頷いた。それを見て、少しほっとした様子でエミルはこれまでの出来事を話し始める。
星が気を失っていた間に始まりの街がモンスターの軍勢に落とされたこと。その後、千代の街に避難してきたこと。
そしてエミルが昨日から今日にかけて、エミルが街の外の敵を駆逐しようとして失敗したこと。
話を聞いている間は終始頷いていた星だったが、その表情は険しいものだった。
エミルに嘘をつかれているという事実は、星も薄々感づいていたのだろう。しかし、否定したかった現実を突き付けられれば、表情が険しくなるのも当然だ。
始まりの街がモンスターに攻め落とされたのは、やっぱりという思いの方が強く。それほど驚かなかった。
まあ、罪悪感はある……むしろそれが強すぎる為、虚無感が星を襲っていた。でも、もう一つ感じていたものがある。それは、エミルは自分以上に始まりの街から離れたことを気にしているということだ――。
エミルがすぐにバレるような嘘をついたのも。きっと、エミル自身が始まりの街が落ちたと考えたくない。と星は思っていた為、エミルが嘘をついたこともそれほど気にはしていなかった。
おそらく。自分も同じ境遇ならそうしただろうし、だが彼女との違いは、星ならショックで何をすればいいのか分からずに、部屋に閉じこもっていたかもしれない……。
いつにもなく怒られる前の子供の様な表情で、エミルが星の瞳を見つめている。彼女としては、嫌われても仕方がないと心のどこかで考えているのかもしれない。
だが、星は……。
「……いいんです。でも……もう。危ないことはしないでください」
心配そうにそう告げて、上目遣いエミルを見る星の瞳は微かに潤んでいて今にも泣き出しそうだった。
その顔を見たエミルは手で胸を押さえると、抑えきれない衝動に駆られ。星の体に抱きしめる。
「あ~もう! かわいいんだから~。心配しなくても、もう危ないことはしない。約束するわ」
「……本当ですか?」
念を押すようにもう一度聞き返す星の頭を、自分の胸に押し付けると。
「ええ、もちろん! なんなら針千本飲んでもいいわ~」
「エミルさん。胸が苦しいです……」
顔に押し付けられたエミルの大きな胸に、星の顔がすっぽりと埋まっている。
エミルは慌てて星の体から手を離すと「ごめんなさい。つい衝動が抑えられなくて……」と苦笑いを浮かべた。
対して苦笑いを浮かべる星が、表情を曇らせて言いにくそうに口を開く。
「――始まりの街の人達を助けられなかったのは残念ですけど……私はエミルさんとまた会えて、こうしてお風呂に入ったり。お話したりできてよかったです。……あの時は、もうこんなふうにはできないと思ってたから……」
星の口から出たその言葉は、おそらく真実なのだろう……。
始まりの街の門の前に立ち塞がった時は、星もこれで終わるのだと腹をくくっていた。
そうでなければ、数十万のモンスターの軍勢を前に戦えるわけがない。いくら『エクスカリバー』という強大な力を持つ伝説の武器を持っていたとしても、現実の星はただの小学生の女の子だ――作り物とはいえ、化け物達を前にして戦えたのは、それだけの覚悟があったということに他ならない。
だが、その時のことはエミルも気にしているらしく。
「そうね……私も近くにいられなかったのは反省しているわ。でもね――」
エミルは星の体を再び優しく抱きしめると、耳元でそっとささやいた。
「――無理は絶対にだめ……倒れるくらい能力を使うなんて、もうしたらダメよ? 諦める事は悪い事じゃない。星ちゃんは頑張り屋さんだから、なんでも無理してでもやっちゃうんだろうけど……そんなんじゃ、いつか絶対に体も心も壊れてしまうわ……あなたはもう少し私を――私達仲間を頼っていいんだから、これからは無理をしないで遠慮なく私を頼って……私はずっと星ちゃんの味方だし。絶対にあなたを守るわ……」
「……はい」
(……私も今度こそエミル達を守ってみせます)
それを聞いた星も言葉には出さなかったが、心の中でそう誓ってエミルの体を抱きしめ返す。
互いの体温を感じるようにしっかりと体を密着させ。しばらくの間、浴室内で抱き合っていた。
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