星の咄嗟の機転を利かした言葉にすっかりいつも通りに戻ったエミルが、星の体に残っていた泡をシャワーで洗い流し、微笑みを浮かべると、星の髪を短く結わえる。
「私も体と髪を洗わないといけないから、先に湯船に入っちゃって」
っと言われ、星は素直にそれに従った。
一人用の設定なのだろう。浴槽も子供の星でやっと足を伸ばせるほどでそれほど大きくない。
視線をできるだけ合わせないようにを心掛けている星は内心では、エミルの様子がまたおかしくなったらと思うと怖かった。
時折、普段の彼女とは別の人格が出るような、そんな感覚に襲われることがある。
以前の手錠の件と、先程のベッドに押し倒されたこととさっきの首輪発言といい、時折狂気に走った行動を取る。
それもまた、この世界に閉じ込められていることによるストレスなのだろう。とエミルの横顔を時折見遣って星は考えていた。どっちにしても、その真相を知っているのはエミルだけなのだが……。
その時、青く長い髪を結わえていたエミルと視線が合う。
「どうしたの?」
「えっ!? い、いえ……」
素早く目を逸らす星を見て、エミルは何か思い付いたように、意味ありげな微笑みを浮かべ手招きする。
星は首を傾げながらも、湯船から上がってエミルの側までいく。そんな星にエミルはボディーソープを染み込ませたスポンジを渡すと、そのスポンジを見て小首を傾げながら星はエミルの顔を見つめる。
「……これって」
「私の背中。洗ってくれない? 手が届かなくて」
「いいですけど。私初めてなので……うまくできないかも……」
「ふふっ、いいのよ~。お姉ちゃんが教えて上げる」
エミルは今までにないほど、だらしなくにやけている。ただ単に、星にそのセリフを言わせたかっただけなように感じるが。
そんなこととは無関係に、星は真剣な面持ちでスポンジを泡立てると、その泡を手に取って「いきます」と生唾を飲み込み、緊張しながらエミルの背中に塗り広げていく。
懸命に手を動かしてエミルの背中を洗っていると、エミルがニヤニヤしながら呟く。
「星ちゃんの手は、小さくてぷにぷにしてて気持ちいいわね~」
「そ、そうですか? 私、上手くできてますか?」
「うんうん」
エミルは上機嫌で頷くのを見て、星は安堵したように息を漏らす。
現実世界なら分かるが、どうしてゲーム世界で素手で体を洗わないといけないのかが分からない。
タオルなどを使うよりも素手の方が肌にいいと現実の世界では言われているが、それがこの世界に適応されるかと言えば全くないだろう。
まあ、このままこの疑問をぶつければ、またエミルが豹変しかねない。ここは彼女の機嫌を損なわせるのは得策ではない。
ふと、思い出し。彼女の機嫌がいいうちに、星は心の中で思っていたことを聞いてみる。
一生懸命に手を動かしながら、星は意を決して口を開いた。
「あの。エミルさんは、早く元の世界に帰りたいですか?」
「……ん? どうしてそんな事を聞くの?」
振り返って尋ねるエミルに、星は眉をひそめながら言葉を続ける。
「いえ、エミルさんがこの頃怖いと感じる時があって……その、エミルさんもストレスが溜まってるのかな……って」
ついつい口が滑ってしまったと思って口を塞いだ時にはすでに遅く。その言葉に、エミルの表情が一瞬で険しいものへと変わり。彼女の青い瞳が、星の紫色の瞳をまっすぐ見つめる。
星は手を止め、緊張した面持ちで額に汗しながら次の彼女の行動を見守っていた。
いや、怒られることを覚悟していたと言った方が正しいかもしれない。もしもの時は、あの魔法の言葉を口にすればなんとかなる……。
互いの瞳を見つめ合ったまましばらくの沈黙の後、小さくため息を漏らしたエミルが呆れ気味に言った。
「――そうね。最初の頃よりも余裕がなくなってきた……っと言うのは確かかもしれないわね。でもね……」
「あっ……」
丸い座椅子の上でくるりと体を回転させ、星と向かい合ったエミルの手が星の頬に当たってにっこりと優しい微笑みを浮かべている。
その後、頬を赤らめた星に優しい声音で告げた。
「……私は星ちゃんの事が大切だから、少し強引な感じになっちゃうのかもしれないわね。でも、嫌いなわけじゃないのよ?」
エミルは一瞬悲しそうな顔をしたが、すぐに表情を戻し。星の頬を優しく撫でながら言葉を続けた。
「最近、星ちゃんも色々なことがあったでしょ? 敵に捕まったり固有スキルが使えるようになったり。星ちゃんが強くなって、ライラは何か企んでいるみたいだけど……でも、あなたは人から期待されるとそれ以上に無理しちゃうでしょ?」
「……そんなことは……私に期待する人なんていないから……」
「星ちゃん……」
悲しそうに眉をひそめてそう言った星を、徐に立ち上がったエミルがそっと抱き寄せる。
頭を撫でながら、落ち着いた声で言い聞かせるように呟く。
「そんなことないわ。あの力はきっと皆の役に立つ、それは間違いない――だって、固有スキルの枠を飛び越えた力ですもの。でもね、強い力を持っている人は頼られる事も多いけど、妬まれる事も多いの。そんな時は私に言いなさい。きっと、なんとかしてあげるから……」
「……なんとか?」
不思議そうに首を傾げながら、エミルを見上げる星。
そんな彼女に微笑み、エミルが体をもう一度ぎゅっと抱き締めた。
「……ええ、お姉ちゃんは妹の為なら、どんな無理だと思える事もやってのけるものなのよ?」
「でも、私……エミルさんの妹じゃ――」
そう言おうとした直後、エミルはシャワーを手に持った。またお湯をかけられると瞼を強く瞑ったが、その心配はなかったようだ――。
体を洗っている最中だったことを思い出したのもあるだろうが、それ以上にエミルとしては話を逸したかったのだろう。
まず自分の体に付いた泡を落とし、次に星の体に抱き付いた時に付着してしまった泡を流して、そそくさとシャワーを元の場所に戻すとエミルは湯船に入って星を手招きする。
「ほら、そんなところにいないで、一緒に入りましょ」
「……で、でも」
その場に立ち尽くしたまま、複雑そうな顔で星が俯いていると、エミルの伸ばした手が星の腕を掴んだ。
強引に湯船の中に引き込まれた星が目を丸くさせていると、エミルは微笑んで両腕で包み込むように引き寄せる。
狭い浴槽の中。エミルの膝の上に乗せられるようなかたちで、しっかりと抱き寄せられていた。
全身を包み込む温かさ――それはお湯だけではなく、エミルの体温もそして、その心も感じられる気がする。
(――もし、私にもお姉ちゃんがいたら……こんなに優しくて、温かかったのかな?)
星はそう感じながら、その温かさに素直に瞳を閉じて一時の安らぎに身も心も委ねた。
その時、耳元でエミルの優しい声が聞こえた。
「……星ちゃん。あなたはもう私の大事な妹よ?」
「でも……私は……」
「血の繋がりなんて関係ないの。誰がなんと言おうと、あなたは私の妹で、私の大事な宝物……次こそ絶対に手放したくない。だから、何があっても。絶対に、どこにも行かないでね?」
エミルのその言葉に星は小さく「はい」と答えて静かに頷く。この時、星はエミルと本当の姉妹になれたような気がしていた。
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