それからどの位、時間が経っただろう――。
星は一向に戻って来る気配のないカレンのことが気になり始めていた。
「……カレンさん。もう長い間戻ってこないけど……大丈夫かな?」
星は心配そうに階段の方を見遣って呟く。しかし、カレンの所に行くか否か星の心は揺れていた。それもそうだろう。嫌われている人間の前にはできれば行きたくないものだ。
誰かを起こすという手もあるが、今後の関係にヒビが入るかもしれない――できれば、その方法は取りたくない。
星は目を瞑るとゆっくりと瞼を開き、決意に満ちた表情で階段に向かって走り出す。
階段の前までいくと、星は壁にかかっている松明を手に持つ。その後、どこまでも続く薄暗い階段を見上げた。
そこはまるで星を待ち構えるように、漆黒の闇の世界が広がっていた。
(凄く暗い……お化け出そうだし。やっぱり、やめようかな……)
そう心の中で弱音を吐くと、恐怖からか星の表情は心なしか引き攣っている様に見える。
「だめ。カレンさんの所に行くって決めたんだから! こ、怖くなんかないもん……」
そう言って怯えながらも一歩踏み出し、一段一段階段を上がっていく。
黙々と階段を上がり続けていると、誰かと戦闘をしているのか、カレンの叫ぶ怒号が聞こえてきた。
「――カレンさん!?」
星はそれを聞いて息を切らせながら、懸命に階段を駆け上がっていく。
その時、星の瞳にはモンスターに襲われてボロボロの姿になったカレンの姿が、鮮明に浮かんでいた。
「カレンさん。大丈夫ですか!!」
星が声を上げると、その先に見えたのは全身汗だくで驚きを隠せない表情で星を見つめるカレンの姿だった。
「お前が……どうして……」
辺りを見渡して辺りに敵が居ないことに気が付き、急に恥ずかしくなりその場で俯く。
カレンは急に不機嫌になり、星を睨みつけると不機嫌そうに眉間にしわを寄せる。
「――大丈夫とは、どういう意味だ……?」
「……こ、声が聞こえたので……その、敵に襲われているのかと……思って……」
星がそう口にすると、カレンはさらに鋭い眼差しで星を見て「このダンジョン程度の雑魚モンスターに、この俺が手こずると言いたいのか?」と威圧するように言った。
まあ、カレンが怒るのも無理もない。星のその言動は、取り方によれば『カレンよりも自分の方が強い』という風に言っていると取られていてもしかたない。
その威圧感に一度は気圧されたが、すぐに星の瞳がカレンを捉える。
「いいえ……でも、もしもがあったらいけないと思って!」
星はカレンの目を見て勇気を振り絞りそう声を上げる。
「ふん。なら、お前が一人でその敵を倒せると……?」
「……そ、それは……」
そう言われた星は、それ以上何も言えなくなった。
確かにカレンの言う通りだ。カレンは星よりも圧倒的に強い。それはスケルトン達との戦闘を見ていても良く分かっていたはずだった。
カレンは俯いたままの星を「ふん」と鼻で笑うと、その横を無言のまま通り過ぎる。
「――待って下さい!」
星は俯きながら叫ぶと、表情を曇らせながら言葉を続けた。
「……カレンさんはどうして私を嫌うんですか? もし、私に悪いところがあればなおします。だから――」
「――お前はまたそうやって……そこが、俺は気に食わないんだよ!!」
星が話している途中にカレンが叫んだ。
その声に驚き目を丸くさせ、呆然とカレンの顔を見つめている。
「お前のその誰にでも好かれようとするその姿勢が、俺は一番気に触るんだよ!!」
「……えっ?」
星は驚きのあまり言葉も出ずに、その場に立ち尽くしている。
そんな彼女にカレンは遠慮することなく、言葉を続けた。
「お前は自分が傷付きたくないだけの臆病者だ! そうやって、笑顔を振りまいていれば誰かが助けてくれる――本当はそう思っているんだろ? この卑怯者がッ!!」
「ちがっ……私はそんなこと。考えたこともない……です」
星はそう言って俯いたまま、肩を落としている。
だが、内心では『そうかもしれない』という思いがあった。そこを突かれ、星も思わずたじろぐ。
カレンはそんな星の耳元で追い打ちをかけるように、小さな声で告げる。
「……その年で意識せずにできるというなら、とんでもない女だなお前は……そんな奴に引っかかったあのエリエって女も、相当ろくでもないな」
「――ッ!?」
星はそれを聞いて、俯きながら拳を握り締めながら震える声で小さく呟く。
「…………して」
「はっ? なんだって?」
「私に対しての悪口はいくら言ってもいいです! でも、他の人の悪口は許さない! とりけして!!」
エミルへの悪口が相当許せなかったのだろう。今までになく鋭い目で星が声を荒げ、カレンを睨みつけた。
その怒りに満ちた瞳を見て「なら、お前が俺に勝ったら取り消してやるよ」と、不敵な笑みを浮かべるカレン。
星はその申し出に、決意に満ちた表情で無言のまま静かに頷いた。
それを見たカレンはにやっと笑みを浮かべる。
「よし! 決まりだな。ルールは簡単だ――お前のHPが1になるまでに俺に一撃でも当てられればお前の勝ち。できなければ俺の勝ちだ!」
カレンは今まで装備していたガントレットを外し、その代わりに革製のグローブを装備する。
星も腰に差した剣に手を掛けると、その鞘と剣を紐で縛り外れないようにして構えた。
それを見たカレンは鋭く星の顔を睨むと、怒りを含んだ低い声で問い掛けた。
「――なんだそれは……お前は俺をなめているのか?」
「いえ。一回でも攻撃すれば良いなら、これで良いです……」
「ふん。生意気な奴だな……だから子供は嫌いなんだ」
「……嫌いでも……いいです」
星はじっとカレンを睨むと、低い声音でそう告げた。
一見、ただ挑発しているだけに見えるこの行動には、星のカレンに痛みを与えたくないという配慮があった。
星にとってこの戦いはただカレンに謝ってもえれば良いだけで、決して懲らしめたいからという安易な理由ではなかったからだ。
どんな状況であっても、星は相手が傷つくのを見たくなかった。
「なら、行くぞ!」
カレンが地面を蹴ったかと思うと、星との間合いが一気に詰まり握り締めた拳を前に突き出す。
「はああああああああッ!」
カレンの声と同時に、風切音が耳に飛び込んでくる。
星はそれを鞘付きの剣で防いだが、呆気無く飛ばされてしまう。
「きあああああああ!!」
悲鳴を上げながら軽々と飛ばされた星の体は、しばらく地面を転がって止まった。
派手に飛ばされ、地面に倒れ込む星の体が微かに動く。
「うぅ……い、痛い……」
飛ばされた時に痛めたのか、左肩を押さえたままゆっくりと立ち上がる。
その痛みから、カレンが手加減をしていないことが伝わってきた。剣で防いでいなかったら危なかっただろう。
(カレンさん。本気だ……こんな攻撃を体でまともに受けたらHPが……)
星はちらっと左上の円状になっているHPバーを見ると、すでに4分の1ほど減っていた。
円の中の数値は800となっている――どうやら剣で防いだのが功を奏したのは間違いない、剣がなければ間違いなくHPの半分は削られていただろう。
「チッ! 一撃で楽にしてやろうと思ってたのにな……」
「そう簡単には……やられませんよ? 勝つのは私だから……」
カレンの言葉に返すように、星は笑みを浮かべている。
「そうかよ……本当にムカつくガキだな。お前はッ!!」
そんな星の様子が気に食わなかったのか、怒りを露わにしたカレンが星目掛けて突撃してくる。
星は透かさず剣を構え直す。その瞬間、向かっていたはずのカレンの姿が消えた。
「――えっ? どこに……」
次の瞬間。カレンは星の目の前に現れた時には拳を構えていた。
「――なっ!?」
「遅いな……はああああああッ!!」
その咆哮と共に拳が星に襲い掛かる。
星は慌てて、持っていた剣を突き出してガードの体制に入り『防げる!!』そう確信した直後、星の体は吹き飛ばされていた。
「きゃあああああああああッ!!」
吹き飛ばされた星の体は遠くの壁に、勢い良く叩きつけられ地面に倒れ込む。
「うっ……」
(ど、どうして……? 確実に剣で防いだはずなのに……)
星は混乱した頭で、必死に何が起きたのかを考えていた。その時、星の視界に自分のHPバーが見る見るうちに減っていくのが見えた。
その減少は著しく青かったゲージは黄色になり、遂には赤になってしまった。
(あっ……ダメ。まだ、謝ってもらってないの……このままじゃ、負けちゃう! 負けたくない……止まって!!)
しかし、星の思いは虚しくHPは残り1という表示だけ残して、星の視界には【LOSE】という敗北を告げる文字が表示された。
表示を確認した星は、がっくりと肩を落とす。
(――勝てなかった。ごめんなさい……エリエさん)
星はそれを倒れたまま、虚ろな瞳でその表示を見つめている。
「ふん。口ほどにもなさ過ぎて、罵る言葉もないな」
星は無言のままその声の方を見上げると、カレンが腕を組みながら仁王立ちしているのが目に入った。
「お前は弱い――いや、それを通り越して無様だな。一度も剣を振るわずに負けるとは……そういえば、エミルだったか? あの女もオロチとの戦闘で真っ先に倒されてたなぁ……師匠はあの女を気にかけていたが……どうせ、あの女が師匠に色目を使っていたんだろうな。そういえば、体付きも顔もそれっぽいしなー」
「――くっ……ゆるさない……もう、絶対に許しません!!」
その言葉を聞いて徐ろに立ち上がると、星は烈火の如く怒りだしカレンを鋭く睨みつけた。
「もう一度勝負です!!」
「いいだろう。どうやら……まだ痛めつけられたいようだな!!」
星の闘志に眉をひそめ、拳を構え直すカレン。
「はああああああああああッ!!」
星は剣を構えると、カレンに向かっていった。
カレンはそれを不敵な笑みを浮かべながら、向かってくる星を待ち構えている。
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