エリエ達が時計台に着くと、モニターの前でデイビッドが空を見上げながら座っていた。
「デイビッド! エリーを連れてきたわよ~」
エミルがそんな彼に手を振ると、デイビッドの瞳が2人の方に向いた。
先程とは打って変わって、エリエは険しい表情になる。モニター前の扇形に広がった席に腰を下ろしていたデイビッドが、ゆっくりとその場に立ち上がる。
デイビットはそんなエリエの元へと歩み寄ると、重い口を開いた。
「……エリエ。その、さっきはすまなかった……許してほしい」
「…………」
それを聞いたエリエは無言のまま目だけ逸らすと、少し間を空けてぼそっと呟く。
「……ケーキは?」
「――えっ? 今なんて……?」
首を傾げる彼にエリエがさっきよりも大きな声で。
「だから! ケーキを食べれるって聞いたから来たの! ただそれだけよ……」
そう言い放つと、エリエはプイッとそっぽを向く。
もちろん。エリエ自信はもう怒っていないのだが、小っ恥ずかくてデイビッドとまともに目を合わせられないのだろう。まあ、あれだけの険悪なムードになっていながら、ケーキで釣られたと思われた方が余程恥ずかしい気もするが……。
最初は呆気に取られていたエミルが慌てた様子で、頬を赤らめながら腕を組むエリエの耳元でささやいた。
「……ちょっとエリー。そんな言い方したらまたケンカになるでしょ? ダメよ、そんな事言ったら……」
「……だ、だって~」
「大丈夫。ここは私に任せて……ね?」
その言葉に情けない声を上げるエリエに、エミルはそう言ってにっこりと微笑んだ。
デイビッドはそんなエリエを見て少しイライラしているのか、俯きながら拳を握りしめている。それを見て、エミルが慌てて告げる。
「デイビッド。立ち話もなんだし、ケーキと紅茶でも食べながらゆっくりお話しましょう」
「ああ、そうだな……でもどこで?」
「そうねぇ~」
2人が「うーん」と唸っていると、エリエが口を開く。
悩んでいる2人に、予想だにしない提案をしてきた。
「――なら、私の家に来る? テーブルくらいならあるけど……?」
エリエは目を逸らしながら、強気な態度を崩すことなく、やや棘があるような言い方で言った。
その申し出に2人は頷くと、エミルは巻物でデザートドラゴンを召喚し、それに乗って3人はエリエの家へと向かった。
* * *
エミル達と別れ自分だけ城に戻る最中。レイニールは星の頭の上で、膨れっ面をしながら終始不服そうにしていた。
「むぅ~、主。どうして着いて行かなかったのだ?」
レイニールは星の頭の上で揺られながら、街の中を歩いていく星に声を掛けた。
その問に、星は表情を曇らせてつつも少し俯き加減に答える。
「……時計台はね。私の一番嫌いな場所なの――あそこに行くと色々。この世界に閉じ込められた時を思い出しちゃうから……」
「……主」
そんな浮かない表情の星を見て、レイニールも何かを察したのか、それ以上は口をつぐんで言葉を発することはなかった。
しばらくして、無言のままなおも歩みを進めている星の頭を、レイニールが優しくぽんぽんと叩いてきた。
「――大丈夫だぞ、主……。主は何があっても我輩が守るから安心するのじゃ!」
「……うん。ありがとう。レイニール」
「――レイでいいのだ! フルネームで呼ばれると、我輩もなんだか体が痒くなる……」
レイニールは体をブルッと震わせると、恥ずかしそうに明後日の方向を向いた。
星はそんなレイニールに、にっこりと笑った。
街を抜けてレイニールと星はエミルの城の近くまで来た時、ふと何かに吸い寄せられるかのように星は森の中へと入っていった。
何かは分からないが誰かが自分のことを呼んでいる様なそんな感覚に、星は森の奥へと向かっていった。
星は木々の間を進む中、ただ遠くを見つめながら小さく呟く。
「……呼んでる……」
「なに!? 主、いったいどこへ行くのだ! そっちは危険なのじゃ!」
星はレイニールの制止も聞かずに、虚ろな瞳のまま森の中を奥へと進んで行く。
森の中には、平地よりも強力なモンスター達が数多く生息している。しかし不思議なことに、この時は何故か森の中にはモンスターどころか、街の近くだというのにプレイヤーの人影すら見えなかった。
そんなことを気に掛けることもなく。虚ろな瞳で進んで行ったその先には、エメラルドグリーンに染まった湖がキラキラと水面を乱反射させている。
星はその湖のすぐ側まで行った所で、ようやくその歩みを止めた。
「――ッ!? えっ? ここはどこ……?」
意識が戻ったのか、星はきょろきょろと辺りを見渡している。
その時、目の前にレイニールがパタパタと翼を羽ばたき、宙に浮いているのが目に入ってきた。
レイニールのその瞳が鋭く星の顔を睨んでいる。
「――主。これはどういう事だ……?」
「……えっ? どういうって……なに?」
星はその言葉の意味が分からずに首を傾げた。
レイニールは鼻先を星の顔に押し付けるようにして、なおも睨みつけてくる。
まあ、レイニールが怒るのも無理はない。星の意識が飛んでいた間、レイニールはずっと進み続ける星に呼び掛けていたのだから。
「なぜ我輩の言葉を聞かなかったのかと聞いているのだ!」
「ご、ごめんなさい……」
よく分からないがその視線に耐えかねた星が謝ると、レイニールもしょんぼりとした様子の星を見て、少し怒りすぎたと反省したのか。
「しかたない。今回だけは多めに見るのじゃ」
っと、レイニールがパタパタと翼をはためかせると、ちょこんと星の頭の上に乗った。
その直後、レイニールが前を向いたまま星に尋ねる。
「それで主。あの湖の真ん中の光る物はなんだ?」
「……えっ? どこ?」
「ほれ、あれじゃ!」
レイニールはそう言って手を前に突き出すと、湖の石の上に突き刺さっている表面を苔に覆われ、周囲にツタの絡みついた十字架のような物を真っ直ぐ見つめている。
星はレイニールの指差す方に目を向け、目を見開いて注意深く観察する。
(なんだろう、あれ。胸がざわざわして……でも、落ち着くような。なんだか不思議な感じがする……)
そう思いながら胸に手を当てると、星は水面に浮かぶように出た岩に突き刺さったその得体の知れない物体を、食い入るように見つめていた。
レイニールはそんな星の様子に気付き、笑みを浮かべると星の服を掴んだ。するとその直後、地面の上に立っていたはずの星の体が徐々に浮遊する。
「……えっ?」
「気になるなら、自分の目で直接確かめるのが一番だぞ。主」
「えっ!? ちょっとレイ! えぇぇ~!!」
にやりと笑みを浮かべたレイニールは、星の体を宙へと持ち上げると、水面に浮かぶ様に佇む石に刺さった物体の方へと向かった。
星はその突然の行動に怯えた表情で、水面を見つめたまま体を強張らせている。その理由はとてもシンプルなものでただたんに水が怖いのだ――。
親が仕事で忙しかった星にとって、プールには授業など以外ではいったことがない。その為、泳ぎ方どころか顔を水につけることすらできなかった。
石のある場所は湖の中央付近。しかも湖の水かさは水面から底が見えないことから見ても、子供で、それも金槌の星が落ちればひとたまりもないだろう。
底が見えない湖はまるで宇宙の様だ――泳げない星からしてみれば、ただただ恐怖でしかない。
(うぅ……深い。底が見えないよ……)
「……レイ」
星は不安そうな表情で自分を吊り上げるレイニールを見た。
レイニールはそんなことなど気にする素振りも見せず、真っ直ぐ十字架の刺さった岩へとの距離を詰め真上までいくと。
「さあ、主。着いたぞ!」
そうレイニールが叫んだ直後。掴んでいた星の服を持っていた手を放した。
レイニールという浮力を失った星の体が湖の石に向かって急降下する。
「実際に触ってみるのじゃ! 行ってこ~い!」
「……えっ!? いやあああああああああっ!!」
星は瞳に薄っすら涙を浮かべ、叫び声を上げながら石に刺さった十字架を掴んだ。
なんとか首の皮一枚で命拾いしたという表情の星が、石に突き刺さった十字架を放すまいと懸命に握り締めている。
(はぁ~。助かった……でも、あれ? これって……)
星は自分が必死に握り締めている十字架を見て、その不思議な形状に首を傾げた。
それは苔と草に覆われていて全体は分からないが、石に刺さったそれは十字架というより刃先の刺さった剣のようにも見える。
呆然とそれを見つめていると、頭の上の方でレイニールの声が聞こえてくる。
「主~。どうだ? 満足してくれたか~?」
「……むぅぅ~」
星は手を腰の辺りに当てながら誇らしげに星を見下ろしているレイニールを睨みつけると、右腕を空へと突き上げた。
「もう! 急に放したら危ないでしょ! 私泳げないのに~!!」
「そこは大丈夫だ。もしも水の中に落ちたら我輩が全力で助けてやるぞ~。安心して落ちてくれればいい!」
「なっ! そんな無責任だよ。どうして泳げないのに私が水に落ちなきゃいけないの!? そんなの。冗談でもいやに決まって……」
レイニールの無責任過ぎる発言に、声を荒げていた星が勢いあまって十字架を掴んでいた左腕を振り上げてしまう。
すると、スポッという音が聞こえそうなくらい意図も容易く十字架が岩から抜け、そのまま星の体が水中へと吸い寄せられるように傾いていく。
星は徐々に迫る素面を見据えると。
「う……そ……いやああああああああッ!!」
両手をバタつかせ、なんとか重力に抗おうとするが時すでに遅し……。
――ジャボーンッ!!
次の瞬間。悲鳴を上げたまま、星の体は水しぶきを上げながら勢い良く湖の中へと落ちてしまう。
「はっ……うはっ! ……んぱっ! た……すけ……」
水に落ちた直後、手足を必死にばたつかせなんとか水面に顔を出そうともがくが、濡れた服の中に水が入って予想以上に重くなっていて、思うように体が動かせない。
さらに必死に声を出すと、今度は口の中へと水がどんどん入り込んでくる。
(……死ぬ。こんなの本当に死んじゃうよ!)
必死にもがけばもがくほど、体力を消耗しどんどん沈んでいく――。
咄嗟に出した渾身の、星のこれまでの人生で培ってきたスキルを全て込めた犬掻きも、全くその意味をなさず『もうダメ……』そう思った時には、もう手足の動きも止まり体は沈みはじめていた。
星はその中で意識を失いかけていると、体が何かに勢い良く引っ張られ、水面から水上に引き上げられた。
そのまま岸辺まで運ばれると、仰向けに寝た星の胸の辺りに勢い良くレイニールが体当たりしてきた。
その直後――。
「うっ……ごほっ! ごほっ! はぁ、はぁ、はぁ……」
溜まっていた水を吐き出すと、星は青白い顔で素早く息を繰り返す。
「大丈夫か? 主……それにしても、本当に泳げないのだな。びっくりしたぞ!」
それを他人事だと思っている、レイニールは「わはっはっはっ」と笑いながら、腰に手を当てている。
それを見て、星の心の奥底から悲しみが込み上げてきた。
「――ひくっ……ひくっ……だ、だから……だめって……言った……のに……」
星はレイニールの姿を確認すると、悲しみが溢れぽろぽろと涙を流しながら、その場に座り込んで手の平で顔を覆った。
レイニールは申し訳なさそうに泣いている星を見つめ項垂れていた。
* * *
星が溺れかけていたその頃……。
エミル達はデザートドラゴンの背に揺られ、街の近くの森の中を進んでいくと、大きなウッドハウスが見えてきた。
家全体は横に広く2階建てで屋根は赤く塗られ、家の隣には針葉樹の木が植えられている。
小じんまりとした日本のものとは違う広々としたその造りは、いかにも海外のログハウスという感じだった。それもエリエが日本人ではないからなのだろう。
「見えた! あそこが私の家だよ!」
エリエはデザートドラゴンから身を乗り出して、嬉しそうに家の方を指を差している。
「へぇ~。そういえば長い付き合いだけど、エリエの家に行くのは今日が初めてだな」
「ふふっ。家の外も中もエリーの理想のお家なんのよねぇ~」
微笑んでいるエミルに「うん!」と頷き、エリエはにっこりと微笑み返す。
この口振りからして、エミルは何度かこのログハウスに来たことがあるのだろう。
家の目の前にデザートドラゴンを待たせ、エリエの先導の元で家の扉を開けるとデイビッドはさらに驚きの声を上げた。
殆ど仕切りのない広く開放的な家の中には木の香りが漂い。壁にかけられた橙色のランプが辺りを照らしていて、実にモダンな雰囲気を醸し出している。
エリエの家と言うこともあってか、デイビッドはもっと子供っぽい――なんなら、外は普通でも、家の中はお菓子で覆い尽くされたお菓子の家くらいのイメージでいたのだろう。
「おぉ~。中は随分と立派だな……おっ! 暖炉まであるのか!?」
デイビッドは興奮気味に叫ぶと、部屋の端に暖炉を見つけ、その場所まで駆けて行った。
エリエはそんな彼の様子を、にこにこしながら眺めていた。余程、自分のデザインした家が褒められているのが嬉しいのだろう。が、次の彼の言葉にその雰囲気が一変した。
「うわぁ……よく見たら、ぬいぐるみだらけだ。せっかくの雰囲気も、ぬいぐるみがあるだけでまるで子供部屋だな……」
「………くっ」
「……ちょ、ちょっとデイビッド!!」
デイビッドの言葉を聞いて俯きながら拳を握り締めているエリエを見て、エミルが慌てて声を上げる。
確かにデイビッドの言うように暖炉の周りには、一人用のウッドチェアと動物のぬいぐるみが数多く置かれていた。
普段はこのぬいぐるみをクッション代わりに抱きながら、憩いの時間を過ごしているのだろう。だが、デイビッドはそんなエリエの様子に気付くこともなく言葉を続けた。
「それに、壁際にこんだけぬいぐるみが置いてあったら、誰かに見られてるみたいで落ち着くものも落ち着かないよな――外見は良い家なんだが残念だよな……うん」
「……くっ!」
「ちょっとデイビッド! こっちにいらっしゃい!」
エリエがデイビッドを殺意の籠った瞳で鋭く睨んだのに気づき、彼女が何か言い出す前にとエミルは慌ててデイビッドを外へと連れ出す。
「ちょっと、デイビッドとどこ行くのよ、エミル姉!」
「こっちが聞きた……んっ!」
「――ああ、ちょっとデイビッドと話があるから、ちょっとだけ待っててね~」
「う、うん。別に良いけど……」
エミルは何か言おうとしたデイビッドの口を手で覆うと、不思議そうに首を傾げているエリエに微笑み、デイビッドを強制的に外へと連れ出した。
2人は近くの針葉樹の木の下までくると、エミルが鋭い目付きでデイビッドを睨みつけた。
「ちょっと! エリーと仲直りするんじゃなかったの?」
エミルは強い口調で言うと、デイビッドはその彼女の雰囲気に気圧されながらも口を開く。
「でも、あの落ち着いた空間にぬいぐるみというのは男の俺には……」
「好みは人それぞれでしょ! エリーの家なんだからいちいち文句言わない! だいたいあなたは――」
デイビッドはそれからこんこんと説教をされ、精も根も尽き果てた状態でティーカップを容易しているエリエの元に戻ってきた。
それとは対照的に満面の笑みで戻ってきたエミル。 そんな真逆の2人を見て『いったいなにがあったんだろう』とエリエは困惑した表情を見せる。
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