「虎松、竹馬やろう!」
「はい、若様! お供します!」
岡崎城の庭先。
すっかり仲良しとなった竹千代と虎松。その様子を遠目から見る成政は感慨深かった。
良き友……いや主従となってくれたら、未来の方向性も変えられると思えた。
その隣で「わんぱくに育っておりますね」とやや複雑な面持ちの瀬名。
「もう少し、思慮深くなっていただければ良いのですが」
「内に籠って考え事をするより健全ですよ」
前世のことを思い出しながら成政は言う。
笑顔なのに物憂げだったので、瀬名は「佐々殿にも経験があるのですか?」と訊ねてしまった。
「ええまあ。そのせいで武芸があまり上達しませんでした」
「……あの本多忠勝殿に勝ったと聞きましたが」
「あれは経験の差ですよ。いずれ追い越されるでしょう」
向上心ではなく、現実的に思っている言い方。
瀬名は「時折、あなたは先が見えすぎていると思うことがあります」と核心を突く。
「気のせいだと思いますが……不安です」
「何が、でしょうか?」
「先を見過ぎて足元がおろそかになることです。いえ……私の気のせいなのですが」
「肝に銘じておきます」
勘の鋭い女性だなと成政は感心した。
自身の妻もそうだった。彼ははるが自分の秘密に気づきつつあると思っていた。
いずれ言うべきか、それとも黙っておくべきか……悩んでいた。
「ああ! 上手くいかないなあ……」
「若様、もう少し前に傾けると進みますよ」
二才の差があるため、二人は兄弟のようだった。
向こう見ずな兄としっかり者の弟と評せばいいのだろうか。
成政は「少し教えてきますか」と瀬名に言う。彼女は「そうですね」と頷いた。
「若様。お元気そうで何よりです」
「あ! 成政だ! お前も竹馬やれ!」
「佐々様、お久しぶりでございます」
成政は竹千代から竹馬を受け取って「虎松も元気で何よりだ」と応じた。
「では、拙いながらやらせていただきます」
成政が乗って、よろよろと数歩歩いたときだった。
竹千代が縁の下に隠していた木刀を素早く取り出して、成政に打ち込む。
あまりの素早さに瀬名も虎松も止める暇がなかった――
「おっと。危のうございますな」
成政は竹馬の片方を刀代わりにして受け止めた。そして一本にだけ乗って、その場でぴょんぴょん跳ねている。
「くっそー! えい、えい!」
「あははは。腕を上げましたな。そして襲い掛かるときも淀みがありませんでした。素晴らしいですぞ」
何度も木刀で打つが成政は竹馬で余裕で受け止める。その間も一本だけで地面に着いていない。虎松はぽかんと口を開け、瀬名は「意味が分かりません……」と呆然としていた。
「はあ、はあ、はあ……」
「今日はこれにて終わりですね」
成政はぽんと竹馬で高く飛んで、二回転してから降りた。
思わず瀬名は「凄い……」と呟いた。
竹千代は「どうしてそんなに上手いんだ?」と疑問を口にした。
「私の前の主、織田様はこういう曲芸めいたことがお好きなのでして。かなり練習させられました」
「織田様……義理の父だな! 私も練習して気に入られたほうがいいか?」
「竹馬よりも学ぶべきことがあります。まずは孫子からですよ」
「ええ!? また勉強か……」
成政は未だ呆然としている虎松に「お前もこれくらいできるようになりなさい」と告げた。
「若様を守るには、様々な物事に通じなければならん」
「……精進します」
「うむ。それでこそ、井伊家の後継ぎだ」
成政が満足そうに頷くと「おお、そこにいたのか」と三河国の主である松平家康がやってきた。成政は片膝を素早く着いた。虎松も同じくして、瀬名は正座をした。竹千代は「父上、お目通り嬉しく思います」と頭を下げた。
「ほう。そなた礼儀正しくなったではないか」
「成政のせいです。口酸っぱく言うのですから」
「ははは。そうか! 成政、褒めて遣わす!」
「ありがたきお言葉」
「瀬名。この成政、良き教育係であろう?」
瀬名は「過剰に良すぎて、逆に困っております」と困惑した顔になった。
「ここまで規格外とは思いませんでした」
「当たり前だ! 私が兄と慕う唯一の家臣だからな!」
「もったいのうございます」
「虎松も良き遊び相手になっていると聞く。これからも励めよ」
声をかけられるとは思わなかったので、虎松は「は、はい!」と変に甲高い声を出した。あまりにおかしかったので全員笑ってしまった。
「成政。そなたに用がある。来てくれ」
「承知いたしました。若様、終わり次第勉強に入りますゆえ」
「ええ!? ……うう、分かった」
家康の目があるので仕方なく頷く竹千代。
成政は家康の後に続いて、その場から去った。
◆◇◆◇
「実は三河守の官位を朝廷から賜りたいと思っているのだが、当世の御門が難色を示してな」
部屋に入るなり、上座から家康が悩みを打ち明けた。
成政は「どういうことでしょうか?」と詳細を訊ねる。
「松平家は清和源氏の世良田氏を先祖に持つと名乗っていたのだが、御門は『世良田氏が三河守になった前例がない』とおっしゃられた」
「やんごとなきお方は、前例や慣例がないと躊躇しますから」
「そこで僧を通じて公家の近衛前久殿に書状を送った。するといろいろと調べてくれたようで、得川という氏が源氏ではなく藤原氏を名乗っていた系譜を見つけてくれた」
成政はしばし黙って「つまり、その得川の流れをくむと主張すれば、三河守になれるということですね」と言った。
「ああそうだ。得川は世良田の大元にあたる。つまり源氏ではなく藤原氏の世良田氏だから任官できるという理屈になる」
かなりのこじつけだが道理は通っている。
おそらく御門は今川家に遠慮していて、そのように言ったと成政は考えた。
「というわけで、これから私は『得川家康』となる……のだが、『とく』の字を悩んでいる。『得』のままか、『徳』のほうが良いか……」
「私はこちらの『徳』の字が良いかと思います」
家康が差し出した『得』と『徳』が書かれた紙を見て、成政は即答した。
「こちらの『徳』は大徳、つまり古代より位の高い方の象徴ですから」
「実を言えば、私もこちらが良いと思っていた。では『徳川』を名乗ることにする」
これで家康が『徳川家康』となるのかと思うと感動的だと成政は思った。
仕えていたこれまでの思い出が一気に蘇る。
「それともう一つある。織田殿が稲葉山城を落とし、美濃国を手中に収めた祝いのため、岐阜城へ向かいたい。そなたもお供せよ」
「かしこまりました。織田様への土産は何にしますか?」
「そなたが考案した三河木綿で作った陣羽織にしよう」
それから政務の話に移行した。
成政は家康に「遠江国の攻略ですが」と言う。
「案外、早く終わりますね。従う者も多いと思われます」
「だとすれば、問題は――武田家か」
「ええ。おそらく駿河国を手に入れたら、今度は我らに攻め入るでしょう」
家康は「何か策はあるか?」と成政に問う。
武田家の恐ろしさは重々知っていた。
「一つ、方策があります」
「言うてみよ」
「鉄砲を――我らの国で作るのです」
家康は目を丸くして「そのようなこと、できるのか!?」と驚いた。
「ええ。今までの工場運営を元にして、堺衆と話し合えば……可能性があります」
「鉄砲を量産できれば、戦に勝てるのか?」
「勝てます。鉄砲は……戦のためだけに作るのではありませんから」
成政は断言したが、家康は半信半疑だった。
しかし成政の言うとおりにしようと思い直した。
「私はそなたを信頼している。だから任せるぞ」
「ご信頼、ありがたく思います」
成政は、実に悪そうに――笑った。
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