利家と成政

~正史ルートVS未来知識~
橋本洋一
橋本洋一

憤怒と尊敬と感謝

公開日時: 2020年12月23日(水) 17:10
更新日時: 2021年4月21日(水) 11:47
文字数:3,189

「母上には悪いと思いますが、私は当主の座を諦めるわけにはいきません」


 清洲城に赴き、柴田や林と共に謀反の罪を不問とされた信行であったが、母親の土田御前と二人きりになると、叛意を打ち明けた。

 土田御前が部屋の外の小姓を気にする素振りを見せると「下がらせましたよ」と信行は笑った。


「私はどうやら諦めきれないようですね。当主の座を」

「信行……私は、こたびの戦で、もう……」


 信長には勝てないと土田御前は言いかけたが、信行の蒼白な顔に言葉を止めた。


「何を言っているんですか? 私が当主になることを望んだのは、母上でしょう?」

「そ、それは……」


 信行は険しい顔になって、土田御前の両肩を握った。


「い、痛いです……」

「あなたが毎日毎日、当主になれと言い続けていたではありませんか。その教えのとおり、私は今まで頑張って来たじゃないですか!」

「の、信行……!」

「あなたがそう望んだから! 私はそうやって生きてきたじゃないですか!」


 大声で怒鳴って、自分の母親を突き飛ばした信行。

 二人の呼吸は荒く、互いに自分が興奮しているのは分かった。


「母上も母上ですよ。いくらでも兄上を殺す機会があったはずです」

「…………」

「ふん。可愛がっていないとはいえ、自分の息子だからですか?」


 土田御前は愕然とした思いで信行を見つめた。

 幼少期はあれだけ優しかった子が、こんな風になるなんて。

 今まで抑えていたものが、一気に噴き出したようだった。


「あなたが罵倒してきた、うつけに頭を下げた気持ちが、分かりますか? あんなうつけに負けた屈辱が、分かりますか?」

「わ、分かり――」

「分からないでしょうが! 今まで生きてきて、こんなに怒りを感じたことはありませんよ!」


 信行は壁の掛け軸を手に取って、びりびりに破く。

 それに飽き足らず、刀を抜いてそこら中の物を壊した。


「や、やめなさい! 信行!」

「そのやめるというのは、謀叛のことですか?」


 狂気に満ちた目で土田御前を見つめる信行。

 ごくりと唾を飲んで、土田御前は「も、物を壊すことです……」と言う。


「……そうですよねえ。安心しました」


 信行は笑顔になって――土田御前は戦慄した――刀を仕舞った。

 それから「これからも協力してもらいますよ、母上」と言う。


「そもそも、早く生まれただけで当主になれただけのうつけに、尾張国を任せることはできませんしね」

「…………」

「私だって、尾張の虎の血を引いているのですから」


 土田御前は極限状態に追い込まれていた。

 信長に敵わないと分かった今、最愛の息子を死にに行かせることはしたくなかった。

 どうすれば、信行は謀叛を諦めてくれるのだろうか――


 そこまで考えたとき、土田御前は思い当たった。

 自分の抱えている秘密を言えば、諦めてくれるだろうと考えた。

 それは愚考であったが、追い詰められた彼女には選択肢などなかった。


「信行、よく聞いてください」


 土田御前の真剣な表情に、信行の表情が固まる。

 加えて、予感もした。

 今まで信じていたものが崩れ去るような感覚。


「あなたには黙っていましたが、実は――」



◆◇◆◇



 葬儀を終えた利家が清洲城に戻ると、柴田勝家が馬屋にいた。

 髷は無く僧侶のようにつるんつるんな頭だった。


「柴田様! どうなさったんですか!?」


 驚いた利家が柴田に話しかける。

 柴田は最初、険しい顔をしていたが、声をかけたのが利家だと気づくと表情を和らげた。


「おお、利家か。信行様の件で謝罪しに来たのだ」

「信行様の……」

「いち早くお帰りになったが、わしは信長様と話を少ししていた」


 利家は「事情は分かりましたが、その頭は?」と気になっていたことを訊ねる。


「これは反省の証として、頭を丸めただけだ。僧になったわけではない」

「なるほど……」


 利家はほっとした気持ちになったが、それがどうしてだが分からない。

 考えてみれば、実兄の仇でもあるのに――


「利家。お前こそ、顔どうしたんだ? 怪我をしているようだが」


 柴田が触れてほしくないことを話題にした。

 利家は「戦で負った傷です」と正直に答えた。


「……ああ、そうか。すまなかったな」

「いえ。傷はすぐに治りますから」

「――わしは信行様を当主にしたかった」


 いきなり、自分の心情を吐露した柴田。

 利家は「分かっております」と応じた。

 彼もまた、信長を尾張一国の大名にするべく奮闘しているからだ。


「だが、こたびの戦で思い知らされた。信長様は器が違う」

「器、ですか?」

「謀叛をした者を許す度量の深さ。あれは信行様にはない」


 利家は「では殿の家臣になりますか?」と期待を込めて言う。

 柴田は「それはないな」と首を横に振った。


「信行様に生涯仕えると決めている。亡き先代にも誓った」

「頑固ですね。そんなに信行様が良いんですか?」

「良し悪しの問題ではない。信行さまは、わしの――」


 言いかけた柴田だったが「いや、不遜な言い方だったな」と首を振った。

 利家はきっと息子のように思っているんだろうなと考えた。


「というわけだ。これからも末森城で信行様に仕える。清洲城に来るのは時々になるな」

「そうですか。残念ですね」

「そんなに淋しがるな。たまに武芸の稽古をしてやる」


 柴田の優しげな言葉に「本当ですか!?」と両手を挙げて喜びを示す利家。

 柴田は利家の胸に拳を置いて「ああ、約束だ」と笑った。


「それでは、さらばだ」


 馬にまたがった柴田は、そのまま清洲城を出て行った。

 背中が小さくなって見えなくなると、利家は一礼してから、城内へ向かおうとする――


「どういう気持ちで、見送ったんだ?」


 馬屋の物陰から出てきたのは、成政だった。

 利家は「なんだ、見ていたのか」と特に何の反応も見せなかった。


「どういう気持ちって言われてもな。尊敬しかねえよ」

「お前の兄を殺した仇じゃないのか?」


 さっき考えていたことを言い当てられた利家。

 成政を静かに見つめ返すと「俺もよく分からねえ」と答えた。


「仇なのはそうなんだが、不思議と憎しみとか怒りは湧かねえ」

「兄と仲が悪かったわけではないのだろう?」

「むしろ仲は良かったな。俺は利玄兄が苦手だったけど、好きだった」


 成政は「だったらどうしてだ?」とさらに訊ねる。


「恨んでいないのか?」

「……自分の気持ちが分からないときって、お前あるか?」

「たまにある」

「なんか知らねえけど、柴田様を恨もうとか、利玄兄の仇を討とうなんて、思わなかった」


 成政には理解できなかった。

 まあ利家自身理解できなかったのだ。

 他人が理解できる問題ではないのかもしれない。


「それによ。利玄兄は復讐とか望んでいない気がするんだ」

「私はその方の人柄は知らん。だがそうなのか?」

「なんつーか、飄々としている性格で、すぐに熱くなる俺とは真逆だったんだよ」

「お前の兄とは思えないな」

「うるせえ。それにこれから味方になるんだろ? だったらそれでいいぜ」


 成政は「味方になる、か」と呟いた。

 未来知識を持つ彼にはこの後の展開は分かっていた。

 凄惨な事件が起こることも知っていた。


「そんなことより、お前どうしてここにいたんだよ?」

「殿の命令で、お前の様子を見に行こうとしただけだ」

「なんだ。心配してくれていたのか」

「殿はお前を気に入っているからな」


 成政の返しに「いや、違えよ」と利家は笑った。


「お前も心配してくれていたのか」

「……何言っているんだ?」

「殿の命令でも、他の奴に任せることもできるだろう?」


 成政の顔が次第に赤くなる。

 利家は「結構、良いところあるじゃねえか」と追撃した。


「――っ! 殿の命令だからだっ!」


 成政は鼻息荒く、肩を怒らせて振り返り、利家を置いて城内へと向かう。

 利家は「おいおい、恥ずかしがるなよ」とその後を追った。


「恥ずかしがってない!」

「あはは。そうだな……成政」

「今度はなんだ!」

「……ありがとうな」


 利家のさりげない礼に、成政は一瞬、足を止めかけた。

 しかし振り返ることなく「……うるさい」とだけ言った。


「別に心配などしていない。勘違いするな」

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