「信勝様は、どうして謀叛を起こしたんだろうな」
尾張国にある寺院、桃巌寺。
馬鹿みたいな快晴だった。
目の前の織田信勝の墓に手を合わせながら、利家は己の後ろにいた成政に問いかける。
「単純に当主になりたかったわけではあるまい。母の期待、周りの後押し。いろんな要因が重なって――謀叛を起こしたんだ」
「……複雑なんだな」
「信秀様――先代は信勝様が本当の子ではないことを知っていたのかもしれない」
成政の推測に利家は「根拠はあるのか?」と訊いた。
否定ではなく、むしろ彼自身そうかもしれないと感じていたので、そんな訊き方をしてしまった。
「先代が今わの際だったとき、一度だけ許せと仰せになった。普通、自分の子が失敗したら何度も許したいものだ」
利家は前世で叔父夫婦に育てられたときを思い出した。
そういえば、すぐに呆れられたと記憶している。
それから今の父――利春は何度悪さをしても、怒るのをやめなかった。
今思えば、不器用な父なりの愛情なのかもしれない。
期待されなければ、怒りなどしない。
「一度だけ、か。それは土田御前様と柴田様の過ちのことを言っているのかもしれないな」
「密通は罪だ。しかし先代も後ろめたいところがあったのだ」
そう語る二人の心には、淋しい風が通り抜けていた。
信勝と柴田と土田御前は切なくて、拙い関係だったと同時に思う。
「殿は柴田様をお許しになったが、しばらく謹慎させるようだ」
成政が静かに柴田の処遇を知らせた。
利家は「きっと自分で申し出たんだろうな」と返した。
「切腹も追放もさせない。それは信勝様の願いでもあったけど、一番重い罪だな」
「……自分の息子を殺した相手に仕えるんだもんな」
「なあ利家。お前なら分かるんじゃないのか?」
成政が言っているのは、稲生の戦いで利家が兄の利玄を失った出来事だった。
利家は首を横に振って「俺の場合と全然違えよ」と自嘲気味に笑った。
「俺なんかの苦しみよりも、柴田様のほうがつらいに決まっている。いや、つらいってもんじゃねえ。塗炭の苦しみを味わうことになるだろうな」
「私も素直にそう思うよ」
「だが、一番つらいのは殿だ」
利家は目の前の墓を見ていたが。
重なるように信長と信勝の姿が見えていた。
「父親違いとはいえ、弟の墓参りに来られないんだからな。しかも自らの手で殺した」
「代理で私たちが来ているが、本当は――」
成政はそれ以上言えなかった。
言わずとも利家は分かっているからだ。
「馬鹿だよな。みんな大馬鹿野郎だ」
唐突に利家が関わった皆を罵倒した。
成政は止めようとしたが、自分以外誰も聞いていないので、吐き出させることにした。
「周りの期待と重圧に押しつぶされた信勝様も、自分の感情と執念で息子を失った土田御前様も、過去の過ちと責任に縛られた柴田様も――みんな馬鹿だ」
「…………」
「殿だって、こんなことしたくなかったはずだ。だったらはっきりとしたくないって言えば良かったじゃねえか」
成政は実に真っ直ぐな意見だと思ったが「そんな単純な話じゃないんだよ」と諌めた。
「お前みたいにやりたくないことをやりたくないって言えないんだよ。言いたいことを言えるわけでもないんだ」
「……俺は、殿が分からない。昔は面白いことが好きだったあの人が、徐々に変わってしまった」
成政は意外な言葉にはっとして利家の横顔を見る。
その表情は悲しげでもなく、怒りでもなかった。
本当に淋しそうで、切なそうで、虚しそうだった。
「俺は、あの人について行って良いんだろうか」
「……私に聞くなよ」
利家は信長のことが好きだった。
でも今はどうだろうか?
嫌いになれない気持ちが彼の中にはあった。
だけどこのままついて行きたいと素直に思えない――
「利家。ごちゃごちゃ考えるなよ!」
成政が背中を思いっきり叩く。
あまりに重い張り手にたたらを踏む利家。
「いってえな! 何しやがる!」
「お前らしくないんじゃないか? 考えるより行動する性格だろうが」
「ああん? なんだそれ、俺のことを馬鹿にしているのか?」
「ああそうだ。お前は馬鹿だよ」
成政は利家と正面に向かい合って、言い聞かせるように言った。
「いつものお前らしくないぞ。仕えたいから仕えているんだろうが。まだ殿のことを信じているから、出奔していないんだろうが」
「…………」
「もっと馬鹿でいろよ。そのほうが――お前らしいぜ」
もしその言葉が他の馬廻り衆や親族、信長から出ても利家は納得しなかっただろう。
しかし、理屈ばかりで生意気だと思っている成政から自分を肯定する言葉が出た。
利家はすうっと気持ちが楽になった気がした。
「馬鹿でいろよ、か。てめえにしちゃ、良いこと言うじゃねえか」
「一言余計だ。馬鹿」
利家はいつもの彼らしい笑みを見せた。
成政はその笑顔を見て、自分がどうして嬉しいのか分からないが、とにかく安心した。
「そんじゃ、清洲城に戻るか」
「そうだな――あ、忘れるところだった」
うっかりしていたという顔をして、成政は懐から取り出した瓜を墓前に供えた。
手を合わせて「これでよし」と呟く。
「殿の好物だが、どうしてそれを?」
「昔、殿が食べているところを羨ましそうに見ていたらしい。そのときは土田御前様が食べるなと叱ったので、食わずじまいだったようだ」
利家は懐かしそうに瓜を眺めた。
初めて会ったとき、信長が「食うか?」と自分の瓜を差し出してくれた。
そのときの何気ない優しさの思い出が妙に心に沁みた。
「行くか」
「ああ、行こう」
利家と成政は信勝の墓に背を向けて、ただただ青い空を見上げて歩き出す。
途中、僧とすれ違う。
穏やかな笑みを絶やさない若い僧。
不思議と信長に似ているような気がしたけど。
二人は気にせず、その傍を通り過ぎた。
◆◇◆◇
それから二ヵ月後。
岩倉城の織田信賢が降伏し。
信長は念願の尾張国統一を果たした。
信長が元服し、当主になってから、戦いの連続であった。
これからも戦い続けることになる。
八十名の家臣を引き連れて、信長は京に上った。
そして将軍である足利義輝と会見する。
公方から正式に尾張国の国主として認められ、これで支配が確立された。
しかし、それで万全とは言えなかった。
東は今川家、北は斉藤家が虎視眈々と尾張国を狙っている。
滅亡の危険性は常にある状態だった――
「最近、拾阿弥って奴が俺たちの悪口言っているんだよな」
「それ、俺も聞いたぜ。何だって殿はあんな嫌な奴を茶坊主にしたんだろうな」
清洲城城内。
毛利新介と服部小平太が話していると、どたどたと足音を鳴らして、利家が廊下を走っていた。
「お。利家……って、お前今日、大切な日だろう?」
「こんなところで……あ、行っちまった」
小平太と新介は後ろ姿を見送る。
顔を見合わせてくすりと笑った。
「ああ、忙しい忙しい。尾張国を統一してから、仕事が増えたなあ」
「丹羽殿。口より手を動かしてくだされ」
丹羽長秀と池田恒興が政務していると、その部屋の外で利家の騒ぐ声がする。
「……なんで利家は、清洲城にいるんだ?」
「どうせ日時を間違えたんでしょう」
長秀と恒興は呆れた顔をしていたが、すぐに次の仕事に没頭した。
「藤吉郎! 馬を準備してくれ!」
「前田様、こちらです!」
利家と木下藤吉郎が馬屋で騒ぐ中で「用意しましたよ」と立派な馬を連れたのは、森可成だった。
「兄い! ありがとな!」
礼をそこそこに利家は馬にまたがって駆け出した。
「まったく。こんな大切な日に遅参などしたら……」
「前田様は相変わらずですなあ」
言葉とは裏腹に二人は楽しそうに笑っている。
愉快でたまらない様子だった。
◆◇◆◇
「利家! どこにいるのだ、利家!」
町外れにある小さな武家屋敷。
どたんばたんと足音を鳴らしながら、前田家当主の利春は次々と部屋の襖や障子を開ける。そんな夫の様子を妻のたつはおろおろしながら「あの子、どこにもいないようです……」と困った顔をした。
「あの大馬鹿者めが! 今日が大事な日であることが分かっとらんのか!」
利春は盛大に溜息を吐きながら「あの馬鹿息子めが!」とその場に座った。
「わしに恥をかかせるつもりなのか!」
「お前さま……申し訳ございません……」
縮こまって平伏する妻に「お前の責任ではない」とぶっきらぼうに利春は吐き捨てた。
「利家は、どうしようもない……!」
利春は呆れ返った口調で言う。
「今日が祝言の日だと――忘れたのか!」
そのとき、家臣が部屋に飛び込んで「ご子息様が、到着されました!」と喚いた。
「あの馬鹿息子、今更……!」
利春が肩を怒らせて表の門に向かうと馬に乗った利家の姿があった。
「利家! この馬鹿息子が!」
「はあ、はあ、間に合ったか……?」
「間に合っとらんわ! さっさと着替えろ!」
利春の吼えるような声をうるさそうにしながら「まつはどこにいる?」と下人に訊ねる。
「……まさか、その格好で祝言を挙げようと思っているのか?」
利家は略服で身体中汗だらけで、はっきり言ってしまえば乱れた姿をしていた。
「なんだ。いけないのか?」
「当たり前だ! 着替え――」
「――利家!」
白無垢を着ている十二才の少女が、利家の姿を見て、一目散にその胸の中に飛び込んだ。
余裕で受け止めた利家は「久しぶりだな、まつ」と優しげな表情を見せた。
「ずっと。ずっとずっとずっと。会いたかったです」
「あはは。そうか」
「利家が来てくれなかったら、死のうと思いました」
「遅れて本当にごめんな」
まつはにっこりと微笑んで言う。
「利家、大好きですよ!」
利家も満面の笑みで微笑み返す。
「ああ。俺も大好きだぜ、まつ」
◆◇◆◇
清洲城の一室。
成政は信長と会話していた。
「今川家の動きが活発になっている」
「関所を廃止してから、その手の情報は入ってきていますね」
「お前に頼みがある」
信長の表情は暗く、成政のほうも決して明るいものではなかった。
「薄汚い仕事になるが、頼まれてくれるか?」
信長の問いに成政は――
「ええ。もちろんです」
無表情のまま、頷いた。
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