利家と成政

~正史ルートVS未来知識~
橋本洋一
橋本洋一

経験の差

公開日時: 2021年7月28日(水) 05:56
更新日時: 2021年12月17日(金) 19:17
文字数:3,060

 奥村助右衛門は小柄な体格である。ゆえに力で圧すのではなく、技で仕掛ける戦法を得意としていた。また己の背丈の小ささもあって、大きい者たちとの戦いは経験が多い。つまり、大柄な利家との戦闘は、奥村にしてみれば手慣れたもの――だったのだが。


「――くっ!」

「てめえのような小手先の技が上手い奴とは、何遍も戦ったよ」


 まるで予想していたような反応を見せる利家。

 牽制技を行なっても、それを巻き込むように先手を取られる。

 返し技を行なっても、それを受け流すように後手に回される。


 奥村は――焦っていた。

 徒手空拳とはいえ、武芸を修めた自分ならばそれなりに動けるはずだ。

 対処も反撃もできるはずだ。

 それなのに、利家は意に介さず、見事に優勢を保っている。


 現当主、利久に聞いた限りでは、自分のような技で翻弄する戦法は苦手だと思っていた。

 なのに現実は違っていた――


 利家が奥村の仕掛けに対応できているのは、ひとえにそれ以上の使い手と一時期稽古していたからだった。加えて森可成の指導もあり苦手意識は克服していた。


「けっ。つまらねえ。これなら成政のほうが強かったぜ」


 好敵手の名を呟きながら、利家は牽制を入れた奥村の右の拳を弾き、がら空きになった右わき腹に左脚で蹴りを入れた。利家は手加減したものの、奥村には予想外だったらしく、もろに入ってしまった。


「ぐ、ごほ……」

「勝負あり、だな」


 奥村がうずくまる。利家はそれを見下ろしながら言う。

 だが奥村は決して諦めなかった。

 ゆっくりと立ち上がって、利家に拳を向ける。


「なかなかの根性だな。でもそれ以上怪我したくなかったら、そのまま帰れ」

「……当主様の命令ですから。素直に引き下がるわけにはいかないのですよ」


 受けた傷の回復を計りながら、奥村は考える。

 前田利家、槍の又左の実力は音に聞こえていた。

 けれども、圧倒的な力の差があるとは思いも寄らなかった。自信満々で主命を受けた自分を恥じ入りたいくらいだ。


 また口に出した言葉のどおり、このまま引き下がるわけにはいかない。前田家における、奥村家の評価を下げることは許されないことだ。さらに言えばうつけ者の利家に負けることは奥村の矜持に関わる。


 顎を引いて油断なく拳を構える――負傷の回復はできていない。虚勢に過ぎなかった。

 利家は奥村を見つめて「良い目してやがる」と応じるように拳を構えた。


 奥村は力と体重を込めた正拳を、利家の腹めがけて放つ。利久から厳命されている、過度な怪我をさせるなという命令は頭から吹き飛んでいた。目の前の利家に勝つ――


「惜しかったな。最初からその気合であれば、てこずっただろう」


 利家はその正拳を腹で受け止めた。

 鉄のように硬い腹筋を思いっきり殴ったので、奥村の手はじんじんと痺れた。


「今度戦うときは、互いに頭を冷やしてからだ」


 利家は正拳を放ったままで動けずにいる奥村の手を取った。

 自分を弧にしてくるくると奥村とともに回る――


「な、何を――」

「喋ると舌を噛むぞ」


 利家はその場で三周ほどして手を離した――小柄な奥村は面白いように飛んでいく。

 そのまま地面に落とされてしまい、受け身を取ることが叶わずに気絶してしまった。


「助右衛門との勝負は着いたが、これで一件落着とは言えねえなあ」


 利家から勝負の熱はすでに消え去っていた。

 今更ながら父親の死が彼の心を寂しくさせていたからだ。

 訪れるのは、虚しさだけだった。


「……決着、着けるしかねえか」


 利家は一度家に戻り、まつと話すことにした。

 夫婦で決めねばならぬことだったからだ。


 結果から言えば、奥村は利家を前田家に戻すことに成功した。

 しかしその代償として、素浪人である利家の援助をすることになる。

 当主である前田利久の命令で戦ったという事情も考慮すれば、同情の余地があるだろう。



◆◇◆◇



「ふむ。いい踏み込みだ。常人ならば危ういところだな」

「……っ!」


 本多忠勝との勝負。

 成政は確実に勝たねばならなかった。

 今後の松平家における自分の立場を優位にするためである。


 そのため、少々慎重な勝負の運びになったのは否めないが、傍から見ても成政のほうが優勢だった。体格と腕力など、単純な力においては忠勝のほうが強い。一撃でも当たれば成政は深手を負うことになる。


 しかし――当たらない。掠りすらしない。

 突いても振り回しても当たらない。素早い打突を行なっても予想していたような動きを成政は見せた。


 それでいて成政の攻撃は当たる。

 大振りになった攻撃の間隙を突いて――反撃する。

 言ってみれば明快なことだった。忠勝の動きをよく見て防御を優先して狙えるときに攻撃する。決して先手を取らずに後手を必殺とする。


 しかし簡単に言ったものの、それは理想である。普通はできやしない。

 成政が真っすぐで腕力の強い者との戦いに慣れているか、それとも実力差が歴然としているか――もちろん前者だ――そうでなければ説明がつかない。


 周囲の三河武士たちは野次を飛ばすこともせず、固唾を飲んで一方的な試合を見ていた。

 異常な空気の中、忠勝は無言のまま、無謀な攻撃に打って出る。


「…………」


 忠勝は成政の反撃を覚悟で懐に飛び込んだ。

 接近戦である。明らかに忠勝の体格のほうが優れている。ならば距離を取って戦うのが基本であり定石である。

 だが忠勝はその基本と定石を捨てた。虚を突かねば負けると思ったからだ。成政の攻撃は何度も受けているが一撃は軽い。ならば数撃は覚悟して受ければ耐えきれると彼は判断した。


「なるほど。素晴らしい」


 成政は忠勝が目の前に迫ってくるのを見て感心した。口笛を吹いて拍手したい気分だった。思いついても実行する度胸が無ければ、決してやらないだろう。

 しかし、利家との勝負を何百回と繰り返した成政。

 かつて利家がその戦法をしなかったわけがなかった。


「ならば――こうだ」


 眼前に近づいた忠勝に見えるように、成政は上に槍を放り投げた。

 経験の浅い忠勝は思わず目で追ってしまった――加えて考える。成政の意図はなんだろうか――


 上空の槍を目で追うということは、顎が上に少し向く――がら空きということだ。

 半ば思考停止状態陥った忠勝の顎に向けて、成政は力を込めた掌底を放つ。


「……っ!? …………」


 ぐらりとよろける忠勝。

 倒れなかったのは成政も予想外だった。しかし落ちてくる稽古用の槍を掴んで、忠勝の喉元に突きつけた。


「……まだやるか?」

「…………」


 忠勝は朦朧とする意識の中、自分の槍を手放して両手を挙げた。

 その瞬間、元康が「成政の勝ちだ!」と宣言した。


「見事、見事な勝利だ、成政!」

「お褒めに預かり、光栄に存じます」


 成政は槍を床に置いて、元康に頭を下げた。

 それから忠勝のほうへ向き直り「立てるか?」と手を差し伸べた。


「…………」

「無理なら立たなくていい。しばらく休め」


 忠勝は無表情で成政の手を取った。

 頭が回らなかったが、ここで手を取らなかったら、惨めになると感覚的に分かったからだ。

 ゆっくりと立ち上がった忠勝。成政に「……かたじけない」と言う。


「なんだ。喋れたのか」

「…………」

「ま、馬鹿みたいにうるさい馬鹿よりはましだな」


 そう言って成政は元康の元へ歩む。

 元康は「そなたは強いな」と改めて感心した。


「昔よりも強くなった。本当に月日が経つのは早いものだ」

「ええ。ですから無駄にはできませんね」


 元康は「それではそなたに問う」と急に真剣な顔になって言う。


「三河国をいかにして統一する?」

「…………」

「そなたなら良き考えが浮かぶであろう?」


 元康の期待に応える。

 周りの家臣たちに邪魔されない。

 それを両立させるのが、成政の務めであった。

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