奥村助右衛門は小柄な体格である。ゆえに力で圧すのではなく、技で仕掛ける戦法を得意としていた。また己の背丈の小ささもあって、大きい者たちとの戦いは経験が多い。つまり、大柄な利家との戦闘は、奥村にしてみれば手慣れたもの――だったのだが。
「――くっ!」
「てめえのような小手先の技が上手い奴とは、何遍も戦ったよ」
まるで予想していたような反応を見せる利家。
牽制技を行なっても、それを巻き込むように先手を取られる。
返し技を行なっても、それを受け流すように後手に回される。
奥村は――焦っていた。
徒手空拳とはいえ、武芸を修めた自分ならばそれなりに動けるはずだ。
対処も反撃もできるはずだ。
それなのに、利家は意に介さず、見事に優勢を保っている。
現当主、利久に聞いた限りでは、自分のような技で翻弄する戦法は苦手だと思っていた。
なのに現実は違っていた――
利家が奥村の仕掛けに対応できているのは、ひとえにそれ以上の使い手と一時期稽古していたからだった。加えて森可成の指導もあり苦手意識は克服していた。
「けっ。つまらねえ。これなら成政のほうが強かったぜ」
好敵手の名を呟きながら、利家は牽制を入れた奥村の右の拳を弾き、がら空きになった右わき腹に左脚で蹴りを入れた。利家は手加減したものの、奥村には予想外だったらしく、もろに入ってしまった。
「ぐ、ごほ……」
「勝負あり、だな」
奥村がうずくまる。利家はそれを見下ろしながら言う。
だが奥村は決して諦めなかった。
ゆっくりと立ち上がって、利家に拳を向ける。
「なかなかの根性だな。でもそれ以上怪我したくなかったら、そのまま帰れ」
「……当主様の命令ですから。素直に引き下がるわけにはいかないのですよ」
受けた傷の回復を計りながら、奥村は考える。
前田利家、槍の又左の実力は音に聞こえていた。
けれども、圧倒的な力の差があるとは思いも寄らなかった。自信満々で主命を受けた自分を恥じ入りたいくらいだ。
また口に出した言葉のどおり、このまま引き下がるわけにはいかない。前田家における、奥村家の評価を下げることは許されないことだ。さらに言えばうつけ者の利家に負けることは奥村の矜持に関わる。
顎を引いて油断なく拳を構える――負傷の回復はできていない。虚勢に過ぎなかった。
利家は奥村を見つめて「良い目してやがる」と応じるように拳を構えた。
奥村は力と体重を込めた正拳を、利家の腹めがけて放つ。利久から厳命されている、過度な怪我をさせるなという命令は頭から吹き飛んでいた。目の前の利家に勝つ――
「惜しかったな。最初からその気合であれば、てこずっただろう」
利家はその正拳を腹で受け止めた。
鉄のように硬い腹筋を思いっきり殴ったので、奥村の手はじんじんと痺れた。
「今度戦うときは、互いに頭を冷やしてからだ」
利家は正拳を放ったままで動けずにいる奥村の手を取った。
自分を弧にしてくるくると奥村とともに回る――
「な、何を――」
「喋ると舌を噛むぞ」
利家はその場で三周ほどして手を離した――小柄な奥村は面白いように飛んでいく。
そのまま地面に落とされてしまい、受け身を取ることが叶わずに気絶してしまった。
「助右衛門との勝負は着いたが、これで一件落着とは言えねえなあ」
利家から勝負の熱はすでに消え去っていた。
今更ながら父親の死が彼の心を寂しくさせていたからだ。
訪れるのは、虚しさだけだった。
「……決着、着けるしかねえか」
利家は一度家に戻り、まつと話すことにした。
夫婦で決めねばならぬことだったからだ。
結果から言えば、奥村は利家を前田家に戻すことに成功した。
しかしその代償として、素浪人である利家の援助をすることになる。
当主である前田利久の命令で戦ったという事情も考慮すれば、同情の余地があるだろう。
◆◇◆◇
「ふむ。いい踏み込みだ。常人ならば危ういところだな」
「……っ!」
本多忠勝との勝負。
成政は確実に勝たねばならなかった。
今後の松平家における自分の立場を優位にするためである。
そのため、少々慎重な勝負の運びになったのは否めないが、傍から見ても成政のほうが優勢だった。体格と腕力など、単純な力においては忠勝のほうが強い。一撃でも当たれば成政は深手を負うことになる。
しかし――当たらない。掠りすらしない。
突いても振り回しても当たらない。素早い打突を行なっても予想していたような動きを成政は見せた。
それでいて成政の攻撃は当たる。
大振りになった攻撃の間隙を突いて――反撃する。
言ってみれば明快なことだった。忠勝の動きをよく見て防御を優先して狙えるときに攻撃する。決して先手を取らずに後手を必殺とする。
しかし簡単に言ったものの、それは理想である。普通はできやしない。
成政が真っすぐで腕力の強い者との戦いに慣れているか、それとも実力差が歴然としているか――もちろん前者だ――そうでなければ説明がつかない。
周囲の三河武士たちは野次を飛ばすこともせず、固唾を飲んで一方的な試合を見ていた。
異常な空気の中、忠勝は無言のまま、無謀な攻撃に打って出る。
「…………」
忠勝は成政の反撃を覚悟で懐に飛び込んだ。
接近戦である。明らかに忠勝の体格のほうが優れている。ならば距離を取って戦うのが基本であり定石である。
だが忠勝はその基本と定石を捨てた。虚を突かねば負けると思ったからだ。成政の攻撃は何度も受けているが一撃は軽い。ならば数撃は覚悟して受ければ耐えきれると彼は判断した。
「なるほど。素晴らしい」
成政は忠勝が目の前に迫ってくるのを見て感心した。口笛を吹いて拍手したい気分だった。思いついても実行する度胸が無ければ、決してやらないだろう。
しかし、利家との勝負を何百回と繰り返した成政。
かつて利家がその戦法をしなかったわけがなかった。
「ならば――こうだ」
眼前に近づいた忠勝に見えるように、成政は上に槍を放り投げた。
経験の浅い忠勝は思わず目で追ってしまった――加えて考える。成政の意図はなんだろうか――
上空の槍を目で追うということは、顎が上に少し向く――がら空きということだ。
半ば思考停止状態陥った忠勝の顎に向けて、成政は力を込めた掌底を放つ。
「……っ!? …………」
ぐらりとよろける忠勝。
倒れなかったのは成政も予想外だった。しかし落ちてくる稽古用の槍を掴んで、忠勝の喉元に突きつけた。
「……まだやるか?」
「…………」
忠勝は朦朧とする意識の中、自分の槍を手放して両手を挙げた。
その瞬間、元康が「成政の勝ちだ!」と宣言した。
「見事、見事な勝利だ、成政!」
「お褒めに預かり、光栄に存じます」
成政は槍を床に置いて、元康に頭を下げた。
それから忠勝のほうへ向き直り「立てるか?」と手を差し伸べた。
「…………」
「無理なら立たなくていい。しばらく休め」
忠勝は無表情で成政の手を取った。
頭が回らなかったが、ここで手を取らなかったら、惨めになると感覚的に分かったからだ。
ゆっくりと立ち上がった忠勝。成政に「……かたじけない」と言う。
「なんだ。喋れたのか」
「…………」
「ま、馬鹿みたいにうるさい馬鹿よりはましだな」
そう言って成政は元康の元へ歩む。
元康は「そなたは強いな」と改めて感心した。
「昔よりも強くなった。本当に月日が経つのは早いものだ」
「ええ。ですから無駄にはできませんね」
元康は「それではそなたに問う」と急に真剣な顔になって言う。
「三河国をいかにして統一する?」
「…………」
「そなたなら良き考えが浮かぶであろう?」
元康の期待に応える。
周りの家臣たちに邪魔されない。
それを両立させるのが、成政の務めであった。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!