利家と成政

~正史ルートVS未来知識~
橋本洋一
橋本洋一

それぞれの覚悟

公開日時: 2020年12月30日(水) 21:29
文字数:3,013

 尾張国の浮野での戦いは熾烈を極めた。

 数で劣る信長の軍は信賢に一時押されていた。

 だが信長が当主となった日から、彼らは戦い続けている。

 精強さにおいては信賢を圧倒していた。


 また、援軍である信清の軍も戦の後半から加わり、一気に戦況は信長有利となる。

 総崩れとなった信賢の軍は、居城の岩倉城で篭城戦に入る。

 蟻の穴も通さぬ包囲により、もはや織田伊勢守家は風前の灯となる――


「……おかしいな。できすぎている」


 本陣にて信長は怪訝そうに呟いた。

 すかさず傍らにいた成政が「いかがなさいましたか?」と問う。


「信賢は俺の首を狙っていたはずだ。しかし……」

「敵方の思惑より我らのほうが強かった……というわけではないと?」

「ああ。あいつは暗躍を好む。正面から戦うほど潔くはない」


 尾張国を統一する最後の敵として想定していた信賢が、まさかここまで歯ごたえもない者であるとは、信長は思えなかった。

 だからこそ、違和感が多すぎたのだった。


「成政。お前はどう思う?」

「……おそらく、何かを狙っているのでしょう」


 成政はそう言いながらも、半分くらいは信賢の誤算だったのではないかと考えた。

 一千以上の兵を死なせたことも、篭城を強いられていることも、敵にしてみれば計算外だった。


 であるならば、信賢は切羽詰っている。

 何をしても信長の首を狙おうとする。


「俺の首以外に何を狙う?」

「弟君では?」

「…………」


 未来の知識を知っている成政には自明だった。

 しかし信長の落胆する顔は予想できなかった。


「この期に及んで、俺を殺すのか」

「その可能性はあります」

「俺が憎いのか?」

「……それは分かりませぬ」


 信長は天を仰いで「一度、許してやったではないか」と呟く。


「戦に勝った。度量の深さを見せた。それでも――不満があるのか?」

「それほど、当主の座は惜しいのでしょう」

「であるか……」


 信長は「清洲城に戻る」と短く告げた。


「後は家臣に任せる」

「皆には、お身体の調子が悪いと伝えます」

「ふん。お前の察しの良いところは素晴らしいな。そういうところ好きだぞ」

「ありがたきお言葉」


 信長は「利家にもう一度柴田を探らせろ」と成政に言った。


「信勝から遠ざけられているらしいが、何も知らぬことはないだろう」

「……かしこまりました」

「なあ。成政」


 信長は疲れた表情を見せた。

 それは成政だけではなく、見る者全ての胸を締め付けるものだった。


「俺は――弟を殺さないといけないのか?」



◆◇◆◇



「はあ? 柴田様を探れ?」


 清洲城に戻った信長が病で伏せている。

 それを聞いた利家はどうしたものかと頭を悩ませていた。

 しかし成政の口から出た主命で、すっかり吹き飛んでしまった。


 利家と成政は信長に従って清洲城に帰還していた。

 他にも戻った者は大勢いる。

 それは服部小平太や毛利新介など、馬廻り衆の中でも腕利きの者ばかりである。


「ああ。殿からの命令だ」

「なんでだよ。この前行ったときは何も話さなかったぞ?」

「状況が変わったんだ」


 成政は仔細を言わずに利家に「さっさと行け」と言う。

 そんな上から物を言うのような、偉そうな物言いに利家は苛立ちを見せた。


「てめえ、なんだその言い方は。馬鹿にしているのか?」

「私はいつだって、お前を馬鹿にしている」

「なんだと!」

「いいから行け。殿のことは心配ないから」


 やけに冷たい言い方だなと利家は疑問に思ったが、柴田とは会いたかったので「分かった」と短く応じた。

 浮野の戦いで手柄を立てたことも褒めてもらいたかったのもある。


「ちゃんと仕事しろよ」

「お前に言われたくない」


 いつも通りの憎まれ口で背を向けた利家。

 そのとき成政は思わず「気をつけろよ」と付け加えてしまった。

 利家は一瞬、おかしいなと思ったが、振り返ることなく馬屋へと向かった。


 末森城の武家屋敷にある、柴田の屋敷に向かうと、玄関に下人と侍女が立ち尽くしている。

 利家は「何かあったのか?」と下人に訊ねる。


「ええっと、あなた様は?」

「織田家家臣、前田利家だ」

「ご無礼しました。実は御主人様が屋敷からしばらく出ろと」


 利家は嫌な予感がした。

 それは平手政秀が死んだときと同じ胸騒ぎだった。


「お前たちは入るな! 俺が確かめる!」


 下人と侍女にそう告げると、早足で屋敷の中に入る利家。

 中の襖や障子を乱雑に開けて、柴田を探す――


「柴田様! どこにいるんですか!?」


 喚きながら開けた先に――柴田がいた。

 白装束で短刀を持ち、呆然とした表情で利家を見つめていた。


「柴田様! 何をしているのですか!」


 利家が近づき、短刀を取り上げる。

 柴田はばつの悪い顔で「間が悪かったな」と呟いた。


「下人たちには誰も近づかせるなと言っておいたのだが」

「……どうして、自害をなさろうとしたんですか?」


 柴田の悲しげな顔を見て、逆に冷静になれた利家。

 短刀を投げつつ「理由を聞かせてください」と座って目線を合わす。


「……信勝様が、また謀叛を起こそうとしてな」

「なっ!? それは本当ですか!?」

「ああ、間違いない。側近の津々木と企んでいた」

「だから死のうとしていたんですか?」


 柴田は小さく頷いた。

 利家は拳を強く握り締めた。


「わしの死で諌めようとしたのだ。信長様がそれで許してくれるとは思わぬが」

「どうして、ですか。なんでそこまで、信勝様を……」

「わしの主君だからだ」


 利家自身、信長に高い忠誠心を持っていた。

 だが自分の死をもって諌めようとは考えたことはない。

 信長は筋道を立てて説明すれば、考えを改めることがあるからだ。


「そんなの、間違っていますよ! 死んで諌めようなんて――」

「ま、わしが死んでも信勝様は考えを改めないだろうがな」

「尚更、おかしいじゃないですか! なんで死ぬんですか!」

「…………」


 柴田は利家に微笑んだ。

 利家の何かがぶちりと切れる音がした。

 握り締めた拳を振り上げた。


「こんの――大馬鹿野郎が!」


 利家が柴田の頬を殴りつける。

 まるで貫く勢いで思いっきり殴ったものだから、柴田は部屋の隅まで倒れこんだ。


「ふざけるなよ! 簡単に――死ぬんじゃねえ!」

「…………」

「諦めるんじゃねえよ! 馬鹿じゃねえのか!」


 柴田は仰向けに倒れたまま、起き上がろうとせず、利家の言葉を聞いていた。


「どいつもこいつも、死ぬことばかり考えやがって! 平手様もそうだ! あの人やあんたは俺に生き様を見せてくれたじゃねえか! だったらもっと生きろよ! 生きてくれよ! なんであっさり死ねるんだよ!」

「…………」

「俺はそんな格好悪いところ見たくねえんだよ! 馬鹿野郎が! 俺はな、あんたを尊敬しているんだよ! 俺にこんなことを言わせるなよ! もっと格好良いところ見せてくれよ! 大嫌いにさせるんじゃねえよ!」


 支離滅裂で何にも筋は通っていなかった。

 馬鹿がただ喚いているだけの言葉だった。

 でも、心が弱っているときは、こんな熱い馬鹿の言葉がすうっと身に染みる。


「……格好悪いか」


 柴田はゆっくりと起き上がった。

 頬には青痣ができている。


「わしはどうしたらいい?」

「……そんなの知らねえよ。でも自害よりきっと、やるべきことあるだろ」


 利家の真っ直ぐな言葉。

 正道を往く前向きな言葉。

 柴田は口元を歪めた。どうやら笑ったようだった。


「そうだな。信長様に信勝様の助命を乞おう。己にできることをやってみよう」


 柴田は利家に頭を下げた。


「引き合わせてくれ、信長様に。覚悟は決めた」


 利家はしばらくじっと柴田の顔を見つめた後――


「――ええ、喜んで」


 安心したようににっこりと笑った。


「そっちのほうが、柴田様らしいですよ」

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