禍々しい闇が真夜の全身を包み込む。数秒後、そこに現れたのはハイレグ魔操服に身を包んだ闇の魔操師ヒルダだった。
怒りと妖気、そして久々に枷を外した魔力をジリジリと放出させながら、両手を目前に突き出して詠唱を始める。
「……シャドウウインド!」
その瞬間、闇の疾風がヒルダの周囲を走った。彼女を囲んでいた4人は、成す術なく後方へ突き飛ばされる。ヒルダは間髪入れずに、
「ブラックバースト!」
と、ヒューに向けて攻撃魔術を繰り出す。漆黒の衝撃波に呑み込まれたヒューは、そのまま何もできずに砂浜の上で転がされた。
大ダメージを受け、その場でうつ伏せになるヒュー。そんな彼にヒルダは歩み寄りながら、
「お前に……お前に何が分かるんだ! お前がコウを語る資格なんかあるのか!? コウに嘘をついたお前が、気安く昔の名を口になど……!」
ヒルダは肩をプルプルと震わせ、
「お前ごときが、私のコウの名を口にするな!」
と、言葉をぶつけた。
それに対し、
「……すみません」
ヒューはうつ伏せから徐々に起き上がりながら、そう返した。大ダメージを負っているにもかかわらず、である。
「そう……ですよね。俺は大松樹さんに嘘をついたし、本当なら大松樹さんにも奥さんにも謝らなきゃいけないと思います。……ただ、今はそれよりもやらなきゃいけないことがあるんです。それが終わったら、ちゃんとした形で謝りたいと考えてます」
ヒューはここまで話しながら、まるで何事もなかったかのように立ち上がった。
馬鹿な!? シャドウウインドとブラックバーストの直撃でも倒れないだと……?
「Sランクの超回復のスキルを身につけておいてよかったな……。戦闘1回きりの使い捨てスキルだけど、どうせ俺はこれが終わったら魔操師辞めるんだ」
「くっ……!」
「とにかく奥さん、一生のお願いです。これから先、奥さんがこの世界で安心して暮らすために奥さんの魔力を俺に――」
ヒューがそう言いかけた時だった。
「サンダーストリーム!」
玲人が雷属性の攻撃魔術を詠唱し、それがヒルダを襲った。直撃したら大ダメージ必至の太く強烈な電撃である。ヒルダは咄嗟に円殻防御の魔術を繰り出したが、タイミングが僅かに遅れて玲人の魔術を食らってしまった。
「ああっ!」
幸いにも直撃ではないが、だからといって小さいダメージでもない。ヒルダの身体がぐらついた。それを目の当たりにしたヒューが、
「レイト、攻撃しちゃダメだ!」
と、玲人を制止する。しかし、
「ヒュー、やっぱりヒルダを説得するなんて無理だ! 魔王の尖兵は討伐する以外にない!」
玲人はそう返し、同時に魔力を充填した右手をヒルダに向けた。
「ライトニングシュート!」
高電圧の塊が、容赦なくヒルダに襲いかかる。彼女は再び円殻防御を使うが、ライトニングシュートとの衝突の瞬間に魔力の殻が割れてしまった。
Sランクの魔攻増幅スキルか!?
ヒルダがそう察した直後、ライトニングシュートが彼女の全身を刺激した。皮膚という皮膚が張り裂けるような痛み、そして内臓にも達するほどの重い衝撃。ヒルダは背中から砂浜に崩れた。
私はこんなところでは死なない!
そのような思いを超音速で巡らせたヒルダは、自身の超回復スキルを発動させた。が、これはDランク。急場を凌ぐだけの回復量は見込めるが、複数人で追撃されたらさすがに対応できない。
どうにか立ち上がったヒルダに、今度はセシリアとグレゴリーが襲いかかった。
レイピアとファルシオンの猛攻。ヒルダはそれを何とか回避しつつ、
「フレイムウォール!」
と、叫んだ。ヒルダの目前の火炎の壁が立ち上る。これで時間を稼ぎ、もう一度ブラックバーストを唱えてセシリアとグレゴリーを吹き飛ばそうと考えたのだ。
が、それで足を止められたのはグレゴリーだけだった。
フレイムウォールをまったく苦にせず突っ込んできたセシリアは、Aランク以上の魔防増幅スキルを用意しているらしかった。魔術を使わない騎士にとっての定番スキルだが、AランクないしSランクとなるとそれを手に入れるためのカネがいる。……いや、よくよく考えればこのパーティーはカネの心配とはあまり縁がないだろう。何しろ、今までに何度もキシロヌ王国からの依頼を達成してそれ相応の報酬をもらっているはずだから。
ヒルダのフレイムウォールを無効にするだけの魔防増幅スキルは、彼らにとってはあまり深刻ではない買い物だった可能性すらある。
それはともかく、レイピアの刃を右肩に受けたヒルダは再び砂浜に転げ落ちた。切り傷自体はDランク超回復ですぐにリカバリーできたが、セシリアの一撃で負ったダメージはまた別の問題。たかだかDランクでは、傷はすぐに治っても体力は戻り切らない。
「やめろ、セシリア! やめるんだ!」
ヒューのその呼びかけに、セシリアはこう返す。
「うるさい! やはりこいつは魔王軍の手先だ! 説得など、最初からできない話だったんだ。ここでヒルダを討つしかない!」
セシリアは倒れたヒルダに再びレイピアを向け、
「ヒューがやらなければ、私がやるのみ……!」
と、ヒルダの左胸めがけて刃を突き刺そうとした。
*****
コウ、ごめんなさい。
私はコウが嫌いになったわけじゃないの。ただ、いきなり知ってしまったことを上手く飲み込めなかっただけなのよ?
もしも時間を巻き戻せるなら、あの時家出なんかせずにコウとじっくり話し合うべきだったわ。そうしなかったせいで、品山さんや女将さんにも迷惑をかけてしまって……。
コウ、次はどこへ取材に行くの?
世界地図で見たらあまり分からないけれど、日本って結構広い国なのよね。文化も風習も気候も全然違う地域がいくつもあって、そこにはいろいろな建物や言い伝えもあって、私の知らない魔物や妖怪もいて……。私ね、日本の妖怪のことをもっと調べて、いずれは妖怪の絵本を描いてみたいって思ってるの。せっかく出版社が私の絵を気に入ってくれたんだから、このまま本格的に絵本作家を始めてみようかなって。
ねぇコウ、あのロードスターは絶対に乗り換えちゃダメよ?
私、あのロードスターが大好きなの。今度どこかへ旅行に行く時も、私はロードスターの助手席に乗って出かけるつもりなのよ。あ、そういえばこの前行ってた河童のミイラ、私それ見てみたいな。クルマで行ったら何日かかかるって話だけど、それはそれで面白そうじゃない? だから、行ってみましょう!
コウ、私の愛するコウ。
お願い、助けて。私は死にたくない! まだまだ日本で生きていたい! コウと一緒に旅行したい! 死にたくない!
助けて――。
「真夜!」
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