「そういや、あの上野の兄ちゃんの名前だけ聞いてなかったなぁ」
そんなことを言いつつ、孝介はラブホテルの駐車場にロードスターを停める。
ヒルダは未だ「ヒルダ」の状態で、魔操服もそのままだ。が、ラブホテルに来れば人の目は気にしなくていい。何しろ、徹頭徹尾スタッフとも対面しなくて済む設計なのだ。
孝介はフロントで1泊1万2,000円の部屋のボタンを押し、キーを受け取った。502号室。最上階の5階にある部屋らしい。
やや古い型式のエレベーターに乗り、502号室へ向かう。そこは下手な旅館よりも遥かに広く、清潔な空間だ。キングサイズベッド、ユニットバス、ミニバー、カラオケ、据え置き型ゲーム機まで用意されている。
ひとりで歩けるまでに体力が回復した真夜だが、それでもベッドに腰掛けた瞬間そのまま仰向けに倒れてしまった。
「真夜、お前シャワー浴びねぇのか?」
そう問われたヒルダは、
「いいわ、そんなの」
と、力なく返した。
「そうか……。なら、俺もシャワーは明日にするかね」
孝介はヒルダの右隣で、彼女と同じように仰向けになった。
それを見計らっていたかのように、ヒルダの右手は孝介の左手を優しく握る。
「……コウ」
「ん?」
「どうして私が鎌倉にいるって分かったの?」
「そりゃあ、あそこは俺たちにとっては特別な場所だからな。今頃は由比ガ浜海岸にいるんじゃねぇかと思って行ってみたら、本当にお前がいたってわけさ」
「コウ」
「ん?」
「私ね、昨日は品山さんの部屋に泊まったの。コウと電話で話した時、私は品山さんの事務室にいたんだけど」
「そうだったのかい。それじゃあ、メシも親方と食ったのか?」
「美味しかったわ」
「武菱のちゃんこは角界一だからな」
「コウ」
「ん?」
「私と弘子さん、どっちが好き?」
「……そうさねぇ……」
孝介は軽くため息をつき、
「俺があいつを誰よりも愛していた時期がある、というのは本当のことだ。だから婚約した。あいつと同じ家で暮らしていたこともあったのさ。それがあの騒動でみんな台無しになったってのも、まぁ事実なんだがな……。でもな、真夜。もし本当に弘子を愛し切っていたのなら、俺はあいつを引っ張って一緒にアメリカへ行ったはずなんだ。ところが現実は俺ひとりだけで飛行機に乗った。早い話が、心のどこかで弘子との婚約に疑問を感じてたのさ」
「疑問……?」
「俺はこのまま前頭から三役になって、あわよくば大関を狙えるところまで星を重ねて、やがて引退したら梅咲部屋を継いで……という人生設計に違和感があったってことさ。俺はそんなタマなのか? もうちょい俺の身の丈に合った人生が他にあるんじゃねぇか? 一度そう考えちまうと、弘子と婚約したことが俺にとっての正解だったのかと悩むようになっちまってな……」
孝介は左腕をヒルダの頭とベッドの間に差し入れながら、
「その悩みが、俺にあんな告発記事を書かせたんじゃねぇかと今は思ってる。……だが、俺はお前と添い遂げる未来には疑問を感じたことはない。この女となら、いつまでも一緒にいられる。お前の出が何だろうと、俺は構わねぇさ。俺の嫁はお前しかいねぇんだから」
と、唇を近づけた。
私の夫も、コウしかいない――。
ヒルダは孝介の口内に舌を入れつつ、彼の愛を全身で受け止めた。
<真夜と孝介・終>
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