孝介はテレビに集中している。
大相撲9月場所は今日で5日目。時刻は既に午後5時50分を回っている。結びの一番はモンゴル出身の横綱黒馬と、品山部屋の前頭2枚目金枝山。過去の対戦成績は黒馬の4戦4勝だ。
しかし、この日は金枝山に力が宿っていた。
金枝山は立ち合いの当たりから黒馬を圧倒した。横綱の状態を跳ね上げると、金枝山はそのままもろ差しでガッツリ固めた。ここから土俵際に追いやられた黒馬は、さすが横綱の粘りは見せたものの金枝山の右のかいな返しには抵抗できなかった。
見事な掬い投げである。が、これは黒馬の立場で見れば「相撲になっていない」ということだ。
今場所の黒馬は、横綱審議委員会の稽古総見から明らかに本調子ではないというのもある。2日目は小結秋野川を相手に何もできなかった。黒馬が成す術なく押し出されたのだ。右膝の怪我が悪化していることは、誰の目にも明らかである。
「来年の初場所でひとり横綱が解消されるかもな」
孝介はソファーの上で真夜の髪の毛を撫でながら、そうつぶやいた。
「一昨年鹿島龍関が引退してから黒馬関がひとりで綱張ってたんだが、考えてみれば今年で32歳だからな。そろそろ後に続くのが出てきてもおかしくないんだが」
「やっぱり30代で相撲をやるのは厳しいの?」
「まあ、それは人によるな。ただ、最近じゃ医療とか怪我予防の進化で力士の寿命も長引いてはいると思うが」
「コウは20代のうちに引退してしまったんでしょう?」
そう問われた孝介は、「はっ!」と声を上げる。
「俺の場合はまたいろいろあるんだから、比較対象にすらならねぇよ」
「どうせコウのことだから、何かバカなことをやってクビになっちゃったんでしょう?」
「ああ、その通りだ。俺はな、皐月富士関が部屋の中に隠してた菓子を見つけて勝手に食っちまったんだ。すると横綱がカンカンに怒っちまってな、協会に俺の解雇を進言したんだ。幸いにも懲戒処分は免れたが、俺は辞表を書く以外になくなっちまった」
孝介はそう説明したが、もちろんそんなのはデタラメだということくらい真夜は分かっている。この男は、言いたくないことに触れられた時は必ず下手なはぐらかしをする。
真夜もそのような反応が返ってくると分かってるから、敢えて「どうせコウのことだから、何かバカなことをやってクビになっちゃったんでしょう?」と問いかけてやる。だが、孝介の現役引退にはきっと重大な事実が絡んでいるのだろう。近いうちにそれを突き止めて、日本の神事とも言われる大相撲の調査に役立てよう。
「そんなのはどうでもいい。真夜、お前明日皐月富士関……いや、品山親方に会ってみるか?」
「コウの先輩に?」
「明日の夜遅い時間になるが、親方と女将さんが俺たちに会ってくれるそうだ。本場所で忙しい中、わざわざ俺たちのために時間を割いてくれる。御徒町の『大虎』、今から予約入れるぞ」
「大虎って、鍋と紹興酒のお店ね?」
そう返しながら、真夜は舌なめずりをした。
JR御徒町駅近くにある中華料理店『大虎』は、火鍋で有名な飲食店。都内での会食でよく利用する場所でもある。そして真夜は、大虎のオーナーでもある中国人ママが出してくれる5年紹興酒がお気に入りだ。想像するだけでもヨダレが出てきそうなほどに。
「けれど、明日は天狗の調査に行くのよね。少しばかりハードスケジュールになってしまわないかしら?」
「ま、明日は常磐道に乗ってちゃっちゃと茨城に行って帰ってくりゃいいさね。大して長い距離でもねぇからよ」
「でも、ディナー食べたさに調査を疎かにするわけにはいかないわ。ちゃんと時間をかけて調べないと――」
「真夜、お前口からヨダレ出てるぜ」
「なっ!」
真夜は咄嗟に口を押さえた。それを見た孝介が意地悪な笑みを浮かべながら、
「冗談だ。へへへへ、毎度毎度同じ引っかけに乗せられやがって。成長しねぇなぁ、お前ぇも」
と、真夜の額を指で突いた。
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