「関取、あの嫁は一生涯大事にしたほうがいいぞ」
2人でフィットネススタジオの中央に陣取りスクワットをする最中、流子がそのようなことを言い出した。
「私は真夜を見て1分で分かったぞ。あのテの女は、極度の寂しがり屋だ」
「……そうかねぇ」
「そんな簡単なことに気づいてないのか?」
流子は汗を散らしながら呆れがちな口調で、
「あれは執念深いタイプの女だぞ。ひとつのことにどこまでも執着する」
「……そういやそうかもな」
「“そうかもな”じゃねぇぞ。実際にそうなんだよ。……関取、こんなとこで私と遊んでる場合じゃねぇだろうよ?」
そう言われた孝介は脚の屈伸運動を続けつつ、
「てやんでぇ! 今日ここに俺を誘ったのはマックスだろうが」
と、返した。しかし流子はすぐさま、
「なら、謝る。あんたを誘うべきじゃなかった」
まったく悪びれる様子なく、そのように告げた。
「関取の嫁、今頃家で寂しがってるんじゃねぇか? 執念深いってのは、同時に寂しがり屋ってことでもあるから」
「あの女がか?」
「その部分に気づいてねぇってのは、やっぱあんた鈍感だよな関取」
流子は大きく溜め息をつき、スクワットをやめた。
「ん? どうしたんだマックス」と孝介が声をかけた瞬間、流子の右足が彼の左頬めがけて飛来した。総合格闘技の試合にも参戦したことのある、女子プロレスラーのハイキック。スクワットのために膝を曲げていた孝介の顔面を、ピタリと捉えるものだった。
が、元関取をこんなところでKOする気はない。足の甲が孝介の頬に接触するかそうでないかのところで、流子はキックを止めた。手慣れた寸止めである。
「……このくらいやらなきゃ頭が冴えねぇか?」
そう言われた孝介は、
「ああ、そうかもな」
と、微笑んだ。そして流子の右足を手で払い、素早い摺り足で急接近した。
孝介は自身の右腕を流子の左脇に潜り込ませる。一方で左腕は流子の右腕に上から巻きつけるように絡めた。流子に左脇をくれてやった、とも表現できる。これは一見すれば相四つだが、実は孝介が圧倒的有利な姿勢である。
というのも、普段は右利きの孝介は相撲を取る時だけは左手を多用する。現役の頃に得意だったのは、左上手投げと左小手投げ。そして今は、流子の右肘を左腕で絡めながら極めている。
「つぅ……!」
痛みで声を漏らしてしまう流子。孝介は不敵な笑みを見せながら、
「プロレスラーの中じゃなかなかいい相撲をするぞ、マックス。三段目でなら十分やっていけるくらいだ」
と、告げた。流子は「ほざけっ!」と言い捨て、左腕を極められた状態のままスタジオの床に背中をつける。
「私は相撲取りじゃねぇ!」
流子は左腕を抜くと、孝介の胴体を両足で挟んだ。総合格闘技のガードポジションという技術である。そこから脚力で孝介を引き込みつつ、彼の左腕を取ってチキンウイング・アームロックに移行した。流子が得意とする技だ。
見事に極まった……かに見えたが、孝介もバカではない。両手のクラッチを組んで、流子のアームロックに対する強固な錠をかけた。
「悪いな、マックス。俺もMMAの団体でぼちぼち練習してるのさ。今度、試合に出てみようかと思ってるんだが」
「なら、ここで私が教育してやる!」
「おいおい、もういいじゃねぇか。ここはエアロビだのズンバだのやるところで、グラップリングのスパーやるところじゃねぇんだ」
そう返されてしまった流子はしばらくアームロックの姿勢を続けていたが、やがて気が抜けたかのようにガードポジションを解いた。その場に大の字になりながら、
「……あんたに喝を入れてやらねぇと気が済まねぇ」
と、捨て台詞のようにつぶやく。さらに、
「私は関取のような鈍感野郎が嫌いだ。真夜が可哀想過ぎる。あいつは1分1秒でも長くあんたと一緒にいたいんだ。口では何と言おうとな……」
「そうか、マックスは俺が嫌いか」
孝介は立ち上がり、
「なら、鈍感野郎ともう少しばかりダンベル遊びするか」
と、流子に右手を差し出した。
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