「みんな、聞いてほしい。ヒルダ討伐の件だけど……俺は辞退するべきだと思うんだ」
ヒューの言葉に、パーティーの一同は愕然とした。特にセシリアは、つついただけで爆発しそうな剣幕を容赦なく見せている。その場の空気は険悪そのものになってしまった。
が、それでもヒューは続ける。
「俺、向こうでヒルダを見つけたんだ。それだけじゃなくて、あいつと話した」
「ヒルダと話したのか!?」
「たまたまの成り行きというか、何というか……。ヒルダは俺に気づかなかったみたいだけど、とにかく話したんだ。ヒルダは日本で結婚していて、普段は旦那さんと一緒にいる。その旦那さんというのは——」
「だったら尚更放っておけないだろ!」
セシリアはテーブルを叩きながら椅子から立ち上がった。
「それはつまり、ヒルダが異世界の人を洗脳しているということじゃないか! 一刻も早くヒルダを倒して、その人を解放しないといけないはずだ!」
「違うよセシリア! 洗脳だなんて……」
ヒューは怒りのセシリアの顔をしっかり見つめ、
「あの旦那さんはそんなレベルの人じゃないんだ!」
と、言い放った。
「そんなレベルの人じゃない?」
そう返したのはグレゴリーだ。
「それはどういう意味なんだ? ヒュー、お前はそのヒルダの結婚相手とやらとも話したのか?」
「……ああ、話した。どんな人か調べもした。あの人は……大松樹さんは本当にすごい人なんだよ」
「ダ、ダイショウジュ?」
「日本には相撲という格闘技があって、大松樹さんはその相撲の選手だったんだ」
「格闘家ってことか」
グレゴリーは頷き、
「格闘家は体力と攻撃力は大きいが、魔術には弱いからな。洗脳されやすい職業だ」
と、何かに納得したかのように言った。しかしヒューは「違う!」と食らいつく。
「日本の力士はそんなもんじゃない! この世界とは全然違うんだ! 大松樹さんは――」
ヒューは溜めを利かせ、
「大松樹さんはとんでもなく奥の深い人だ! 何でもかんでもステータスだの特性だの魔力だので判断してる俺たちとは違うんだ! だから、日本でヒルダを討ち取るのはやめるべきだよ。簡単に“討伐”って言うけど、それは俺たちが大松樹さんの奥さんを殺すということじゃないか。そんな残酷なこと、俺にはできない!」
その場にぶちまけるように言った。
この時のヒューは、大松樹が梅咲事件で何を失ったかを既に調べて把握している。
週刊誌に自ら書いた告発記事を掲載した大松樹は、それと引き換えに日本相撲協会に辞表を提出した。が、彼が手放したのは髷だけではない。梅咲親方の一人娘との婚約を解消したのだ。
大松樹は梅咲部屋を継ぐ予定の力士だった、と事件の顛末をまとめたウェブ記事に書いてあった。
「どうして大松樹さんは引退しなきゃいけなかったんだ!?」と憤慨していたヒューは、やがて自分たちがこの上なく残酷な行いに手を染めようとしていることに気がついた。大松樹にとって、ヒルダは理不尽な災難の末にようやく巡り会った女性なのだ。
そんな女性を、俺はつけ狙って殺そうとしていた。俺自身が大松樹さんの人生に襲いかかる「理不尽な災難」になりかけていた。
もしかしたら、俺が消滅させたリディアにも大松樹さんのような旦那さんがいたのかもしれない。だとしたら、やっぱり俺は――。
「……お前、ヒルダに籠絡されたのか?」
セシリアがヒューにそう問いかける。
「お前、あの魔操師に何か言われたのか? そうだろ? 何を言われたんだ!」
「ヒルダとは少し話しただけだよ。“何を言われた”とか、そんなことは一切ない」
「なら、何でヒルダの肩を持ってるんだ! あいつは魔王軍の幹部だぞ!」
「そうかもしれないけど、日本じゃ普通のおばさんだ! だったら、それでいいじゃないか!」
ヒューは怯まなかった。いつもなら少し短気で勝気なセシリアの言動には圧倒されるのだが、今回だけは違う。何としてでもヒルダ討伐を諦めさせないと!
するとそこへ、
「あのさ、ヒュー。君は理解してると思うけど、王国は何としても俺たちがヒルダを討伐することを望んでるんだ」
と、話に割り込んだのは勇者玲人だ。
「俺たちのパーティーが王国に贔屓されてるっていう声を打ち消すために、今回の討伐は敢えてギルドでの公募という形にしている。でも、王様はやっぱり俺たちにヒルダを倒してもらいたいと思ってる。他のパーティーにできなくて俺たちにできること、それは――」
「分かってるよ。俺の“橋”を使ってみんなで日本に行ってヒルダを倒せば、すべてが丸く収まる。……けれどそれは、結局は王国の都合じゃないか」
「今までの討伐依頼だって、王国の都合みたいな内容だった。今更そんなことで愚痴っても遅いよ」
「愚痴ってるわけじゃない!」
ヒューは眉間に皺を寄せ、
「俺は……俺は、もう誰も倒したくないんだ」
と、言葉を吐き出した。
<「橋」の管理人・終>
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