日本には「軽便鉄道」と呼ばれる交通インフラが存在した。いや、今現在も存在するが、明治から昭和までの日本では1,067mmよりも狭い軌間の鉄道が全国各地で稼働していた。
西尾~岡崎間を結んでいた西尾鉄道も、そのひとつである。
この西尾鉄道を開通した実業家岩瀬弥助は、地元に対する利益還元を惜しまなかった。そのひとつが『岩瀬文庫』である。地元住民の学識レベル向上のために建てられた私立図書館だ。現在では西尾市が運営する施設として、貴重な古書や史料を一般利用者に公開している。
孝介はこの岩瀬文庫に、古書閲覧の予約を入れていた。
『水虎考略』という本である。これは19世紀に編纂された、世にも珍しい「河童研究書」だ。
孝介はこの古書の「天」「地」「人」の3巻を借りて、岩瀬文庫新館の閲覧室で読み進めた。もちろん、真夜も一緒にページをめくる。
「これ、古い日本語よね? ちょっとよく分かんない……」
「安心しろ。俺は少しばっか読める。……つまりだな、これは全国各地の河童の目撃談を集めたものだ。地域によっては水虎だの川太郎だのという呼び方の違いはあるが、殆どの場合は頭の上が皿のように凹んでいて、人間の子供くらいの大きさで、指の間に水かきがあって泳ぎが得意……と書いてある」
「ここに描いてあるイラストは、著者が実際に見たものなの?」
「いや、あくまでも想像図だな。ただ、証言に対して極力忠実にしてあるらしい。背中に甲羅を背負ってる奴もいればそうでない奴もいるし、腰布を巻いてる奴もいる」
「服飾の習慣がある、ということね」
真夜は深く頷きながら、
「で、これはどこの誰が書いたの?」
と、孝介に質問した。
「古賀侗庵という江戸の学者が書いた本に、医者の栗本丹洲がイラストを付け加えたって話だ。この栗本って医者の業績は、山木田のボスが記事にしたことがあるんだ。日本の生物学の先駆けみたいな学者で、魚介類や植物や虫の絵を描いて記録した。西洋の生物学者にも影響を及ぼしたってんだから、大した先生だぜ」
「なるほど――」
未知の国の調査に「動植物の研究」は、絶対に欠かせない項目である。だからこそ真夜も写生の技術を磨いてきたのだが、先人がイラスト付きの史料を残しているのならそれに越したことはない。
それにしても、江戸時代とは何と文献豊富な時代なのだろうか。
徳川という一族が政権の座に就いてからまるまる250年続いた江戸時代。その間に起こったことの殆どは、美しくカラフルな絵入り史料として現代に伝わっている。つまり、それができるだけの優秀なイラストレーターが何千、何万と存在したということだ。
真夜は以前、江戸時代の歌川広重というイラストレーターの作品を観たことがある。木造の橋に大雨が降り注ぐ絵だ。これは木版画だそうだが、まさに雨降る外を室内から眺めているかのような臨場感だった。
「雨の表現」は、恐ろしく難しい。しかし広重は、単純な直線のみでリアルな降雨を表現してしまったのだ。
この点に関しては、闇の魔操師も見習わなければならないと真夜は考えている。魔王軍が日本を征服した暁には、広重や栗本丹洲のようなイラストレーターを闇の地に連行して、絵画の学校を作らせよう。
真夜は水虎考略のページをめくりながら、そんなことを思案した。
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